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2015.02.13 Friday
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    川島の本棚 第9回 『図書館戦争』シリーズ・『マネーボール』

    2011.11.13 Sunday 21:19
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        今回は川島の本棚の第9回目です。以前にこのブログのコメント欄にて此花さんからご紹介をいただいた『図書館戦争』シリーズと、完全に僕の趣味になりますが映画化で話題沸騰中のノンフィクション『マネーボール』の2つを取り上げます。

       まずは有川浩さんの『図書館戦争シリーズ』から。













       
       
       文庫化と同時に書店にうずたかく積まれていたこの装丁の本は、おそらく多くの方が一度は目にされたと思います。以前に此花さんのコメントで概要については知ることができるので、そちらもご参照ください。『電脳コイル 春』あとがきのコメント欄の上から2番目です。

       なのでこの作品に関しては率直な僕の所感を記すことにします。

       まず全体の印象としては、キャラで読ませるという作風ですね。本筋の軸になるのは、図書特殊部隊初の女性隊員として新しく配属されることとなった主人公、笠原郁と、その上官である堂上篤との恋。そしてその周りの魅力的なキャラ達のそれぞれの恋愛模様が物語の原動力となっています。

       一方でその内容は重いというのは此花さんの言葉ですが、その通りですね。図書館が蔵書を守るために銃をとってドンパチやるというのはぶっとんだ設定のように聞こえますが、そもそも表現の自由の攻防というのが主題で、中には社会風刺の効いたエピソードもあり、単にSF娯楽作品として捉えるのではなくて、この中で取り上げられていることは自分なりに咀嚼して考えてみる必要があるのではないかと思います。自分のように言葉を使って作品を創作している人間はなおさらです。

       また、かなり政治的な内容が含まれるので理解するのに割と時間がかかる部分もありました。図書隊内部の派閥争いだとか、省庁間のパワーゲームだとか。ここにまた諜報要素が絡んできたりするので、一層複雑になってくる場面もあります。

       ところがあくまでキャラ描写が軽いおかげで、そういう小難しい話が挟まっても読み進めることができます。このギャップはどうにも僕がこれまで読んだものの中では顕著ですね。逆にこの軽さがなければ娯楽作品として読むのはしんどいですし、こういうのもアリなんだと思いました。

       このバランスを参考にして、僕の新作も割と重たいシーンとキャラ中心のシーンが混在するようなものにしたいと思っています。

       とはいえ、内容が重厚なのは本編の4冊。別冊の2冊は本編において話にある程度の決着がついた後なのでキャラ中心の描写になっています。本編完結まで付き合った読者なら、この2冊も絶対に買いでしょうね。僕はベタ甘過ぎてニヤニヤが止まらなかったんですが。
       
       本編の方は、はじめの3巻まではオムニバス形式ですが、完結の第4巻は壮大なプロローグから始まる映画のような1本のエピソードから成っています。物語の決着という意味でも、終始息詰る波乱の展開という意味においても、この第4巻がシリーズの中で最高傑作なのは揺るぎないでしょう。

       アニメ化もされていて映画化もされるという話ですが、僕はこれからこちらの方も楽しみたいと思います。

       さて、今日はもう1冊ご紹介します。川島の本棚では初めてのノンフィクション本ですが、冒頭に書いた通り完全に僕の趣味に走ります。アメリカメジャーリーグのある球団のサクセスストーリーを綴ったマイケル・ルイス氏の『マネー・ボール』です。














       なぜ今この本を紹介するのかと言いますと、これのハリウッド映画版がつい一昨日から公開になっているからです。主演はあのブラット・ピット。TVでもCMが流れています。

       こちらの本の中では、メジャーでも屈指の低予算球団であるオークランド・アスレチックスが如何にして常勝軍団に成り上がったのか、その立役者ビリー・ビーンGMの駆使した革新的な選手分析法を中心に、2000年代初頭のアスレチックス黄金期のエピソードが紹介されています。ちなみに初版が2006年で、当時はアスレチックスもそこそこの強豪でしたが、残念ながらここ数年は下位に沈んでいます。つまり、この本で手の内が明かされて、他の球団も同じ手法を取り入れたので相対的に順位が下がったという話にもなるんですが。

       さて、日本のプロ野球をご覧の方で、セイバーメトリクスという単語を耳にしたことのある方はどのくらいいらっしゃるのでしょうか。メジャーを見ていれば当たり前のように出て来る単語で、近年日本プロ野球でも取り入れられつつありますが、中継やニュース報道ではあまり触れられる機会がないように思います。この本は、そんなセイバーメトリクスという単語をメジャーリーグファンの間で定着させたと言われています。

       セイバーメトリクスとは、既成概念にとらわれず統計学的手法を用いて野球のあらゆる分野を分析する営みのことです。

       この本の中であげられている代表例をご紹介しますと、既成概念では打者の善し悪しは打率で判断されていましたが、ビーンは出塁率こそが打者の資質を確かめる上で最も重要だとしました。その心は、出塁率とは言い換えるとアウトにならない確率のことであり、野球とは如何に3つのアウトを取られないようにするかを考えるスポーツだからです。すなわち1つのアウトを献上する送りバントなどはビーンに言わせれば非効率そのもので、それはいかにランナーを前の塁に進めるかという従来の野球観を覆す発想でした(この辺りは『もしドラ』で用いられた戦術に通じるところがありますが、その走りはビーンだったということでしょう)。

       既成概念では打率ばかりが評価されていたこともあり、高打率の打者はそれだけに市場価値が高く、アスレチックスの予算ではとても取り揃えることができませんでしたが、しかし高打率ではなくとも出塁率の高い打者(すなわち選球眼の良い打者)は多く、そんな打者は安価で手に入れることが出来たので、ビーンはそういった選手達を集めてラインナップを組み上げたのです(そんなことが可能だったのは移籍の多いメジャーならではだと言えます)。

       これはほんの一例ですが、この手法でアスレチックスは総年俸では4倍近いヤンキースと同じ程の勝利数を稼いだのですから、そのアプローチがいかに効率的だったのかが窺い知れます。

       このセイバーメトリクスの興りについてもこの本では触れられています。何でも細かくデータ化したがるのはアメリカらしいですが、こと野球というスポーツにおいては、この営みによって球団運営の方法や、ひいてはファンの楽しみ方が広がったのです。データ偏重主義になるのもいけないですが、野球を見る視野を広げるという意味では極上の一冊ではないかと。

       個人的な所感ですと、この本に書かれている内容と比べれば日本の野球はまだ既成概念にとらわれている感じがします。よくメジャーの野球は大味で雑だという意見が聞かれますが、それはまったく逆でメジャーの方がデータに関しては緻密です。そんな意見が出るのはつまるところ、マリナーズのような大味で雑な野球をするチームの中継が多いからだと思いますが(大味な野球をしても勝ててしまうヤンキース戦の中継も以前は多かったですね)、注意深く見ているとホントに面白い野球をするチームはいくらであります。そうした意味でもこの本がメジャーへの入り口にもなると思いますので、個人的には野球ファンに是非お薦めしたい一冊です。

       では今週は『図書館戦争』シリーズと、『マネー・ボール』をご紹介しました。

       ところで、そろそろ新作の執筆に専念したいところなので、こちらの更新もまた隔週に戻そうかと思っています。基本的には2週に1度の更新にしようかと。ですので次回は2週間後ですね。その時は待ちに待った『電脳コイル』Blu-ray Boxも届いているはずなので、そちらの話をしようと思います。

       それでは今週はこれにて。
       






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      川島の本棚 第8回『船に乗れ!』

      2011.10.09 Sunday 22:11
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          秋のこのシーズンには、学園ものでも文化祭を題材にした物語が読みたくなるところでしょう。去年のこの時期には、米澤穂信氏の『氷菓』をはじめとする〈古典部シリーズ〉と、恩田陸氏の『六番目の小夜子』(この時は此花さんにレビューしていただきました)を紹介しました。

         今年もまた、青春小説の中でも文化祭を軸に据えた作品をご紹介します。2010年本屋大賞第7位に入賞した藤谷治氏の『船に乗れ!』です。

         ポプラ文庫

         表紙を見ればお察しいただけると思いますが、こちらの作品は青春オーケストラ小説となっています。では設定からご紹介します。

         時代設定は80年代の初頭ぐらいだと思います。年代は明言されていませんが、40代ぐらいになった主人公の回顧録という形で進みますので、おおよそそのぐらいかなと。ことによると作者の藤谷氏の過去の体験が多分に反映されているそうなので、氏の年齢から推測しています。

         主人公は津島サトル。彼は祖父をはじめとする音楽家の家系に生まれ、中学生の時からチェロのレッスンを受けていました。

         チェロという楽器は、正直自分のようにオーケストラを聴かない人間にはなじみが薄いのですが、弦楽の中でも低音部を担う楽器という認識があれば大丈夫です。高音部からヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスとは音楽の授業で習ったと思います。実物は見たことがないので何とも言えませんが、椅子に座って弾くことからも割り合い大きな楽器のようです。作中でも、なかなか持ち運ぶのが大変だという描写がなされています。

         主人公のサトルは中学を卒業して芸術高校への進学を目指しますが、あえなく失敗。祖父が学長を務める新生学園大学付属高校の音楽科に進みます。この作品を読んでいる感じだと、芸術高校への入学は相当に敷居が高いようですね。

         とはいえ高校の音楽科ですから、自分のような普通科高校の出身者からすると、また別の世界の学園生活という印象を受けます。つまり文化祭というのも演奏会なわけですから、その意味合いもかなり真剣なものになってきます。

         というわけで内容も、高校3年間で3回訪れる秋の演奏会に向けての練習というのがメインになってきます。この音楽科の生徒全員にとって最も重要な舞台が、この秋の演奏会です。

         サトルはこの秋の演奏会に向けたオーケストラ練習の中で、後に親友となるフルート奏者の伊藤彗、ヴァイオリン奏者の鮎川千佳、そして彼の学園生活を波乱のものにする、同じくヴァイオリン奏者の南枝里子と出会います。物語はサトルと南枝里子の関係を中心に進んで行くことになります。

         言い遅れましたが、この小説は全3巻あります。それぞれ『鵯 合奏と協奏』『鵺 独奏』『鶚 合奏協奏曲』とサブタイトルもついています。それぞれの演奏形態が、物語の内容に即しているのは言うまでもありません。"合奏"と"協奏"がどう違うのかとか、"合奏協奏曲"とは何ぞや、という説明は作中にあります。

         さて、それではこの作品を読むにあたってのポイントをいくつかあげていきたいと思います。

         最初のポイントは、読み始める前に心の準備をしてください。結構長い物語です。今一度見開いてみた感じだと、他の文庫本よりも文字がぎっしり詰まっていて、改行もかなり少ないですから、読むのに時間はかかると思います。そして何より問題なのは1巻の最初の60ページです。

         何が問題なのかと言いますと、この主人公のサトル、中学時代はメチャクチャ嫌なヤツだからです。彼の語りで話は進んでいくわけですが、とにかく最初のうちは彼の人を見下したような態度や考えに辟易する人も多いかと思います。前述の文字数の多さもあってしんどさを感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、ここは我慢の一手です。高校に入学する61ページ以降は、まさに怒濤の学園生活が始まりますので、ここからは一気に読めると思います。ただ、彼の人となりを知るという意味でも、この60ページを読み飛ばすのはあまりオススメできませんね。

         次のポイントは、音楽小説だけに、作中で演奏されている曲をある程度知っておくことでしょうか。人間ドラマとして十二分に楽しめる本作ですが、やはり曲も知っておくと世界が広がります。しかし、クラシックに造詣がないと、なかなか曲名を言われてパッと頭には浮かんできませんよね。例えば、チャイコフスキーの『白鳥の湖』より「情景」「ワルツ」「チャルダッシュ」と言われても、「『白鳥の湖』なんてサビしかわかんないや。いや、そもそもあれはサビと呼ぶのか?」という風になりませんか。

         その辺りをより楽しみたい方は、Youtube等で検索をかけると出てきますので、さらっと聴いてみるのもいいかもしれません。作中ではかなりの楽曲が出てきますので、すべてを追うのは大変だと思いますが。

         それに並んで、音楽用語もたくさん出てきます。中学や高校の音楽の授業を聞いていればわかることが多いですが、これは理解できなくてもいいと思います。一応説明もしてくれます。

         他に気をつけるべきところは、決して青春時代の「陽」の部分を描ききった作品ではないことですね。主人公の性格もありますが、どちらかと言うと「陰」の部分が多いかなと。その辺りは冒頭で主人公が回顧録を書くことにしたきっかけを語るところでも察することができます。高校3年間を音楽に費やした津島サトルという人間の行き着くところが最初からわかってしまいますので、全編にどこか閉塞感があるような気はします。

         とは言え、回顧録の中での彼は純粋でひたむきです。時に恋をしながら、仲間達ととことん音楽に打ち込むその様は、素直に楽しめるところです。

         その様相が一変するのは2巻の中盤から。ここで起きる衝撃の出来事を境に、彼の音楽への向き合い方も変わってきます。

         そして、彼は自分の中で1つの答えを出して、第3巻にある高校3年最後の演奏会にのぞみます。そこでもまた、読者の胸を打つドラマが待っているのです。

         長いのであらすじはその程度しか紹介できませんが、1度エンジンがかかってしまえば、ぐるぐるとまわる学園生活のめまぐるしさに自然と引き込まれていきます。衝撃の出来事からは少しずつ重たくなっていくのですが、そこからはまた別の力に引っ張られるようにページをくってしまいます。

         ただ、読後感は彼に共感できるかどうかで変わってくると思います。おそらく僕よりもずっと上の世代の人の方が、彼に共感できるのではないでしょうか。大人の方にこそ読んでいただきたい青春小説ですね。

         ということで、藤谷治氏の『船に乗れ!』をご紹介しました。

         次回なんですが、一応100件目の記事ということになりますので、スペシャルではないですが、また特別なことをしようと思います。

         それでは、本日はこれにて。





         

         

         

         

         

         
         













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        川島の本棚 第7回『サクリファイス』

        2011.08.28 Sunday 23:29
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           もう、夏も終わりですね。皆さんは今年の夏はどう過ごされましたか?僕はですね、書いて書いて書きまくっていましたよ。リポビタンDがマイブームです。

           さて、最近当ブログではスポーツに関する話題を取り上げるようにもなりました。その流れで今回の川島の本棚ではスポーツ小説をご紹介します。飲酒問題で後味の悪くなってしまった高校野球から頭を切り替えていきましょう。

           今日ご紹介するのは、近藤史恵氏の『サクリファイス』です。


                     新潮文庫 

           新潮文庫の夏の100冊にも入っている本作は、2008年の本屋大賞第2位を受賞した人気作品(その時の第1位は伊坂幸太郎氏の『ゴールデンスランバー』)。表紙からもわかるように、自転車ロードレースを題材にしたスポーツ小説であり、青春小説、そしてミステリー小説でもある異色の作品です。

           紹介するにあたって、自転車ロードレースというスポーツとタイトルの説明が必要だと思います。自転車ロードレースというのは日本ではマイナースポーツとされていて、一般的には競輪とどこが違うのかも認識されてはいないようです(ちなみにヨーロッパではサッカーに次ぐ人気競技とのこと)。

           両者の違いを一言で言いますと、ロードレースはチーム競技、競輪は個人競技と分けられます。ロードレースは複数名でチームとして走り、その中の1人(基本はチームのエース)がそのレースで1位を取ることを目指します。残りの走者は、いずれもエースのアシスト役に徹するのです。

           しかし、自転車競技でアシストとはいかなるものか、ピンとはこないと思います。例えば、アシスト役はレースの中盤まではエースのすぐ前を走ります(これを前を引くと言います)。なぜそのようなことをするかと言うと、エース走者が受ける空気抵抗を抑え、彼の体力の消耗を抑えるためです。作中の説明によると、前の走者にぴったりとくっつくことで、かなり体力の消耗が抑えられるとのことです。

           他にもアシスト役は、エースへの補給食や飲み物の運搬、他チームへの牽制なども行います。アシストはエースのため身を捧げ、エースはチームのために勝利をもぎ取るという、他のスポーツではあまり見られない図式が、このロードレースの世界にはあります。

           タイトルの『サクリファイス(SACRIFICE)』は日本語でいうところの『犠牲』。この自転車ロードレースというスポーツそのものを象徴する言葉でもあり、作中では物語の核心を突くヒントして、さらなる意味が付されます。

           ところで、自転車ロードレースを題材にした作品では、個人的にはアニメ映画『茄子 アンダルシアの夏』、そのOVA『茄子 スーツケースの渡り鳥』が思い浮かびます。この作品も『電脳コイル』、『サマーウォーズ』を手がけたマッドハウスによる制作です(自分の好きな作品にはマッドハウスが多い......)。この頃からロードレースに多少の興味はありましたが、やはり日本では放送がほとんどないというのがネックで、それ以上踏み込んでなかったんですよね。しかしながらこの両作品、ロードレースの魅力や厳しさが余すところなく描かれ、そこにもちろん人間ドラマもあり、スポーツ好きには見応えのある作品だと思います。よろしければこちらも一緒にどうぞ。

           閑話休題。『サクリファイス』の主人公は、日本のプロチーム、チーム・オッジに所属する白石誓、23歳。高校では陸上の中距離走でインターハイ1位を獲得するという実力者だったが、「勝つ」ことに対する喜びが感じられなくて陸上部を辞め、偶然出会ったロードレースの世界に飛び込んだ。大学卒業後すぐにオッジに入団した彼の最上の喜びは、アシスト役に徹し、チームのエースを勝たせること。

           同期である伊庭和実は、誓とは正反対の性格で、自分の勝利こそを最上とする未来のエース候補。すでにチーム内でも頭角を現しつつあった彼は、しかしその強すぎる自我から、チーム内では浮きつつある存在だった。

           そして物語のキーマンはチーム・オッジのエース、石尾豪。小柄ながら日本を代表する実力を持ち、冷徹非情にアシストを駒にして勝利だけを目指す。

           チーム内では伊庭と石尾の間に不穏な空気が漂っているのに敏感に反応する選手が多かった。なぜなら石尾豪は3年前、伊庭と同じようにチーム内で台頭しつつあった袴田という選手にレース中わざと怪我を負わせ、選手生命を絶ったという疑いがあるからだ。

           誓は当初、その噂を信じようとはしなかった。伊庭も先輩達から聞かされていたが、まさかとは思っていた。

           そんな折、誓にチャンスが訪れる。本場ヨーロッパ、スペインのチームが日本人選手を欲しがっているというのだ。日本人がヨーロッパのチームに入団できることこそ希有なことで、当然若い選手はそれを夢見て走っている。しかも誓は、直近の日本でのレースで結果を残していた。誓と伊庭は、このチャンスを絶対にものにしようと意気込む。その2人に、石尾は何を思うのか。そして、3年前の事故の真相は。

           また、青春小説の要素として、誓の元恋人の初野香乃が登場する。誓が高校陸上部にいた時まで付き合っていた2人だったが、ある理由で別れることになった。誓が陸上をやめたのも、その出来事が関係している。

           大学時代は会わず数年の時が経ち、新聞社に就職した香乃は、事故で自転車ロードレース界から去った袴田と取材の場で出会う。そこからロードレースで活躍する誓のことを知る。そして袴田から石尾の噂を聞きつける。

           そのことを誓の耳に入れたいと思った香乃は、チーム・オッジの海外遠征に先回りする。2人は遠い異国の地で再会を果たす。

           しかし、誓の傷と香乃の傷は昔のまま。2人の埋められない心が、運命を大きく動かす。

           惨劇は再び起きてしまう。

           大体の物語の流れはこんな感じです。序盤は純粋なスポーツ小説という雰囲気にして、3年前の事故が明かされてから、影が落ち始めます。惨劇が再び起こってしまってからはミステリー。それも最後の最後まで展開が二転三転し、予想だにできない結末が用意されています。

           ロードレースを題材にしているだけあって、スピード感のあるテンポで物語は進みます。300頁にも満たない分量も合わせて、あまり長い物語という印象は受けません。また、ロードレースがまったくわからないという人でも読めるようになっています。

           その中にちりばめられた、スポーツ、青春、ミステリーという3要素の密度の濃さといったらありません。すべての要素が展開に絶妙に絡んでおり、一貫してムダのない小説とはこのことを言うのだと思います。

           そして作中からひしひし感じられるテーマ。それは、勝利至上主義のプロ意識と自己犠牲。どんなスポーツにおいても重要な要素ではあると思いますが、それが顕著な自転車ロードレースという題材を用いることによって、そこにリアリティが付与されています。

           ところが、このあまりにも強すぎるプロ意識、そして自己犠牲の精神が、作中の惨劇につながります。いかにも日本人的なこの考え方が引き起こした事故に、無常の虚無感を覚え、一方で美しさを感じるというのは不思議なものです。この結末は涙なくしては読めません。しかし読後にはやり切れなさが残ります。主人公、白石誓のように。

           とは言え、僕の好きな終盤のどんでん返しを含め、最近読んだ中では1番の傑作でした。残りわずかな夏休み。読書感想文の宿題にどうでしょうか。

           本日はこれにて失礼します。



           

           



           
           










           
           
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          川島の本棚 第6回『新世界より』

          2011.07.24 Sunday 22:58
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             先週の記事を投稿した深夜、なでしこJAPANが女子W杯を制覇しましたね。遅ればせながらですが、あの決勝には感動しました。2度勝ち越されても食らいつく、不屈の闘志というものを見た気がします。サッカーは男子のアジア杯制覇といい、明るいニュースが続いているんですけどね。今回の優勝は、苦境にある東北の人々にとっても、希望の光となったでしょうね。

             さて、「夏はやっぱり涼しい部屋で読書でしょ」ってことで、今回は久しぶりの川島の本棚。随分と間隔を空けただけに、色々と紹介したい本は溜まってきています。もしかしたら来週も、この企画にするかもしれません。他にネタもないことですしね。

             紹介に入る前にですが、皆さん。日本SF大賞って御存知ですか。僕も偉そうな顔して言えるほど詳しくはないのですが、このブログを見られている方ならなんとなくピンと来るはずです。そうですね。アニメ『電脳コイル』が受賞した数ある賞のうちの一つ。SFファンの人気投票で決まる星雲賞とは違い、プロがプロの作品を選ぶSF賞です(by Wikipedia)。今回紹介する小説は、第29回日本SF大賞を『電脳コイル』と同時受賞した、貴志祐介氏の『新世界より』です。



              『新世界より』 講談社文庫

             画像は上巻。この後中巻、下巻と続きます。1冊大体400ページ強〜500ページ弱なので、まあ、大ボリュームということになりますな。川島の本棚で取り上げた小説の中では群を抜いて長大な物語ということになります。まずは皆さん、その長さに恐れをなさないでください。ひとたび物語りが動き始めてからは、怒濤の展開であっという間に読み切れてしまいます。

             先に紹介した通り、本作品はまごうことなきSF小説です。それでは概要を見ていきましょう。上巻の裏表紙の内容紹介にはこうあります。

             
             1000年後の日本。豊かな自然に抱かれた集落、神栖66町には純粋無垢な子どもたちの歓声が響く。周囲を注連縄(しめなわ)で囲まれたこの町には、外から穢れが侵入することはない。「神の力(念動力)」を得るに至った人類が手にした平和。念動力の技を磨く子ども達は野心と希望に燃えていた......隠された先史文明の一端を知るまでは。


             はい。これを初めに本屋で見た時はですね、なんかビビッときたんですよね。なんとなく似てなくはないですか?『電脳コイル』の世界観に。

             僕がまず思ったのは、注連縄で囲まれて祓い清められた町、というのは、逆に言えば注連縄の外を異界と捉えているんだなということですね。これが非常に興味深い設定で、『コイル』の異空間にも通ずるものがあるんじゃないかと思ってわくわくしたものです。

             物語は主人公、渡辺早季の回顧録という形で進みます。すべてが終わった後に、一連の出来事を振り返っているという設定です。物語の序盤、幼少期の記憶からは、注連縄(八丁標)の外になぜ行ってはいけないのか、そこに何があるのか、ということを大人達にどう教えられたのかが語られます。ぶっちゃけるとそこには、そして悪鬼と業魔という魔物が棲んでいるらしいんです。

             よくあるような妖怪ものにも聞こえます。しかし物語の中盤以降徐々に、その正体が見えてくるんですよね。怖いですよ。色んな意味で。舞台が1000年後の日本というのも面白い設定で、現代人の感覚から捉えると、この発想って古代のものだなと思うのですが、歴史はまわり回って元に戻ったようです(逆に作中では、我々が生きているこの時代こそが古代、あるいは先史時代と呼ばれています)。

             それもそのはず、この時代の人類は文字通り神の力、サイコキネシスが使えるようになっているんですね。穢れや禊ぎ、祓えというものが真に効果を持っています。

             しかしファンタジーじゃあるまいし、そんな魔法の力、サイコキネシスが使えるって正直どうよ、とは思いました。SF的には陳腐な設定ではないかと。僕は物語にある程度の合理性を求めるタイプですから。

             しかし、この呪力と呼ばれる力をいかに使い、いかに制御するかというのが、物語の中の大きなテーマになっているのです。これがものすごく深いんです。設定の陳腐さなど、そこから語られるメッセージに心を打たれれば、気になることはありません。

             さて、人間にこの呪力があると認められたのは、どうやら今、現代辺りのようです。呪力は当初、限られた人のもので、それもごく小さな力にしか過ぎませんでした。

             ところが呪力をもつ人間が起こしたある事件がきっかけで、いわゆる魔女狩りが行われるようになります。そこからESPと非ESPとの間の抗争へと発展。果てに、呪力は人を簡単に殺せる力を得るようになります。

             そこから紡がれる人類の血塗られた歴史は、目を覆いたくなるような残虐性と冷酷さを内包しています。その歴史の反省から築かれたのが、物語の舞台となる日本です。総人口は、今の何十分の一に減っているようです。

             まさに人間の残忍性もテーマの1つ。これほどまでに血が流れる小説もあまりないでしょう。多少の残酷描写アリです。また、平和を維持するための残忍性というのは、これまた考えさせられるものがあります。その辺りは前々から紹介している『No.6』とも通じるものがあります。僕は作品の最後の最後で明かされるとある事実に背筋が凍る思いがしました。長い物語のラストに、人間という生き物の罪深さが明らかになります。

             それから、1000年も未来の物語であるにも関わらず、現代社会が抱える矛盾へのアンチテーゼにもなっているところも好印象。具体的に言うなら、核兵器、生物兵器ですね。これは結びつけ方がうまいと思いました。

             長い小説なので、内容を紹介するのが難しく、こういったテーマ的な部分しか伝えられないところで、またこういった暗い部分にばかり焦点を当てていいのかとは思います。が、作品の内容を振り返るに、やはりこういったことばかりが頭に浮かびます。ストーリーは空前絶後の冒険活劇なんですけど。

             最初はこの独特の世界観に入っていきにくいかもしれません。しかし上巻のある程度まで読むと、上述したようにあとは一気読みです。SF小説としての設定の緻密さ、そこから紡がれるストーリー展開の読めなさ、悪鬼や業魔に秘められた謎、伏せられてきた人類の歴史、などなど、物語を引っ張る要素は多分にちりばめられています。特に下巻は戦慄のおにごっこ。暑い夏を涼してくれること請け合いです。

             今回は貴志祐介氏の『新世界より』をご紹介しました。次回の川島の本棚では、再び青春小説をご紹介しようと思います。それでは。

             

             

             
             
             



             










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            川島の本棚 第5回 『向日葵の咲かない夏』

            2011.02.25 Friday 23:30
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               本題に入る前に少しお知らせがあります。大したことではないのですが、『春』の方は来週パート1つ分の更新にしようと考えています。第24話のプロローグパート(part0)のみです。

               今週の更新では終盤、急に話が進展して読者を置いてけぼりにしてしまったかもしれません。これも話を引っ張るために、時系列を色々と工夫しているからですが、来週更新分のパートで今回の謎(つまりイサコがあの事になぜ気付いたのか)が明らかになると思います。物語の中でもかなり重要な位置を占める来週のパートは、少しこれまでとは趣が違いますので、じっくり読んでいただければと思います。

               さて、今回は久しぶりに「川島の本棚」をお届けします。これで第5回目ですね。最近はずっと『関西edition』を連載していましたが、その執筆を中断してでも、今日取り上げる本はどうしても皆さんに紹介したかったので、今回はこれにお付き合いください。

               さて、先月に直木賞と芥川賞が発表されたのは皆さんの記憶にも新しいところだと思います。今回取り上げるのは、その選考にて『月と蟹』で直木賞を見事受賞した道尾秀介氏の著書、『向日葵の咲かない夏』です。


                   『向日葵の咲かない夏』 新潮文庫

               直木賞受賞作の『月と蟹』は未読ですが、メディアでもよく取り上げられているので、皆さんもレビューを目にする機会は多くあると思います。その紹介は今回はいいでしょう。

               それでは『向日葵の咲かない夏』の話に入ります。こちらの本、帯に「2009年最も売れた文庫本」と書かれていたのを見つけて思わず手に取ったのを覚えています。(僕が購入したのは去年のお話です)。そんなベストセラーを紹介するとはかなり今更感があるのですが、しかしこの本、読了後に誰かに薦めたいという衝動に駆られる魔力を持っています。実際、今現在も僕の中で友人に薦めたいという欲求がふつふつと沸き上がっており、このブログで取り上げない手はないと思った次第です。

               元々読書家ではない僕がこんな気分になるのは、特に珍しいわけではないのですが(だからこそ頻繁にこのコーナーをブログで立てているのでしょう)、今回ばかりはマジのガチです。(もちろん、今まで紹介した本を軽視しているわけではありません。ただ、皆さんに紹介したいという情熱が今回ばかりは桁違いなだけです)。

               そんなに期待を持たせてハードル上げて大丈夫かいなと思われた方、まずは以下の紹介文に目を通してみてください。ただし、この本は末尾の解説において、内容的には「好き嫌いの分かれるタイプの小説」ではあるだろうという評されており、確かにそういう一面もあります。これからあらすじを紹介しながら、この本を読むにあたっての僕が思ったちょっとした注意点を上げていきます。それを見た上で「そんなの気にしないよ」と思われた方、書店に急ぎましょう。

               この物語の主人公は小学4年生のミチオ君。著者の名前も道尾ですが、こちらは姓ではなく名前です。彼は夏休みを迎える終業式の日に、先生に頼まれて欠席した級友の家に届けものをしに行きます。その道中、彼はとある空き地で猫の死体を見つけます。両足が折られ、口には石けんを突っ込まれているという無惨な姿をした死体を。実はこの1年、彼の住む町ではそれと同様の犬猫の死体があちこちで見つかっていました。ミチオはそれを見て、思わず逃げ出してしまいます。

               イヤなものを見てしまったという思いで級友のS君(終始彼はイニシャルです)の家についたミチオ。ところがそこで、今度は首を吊って死んでいるS君を見つけます。彼はまた来た道を引き返し、学校に駆け込んで先生にそれを伝えました。ところが、先生が警察を連れてS君の家に行ったところ、S君の死体が忽然と消えていたのです。

               結局S君は行方不明扱いになり、ミチオが不思議な思いを抱えたまま一週間が過ぎたある日、S君はあるものに姿を変えて彼の前に現れます。そしてミチオにこう言います。「僕は殺されたんだ」、「持ち去られた僕の死体を探してほしい」と。彼の無念を晴らすため、ミチオとその妹、3歳のミカは事件を追い始めます......

               いつも引き合いに出しますが、『電脳コイル』とは主人公の年齢設定が近いです。基本的に主人公のミチオ君の語りで進みますので、文章は平易で読みやすく、改行も多いので文庫にしては分厚い460ページの容量もすぐに読めてしまうと思います。そういう意味では学生や読み慣れていない人向けな本ではあると思うのですが、しかし、あらすじからもわかるように、雰囲気は暗いです。と言うより、最初から鬱展開が続きます。あらすじには書きませんでしたが、ミチオ君は家庭内でもあまりうまくいっていません。

               その中でも特に注意したいのは、作中でちょっと変な性癖を持った人が出てくること。これは小学生目線の描写で生々しさは回避されていますが、若すぎる人にはあまり向いていないです。高校生ぐらいの人で、自重するかどうかは自己責任という感じです。そういうの苦手な人は避けた方が無難かもしれません。

               それからもう1つの注意点は、動物虐待のシーンがあること。もちろん、あらすじにもある通り人間も死にますし、その辺りの描写で思わず顔をしかめてしまうものもあります。しかしフィクションにおいて人が死ぬことに対しては、ある種の耐性がついてしまっているというのはおかしな言い方ですが、まあそこまで気にしていては読める本も限られてきます。しかしそれが犬猫などの身近な動物となると、また話は変わってくるように思います。『電脳コイル』ではペットと飼い主の絆や、その温かみが描かれていますので、このブログを見ている方達にとって、そのようなシーンはなおさらショッキングなものになるやもしれません。そういうのはダメかもしれないと思われた方も、避けた方がいいです。

               さきほどからなにを作品の暗部だけクローズアップしているのかと言われそうですが、基本的にこの作品の空気感はこのようなものなのです。全体として陰鬱とジメジメした雰囲気で、人間の影の部分だけしか見えないような、そんな小説です。

               これで完全にネガティブイメージが先行するでしょうし、これが2009年最も売れた文庫とはにわかに信じがたく、僕も前半は「よくこれがベストセラーになったなあ」と思っていたぐらいです。ではこの小説にどんな魅力があるのか、この小説の何がすごいのか。それを次に紹介していきます。

               個人的な感想では、この物語は序盤からとにかく引き込まれます。鬱な展開がこれでもかと続くのに、何故かページをめくりたくて、先が読みたくてどうしようもなくなります。自分の中ではこんな暗い小説が好きだった自覚はなく、上述したようにこれがベストセラーなのかという疑問を持ちながらも、しかし先の展開が気になってしまう。これは道尾氏の独特の世界観に由来しているものだと思います。

               この小説、解説においてはサイコ・サスペンスとカテゴリー化されているのですが、一言で説明するなら超自然的な現象が起こるサスペンスということです。さらに具体的なヒントを出すなら、死んだS君はある動物となってミチオ君の前に現れるのですが、これだけでその独創性は伝わりますよね。

               また、先を読ませたいと思わせる計算し尽くされた展開力も、同時に道尾氏の武器の一つなのでしょう。作中で起こった事件は、生まれ変わったS君が色々と語ってくれるので、かなり早期に真相が見えてきます。ところが、単純だと思っていた事件はミチオ君が調査していくうちに新たな事実、新たな要素が発見され、かなり複雑な構造をしていることが判明します。後半にさしかかると登場人物達の過去が明らかになり、やがてすべての事件が1本の線につながった時、驚愕の事実が浮かび上がります。

               とすると、確かに面白そうな内容ではあっても、まあまあミステリーやサスペンスとしては抜きん出たものがないような印象を受けられるかもしれません。しかし事件の真相解明だけで終わらないのがこの物語の特徴であり、ベストセラーとなった所以でもあると思います。

               それでは僕がこの作品で衝撃を受けたのはどのようなところなのか。僕は一応小説を書いている身であり、書くからには皆さんをあっと驚かせるサプライズを仕込みたいと常々思っております。その点で、この作品はまさにそれを究極的に体現していると思うのです。絶対に読者は”ミスリード”をしてしまうのです。

               この言葉の意味はなんとなくわかりますよね。読者に「ははあん。真相はきっとこうなんだな」と思わせる伏線を張っておきつつ、最終局面でまったく事実は異なっていたと明かして驚かせることです。どんでん返しのためにわざと読者を誤った方向に導くこと。「読者のミスリードを誘う」なんて言い方をしますが、例えば小説版『電脳コイル』では、イサコを操る声が兄だったことがそれにあたります。(ちなみにこの言葉は此花さんのメールで初めて知りました)。

               それがこの作品では、あるとんでもない事実を、物語の始めから終盤まで僕達読者を騙して隠し通しているのです。これは絶対に騙されると思います。”道尾秀介に騙される”という有名な言葉があるほどです。しかしそれを明かされて思い返してみると、確かに不自然な描写があったことを思い出させるのです。

               そしてこれを読み終えた人はこう思うはずです。「すぐにもう一度読み返したい」。つまり、終盤で明かされたその事実を踏まえることによって、小説全体の印象が最初からがらりと変わってしまうのです。そして、僕達を騙しながらさりげなく張られていたどんでん返しのための伏線を確認したくなるのです。こんな小説は、なかなか出会えないと思います。

               そしてこの本をすぐに誰かに薦めたいという僕の衝動も、きっと理解していただけると思います。皆さんもこれを読み終えてもし同じ気持ちになったら、この本を「騙されたと思って読んでみ?」と誰かにムリヤリでも薦めてみてください。そして後日、読み終わったその人にこう言ってあげましょう。「ね?騙されたでしょ?」と。

               我ながらうまくまとまったので、この辺りにて今回は締めます。直木賞作家、道尾秀介フェアということで、おそらくこの本も書店の目立つところに置いてあると思います。ではこのブログはまた再来週。次回も何をするかは今のところは決まっていません。考えておきます。それでは。
               

               

               

               



               

               
               















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              川島の本棚 第4回 米澤穂信 <古典部シリーズ>

              2010.10.22 Friday 22:37
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                 さあ今週も読書の秋フェアということで、1年通して最も書店が熱くなる時期に乗っかってですね、僕のイチオシ本を紹介していきたいなと思っています。今回は話題書1冊と、シリーズものの3冊の、計4冊を一気にご紹介します。

                 取り上げる作家さんは第1回目でご紹介した『ボトルネック』の米澤穂信氏です。僕が初めて手に取った米澤作品がこちらでして、このブログにも書きましたように衝撃を受けました。それ以来米澤氏のファンとなったわけですが、これまで読んだ中でも非常に楽しめたのが<古典部シリーズ>と呼ばれている作品群です。米澤氏のデビュー作シリーズでもあるこちらを今回はご紹介します。

                 しかしその前に話題書のお話をしたいと思います。先週の土曜日から公開が始まった『インシテミル』という映画は皆さん御存知でしょうか?こちらの原作も米澤氏の著書であることは、前にここでも触れたかと思います。こちらについても少しだけ紹介させていただきます。


                  『インシテミル』 文春文庫

                 本格ミステリーであるこの『インシテミル』は、このブログで紹介する作品の趣旨に合わないのですが、一言で説明するなら殺人ゲームのお話です。例えるならそうですね、ミステリー調『バトルロワイヤル』、殺し合い『LIAR GAME』というところになるでしょうか。とある人文学的実験のために、破格の時給に釣られた12人の被験者は、7日間地下施設に閉じ込められます。そこで主催者側から殺し合いを強要されます。人を殺せば賞金は増え、探偵として犯人を的中させた場合も賞金は増える。逆に探偵に殺人を指摘された者は大幅減額。また、殺された被害者も賞金が増えるという変わったルールも存在します。

                 底知れぬ恐怖、他者への疑念、心理戦。終始気を張り続ける小説であることはこれだけでも察せられると思いますが、そのスリルを逆に楽しむこともできるかと。ミステリーファンの方にとっては王道のクローズドサークルと呼ばれるジャンルにあたります。先ほど例にもあげさせてもらった、『バトルロワイヤル』や『LIAR GAME』などが好きな方は手に取ってみてはいかがでしょうか。

                 さて、それは置いといて<古典部シリーズ>のお話をしていきましょう。『インシテミル』のような血なまぐさい作品というのは実は米澤作品としては少数派です。米澤作品の多くは血が流れないミステリー、いわゆる「日常の謎」というジャンルに属します。その原点にして米澤氏のデビュー作が『氷菓』。第2作目が『愚者のエンドロール』。そしてシリーズ第3作目が『クドリャフカの順番』。先ほどから連呼していますが、これらは<古典部シリーズ>と呼ばれています。実はこの後にも第4作目『遠回りする雛』、第5作目『ふたりの距離の概算』が出版され、シリーズは現在5作出ているのですが、第3作目の『クドリャフカ』で話は一区切りしているので、今回はこの3作をご紹介することにします。

                      
                        
                    
                    『氷菓』・『愚者のエンドロール』・『クドリャフカの順番』 角川文庫
                       (画像の都合で『クドリャフカ』だけ大きくなってます)

                 まずこのシリーズの基本設定から説明します。
                 
                 舞台はとある地方都市の公立高校。いたって平凡なこの学校の唯一の特徴は、文化部の数が半端じゃないこと。そして文化部の活動の日頃の成果が発揮される舞台、文化祭が異様に盛り上がること。この3作目までは、文化祭というものが軸となって話が進みます。

                 主人公は「ムダなことはやらない。やらなければいけないことは手短に」をモットーに掲げる省エネ主義者、1年生の折木奉太郎。学校の部活に参加するつもりのなかった毛頭なかった彼ですが、ひょんなことから数ある文化部の中でもその存在すらほとんど知られていない<古典部>に入部することになります。

                 <古典部>に部員はいないだろうと踏んでいた奉太郎は、その部室を独占して入り浸りの空間にしようと考えていました。ところが、いざ部室に行ってみるとそこには同じ1年生の入部希望者の姿が。そこから物語は始まります。

                 彼と<古典部>の部室に居合わせたのはその土地の豪農の令嬢、千反田える。好奇心旺盛な彼女は日常のささいな謎が気になって仕方のない性格で、省エネ主義の奉太郎とは対置される存在です。しかし奉太郎は彼女に引っ張られる形でついついその謎について考えてしまう。そこから彼は秘められた探偵の才能を発揮し始めます。

                 彼の助手役となるのが、中学校からの親友福部里志。高校生とは思えない知識量とボキャブラリーを備えた里志は、普段は無気力奉太郎の言動へのツッコミ役としてそばにいる。彼自身の行動力は並大抵のものではなく、色々なものに首を突っ込もうとするところは、また奉太郎とは真逆。手芸部と生徒会総委員を兼ねる彼も、面白そうという理由で<古典部>に入部する。(部の掛け持ちは認められている)

                 最後に、探偵としての奉太郎の推理に常に厳しい目線で指摘を入れる役として、小学校以来の奉太郎の顔見知り、伊原摩耶花が登場する。童顔美人の彼女は責任感が人一倍強く、そして他人にも厳しい。奉太郎には常に毒を吐き続ける。一方で福部里志に好意を寄せており、ふとしたきっかけで千反田えるとも仲良くなって、漫研に所属していた彼女も<古典部>に入部する。

                 これが主要登場人物4人です。物語は主人公、折木奉太郎の1人称で進みますが、このシリーズの魅力は個性豊かな4人の絡みであり、キャラクター重視という点においてはライトノベル感覚で読むことができます。明快な文章や軽快なテンポもいいですね。ここから日常の謎を主題に、ちょっぴりほろ苦い青春ミステリーの幕が開けます。

                 まず第1作目の『氷菓』。こちらの作品ではまず序盤に、日常の謎というのは何ぞや、という読者のために肩ならしのようなちょっとした不思議な出来事が起きます。千反田えるの好奇心はここから暴走を始め、ついこの時に謎を解いてしまった奉太郎とは、依頼人と探偵という立ち位置が出来上がります。
                 そうしてこの作品の大筋は、<古典部>とは一体何をするクラブなのかわからん、という話から始まります。<古典部>に在校生の先輩はいない。しかしどうやら文化祭に向けて文集を作るのが活動の1つらしいことがわかる。4人しかいない<古典部>の部長に就任した千反田えるは、是非その文集を作ろうと意気込む。しかしこれまで<古典部>がどういう文集を作って来たのかわからないという話になり、とりあえずバックナンバーを探すことに。
                 そんな折、奉太郎は千反田えるからあるお願いをされる。千反田が<古典部>に入部したのは、幼い時に彼女の伯父が<古典部>に在籍していたという話を話を聞いたからだった。しかし彼女の伯父は<古典部>にまつわる過去を忌避していたようだったという。とある事情でもうその伯父と会えなくなったえるは、その伯父の過去を解き明かしてほしいと奉太郎に依頼する。
                 そうしてようやく見つかった<古典部>の文集の題名は『氷菓』。えるの伯父が付けたというその題名にはあるメッセージが秘められていた。同時に見えてきたのは、えるの伯父が<古典部>部員だった33年前に起こったある事件。その真相を奉太郎達は推理する。

                 このシリーズの入り口とも言える第1作目ですが、後の作品にも引き継がれる要素が存分に詰まっているので、はずすことはあまりお薦めできませんね。主人公で探偵役の折木奉太郎ですが、彼は省エネ主義を掲げているだけあって、行動的ではありません。現場には行かずに事件についての伝聞情報だけを頼りに推理する、安楽椅子探偵の性格を帯びています。特に今作は対象としているのが33年前の事件であり、現場を見るということはできません。物語の終盤に<古典部>の4人は、それぞれが集めた情報を頼りに推理合戦を展開します。このやり方はシリーズでも事件解決の基本スタンスになっていきます。

                 では次に第2作目、『愚者のエンドロール』。(このシリーズの中で個人的には最も好きなお話です)。夏休みを謳歌していた奉太郎に、千反田えるがまた厄介な話を持って来る。2年生のとあるクラスで、文化祭の出し物にミステリー映画を撮影していたという。奉太郎達はその試写会に呼ばれた。ところがその映画は事件が発生したところで謎解き部分を残したまま終了してしまった。聞くところによると、その脚本を書いていた女子生徒が神経をすり減らして寝込んでしまったらしい。そのため謎解き部分の脚本が未完成のまま滞ってしまった。文化祭まで時間もないので新しい脚本を用意する時間もない。そのクラスの生徒、入須冬実は奉太郎の探偵能力を聞きつけ、彼にこの映画の迎えるべき最良の結末を考えてほしいと依頼する。
                 この話の面白いところは、寝込んでしまった脚本家の女子生徒は決してミステリーに造詣が深くないことです。クラス映画のようにクオリティーを求められない作品において、ミステリー素人が一体どこまでの整合性を持った脚本を書こうとしていたのか、まずはそこが問題になります。奉太郎達はまず、そのクラスの中で自分が考える結末が正しいと自負する3人の生徒の話を聞くことになります。ところが3人はそれぞれ別の結末を描いていました。その3人の話を手がかりに、あらゆる可能性を消しながら、奉太郎は果たして脚本家である女子生徒の描いた結末に辿り着けるのか?

                 続いて第3作目、『クドリャフカの順番』。これはもうお祭り小説です。ついに待ちに待った文化祭の日がやってきます。この作品のみ、主要登場人物4人全員の語りで進んでいくことになります。
                 この作品の<古典部>では早々にトラブルを起こります。文化祭で販売することになっていた4人で執筆した文集『氷菓』を、発注ミスで大量に作り過ぎてしまったのです。それを売りさばくために、福部里志はある提案をする。「文化祭のあらゆる出し物に参加して、<古典部>を宣伝しよう」。その提案は受け入れられたが、実は里志は単に文化祭を楽しみたいだけだった。
                 そんな文化祭の開催中、奇妙な連続盗難事件が発生する。盗まれたものは碁石、タロットカード、水鉄砲......里志はまた、この事件を解決して<古典部>の知名度を上げようと言い出し、仕方なく奉太郎はそれに付き合うことに。
                 全体的にはミステリー半分、お祭り半分の割り合いの作品という印象を受けます。正直ミステリーとしては第2作目の方が個人的には数倍面白いのですが、今作はドラマとしては熱いです。
                 キーパーソンになるのは漫研の活動にも参加している伊原摩耶花。その漫研の中でもちょっとしたトラブルが起き、彼女は少し居づらい思いをします。そのトラブルも物語の本筋に絡んできたり。
                 そして今作は前2作とは違って少しほろっとくる場面があります。自分が好きで好きでたまらないものがあるのに、でも自分にはその才能がないと見切りをつけなければならない時ってあると思うのですが、高校生である彼らのそんな苦い経験が今作は描かれています。ここは個人的にぐっと身につまされる思いがしました。ちょっぴりほろ苦い青春ミステリーの本領発揮です。
                 
                 以上<古典部シリーズ>の3作品を紹介しましたが、共通するのは古典ミステリーが物語の鍵となっているところです。例えば『愚者のエンドロール』では、ホームズの作品群がヒントになっていたり、『クドリャフカの順番』の事件ではクリスティーの作品がモデルになっていたり。僕はミステリー素人なのでこれらを読んだことがないのですが、逆にそれらを手に取るきっかけになると思います。特に僕のようにこれまでミステリーをあまり読んでこなかったという方、この日常の謎から挑戦してみるのもいいかもしれません。川島の本棚は以上です。

                 さて、今後このブログをどうしようか考えていたんですが、休養のためにとりあえず来週はお休みにしようかと思います。11月は全休を視野に入れていると前に書いたんですけど、それはちとサボり過ぎな気がしてきました。もしかすると隔週になるかもしれませんが、11月もなんとか更新していこうかなと思っています。とりあえず次は11月の第1週に。可能性として一番高いのは『電脳コイル 関西edition』の連載開始ですが、どうなるかはまだ決定していません。それでは、皆さんも文化祭シーズンを謳歌しましょう。ばいちゃ。


                 
                 

                 

                 
                 

                 
                 
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                川島の本棚 第3回 『六番目の小夜子』

                2010.10.15 Friday 23:09
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                    気がついてみればすっかり秋です。暑いですけどね、まだ。しかし朝夕はぐっと冷え込んでおりますので体調管理にはくれぐれもご注意を。

                   先週も最後に告知しましたが、今週と来週は読書の秋フェアということで、2週続けて「川島の本棚」をお送りしたいと思います。秋の夜長のお共に、皆様が退屈しないような本を紹介できればと思います。

                   ちなみに秋といえば、学校でも様々なイベントが開催される時期でもありますよね。体育祭に、なんと言っても文化祭。個人的にはクラブ活動や修学旅行に以上に学校での思い出がたくさん詰まっているのが文化祭です。あのお祭りムードも大好きですが、特に高校3年の時の文化祭は、これで最後という儚さから熱いドラマが生まれることもあります。

                   今回と次回で紹介する本は、そんな文化祭が物語の鍵となってくる学園青春小説です。前回予告しました通り、今回ご紹介するのはこちら。


                  恩田陸 『六番目の小夜子』 新潮文庫

                   このタイトル。電脳コイルファンの方なら1度は目にしたことがあるはずです。皆さんもよく御存知ですよね。こちらは小説版『電脳コイル』の著者である宮村優子氏が脚本を手がけた同名ドラマの原作です。ホラー、SF、ミステリーなど幅広い活躍を見せる恩田陸氏のデビュー作でもあります。

                   まずは『電脳コイル』に絡めてドラマ版の話をしましょう。実は僕はドラマを見たわけではなく、その中で宮村氏がどのような脚本を作り上げたのかはわからないので滅多なことは言えないのですが、電脳コイルの磯監督がどうして小説版の執筆を宮村氏に依頼したのか、その理由が磯監督のホームページに書かれていました。それによりますと磯監督がNHKで放送されていたドラマ『六番目の小夜子』を見て、「この人ならこの作品の魅力をわかってくれる!」と思い立ったのがきっかけだそうです。そこから監督が脚本の相談を宮村氏に持ちかけたそうで、その時に宮村氏は瞬時に電脳コイルの魅力を理解されたとのこと。脚本に関する問題の解決にも宮村氏は多くのきっかけを示されたそうです。そのような経緯があり、電脳コイルの小説版の話が出た時に磯監督は迷わず宮村氏を指名されたということです。

                   その原作であるこちらの本ですが、『電脳コイル』に通じるジュブナイルのエッセンスが存分に詰め込まれています。と言うよりも、空気感や設定においてすごく近しいものがあるんですよね。ドラマ版が2000年なので、『電脳コイル』に多大な影響を与えたのは間違いないでしょう。

                   というところで中身の紹介に入りたいと思うのですが、実は僕がこの本を手に取ったのは、現在連載中の『3.00』を執筆されている此花さんのご紹介があったからでした。なので僕がしたり顔して紹介するのはなにか違うなと思うところがあり、また愛読家である此花さんのお言葉の方が説得力があるだろうなというところで、この作品のレビューを書いていただけないかとお願いしましたところ、快諾いただけました。重ねて此花さんにはお礼を申し上げつつ、そのレビューを以下に掲載させていただきます。

                   ところで見ていただければわかると思うのですが、こちらのレビュー、改行スペースがものすごく間延びしていて読みにくくなってます。すいません。このブログ、コピーペーストにメチャクチャ弱いらしくて、こうしたバグが起こってしまうのは避けられないようです。お手数かけますが、横にあるバーの方を、ずーっと下にずらしながら読んでください。

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                  こんにちは、此花です。                                                                      今回僭越ながら『六番目の小夜子』について一文をものさせて頂くことになりまして、汗顔恐縮の至りです。自慢じゃありませんが、小学校以来作文というもので人に褒められたためしなど1度もありませんからね。そもそも私は言いたいことを簡潔に他人に伝えるのが非常に下手くそな性分なのです。それじゃあ何でお前は小説など書いているのだって話ですが、その理由は、小説という物語は言いたいことを他人に簡潔に論理的に伝える必要がなくて、その代わりに長々と感情的に伝えてOKだからでしょう。私の『冬を〜』なんかは、最終話の頭にちょこちょこっと書いたことを言わせたくて実に文庫2冊分も潰したのですから、我ながら壮大なる無駄遣いといえます。もちろんみんながみんなそうというわけではなく、『春』のようにきっちり物語を語って遺漏のない名作もあります。
                  早速話がずれました。が、そうでもない気もしないでもありません。なんとなれば『六番目の小夜子』を呼んでの感想は、読者の抱く「物語」というテーゼに大きく影響されるからです。 それはつまりこういうことです。我々は小説なり映画なりに接する時、半分無意識に首尾のある物語の「型」を想定しています。すなわち、主人公がいて、事件があって、苦労して、何とか乗り越えて、気持ちいい、と。これが基本形で、『桃太郎』も『罪と罰』も『エイリアン』も『カルメル派修道女の対話』もみんなそうです。
                  ところが本作『六番目の小夜子』はそのパターンを外れた、一種特殊な作品です。いや外れてないと思う向きもあるかもしれませんが、表面上そうも読めるように見せかけてるだけです。嘘だと思ったら全部読み終えてから最後のフレーズをご覧ください。この作品が始めと終わりを伴った「物語」を乗り越し駅のごとく行き過ぎて、果てなく連なる円環を成していることがわかりますから(どうやら恩田陸はこの傾向が顕著な作家で、『小夜子』に似た雰囲気を持った『球形の季節』なんざタイトルからして始まりも終わりもない「球形」です)。 この影響で、『小夜子』を読み終えた読後感の中には、なんとなく物語がまだ完結しきっていないような、未消化な気分が含まれているはずです。
                  もう少し具体的に物語を眺めてみましょう。 時は高校3年の1年間、所は県下有数の進学校。すなわち友情あり対立あり、恋愛あり孤独あり、将来への不安あり、過去への郷愁あり、いわゆる「青春小説」への布石はきっちり揃います。加えて用意された物語の原動力は、3年に1度、鍵を託された生徒が「小夜子」となる、という奇妙なしきたりです。「小夜子」とは何か? 奇しくも同じ「サヨコ」の名を持つ謎の転校生津村沙世子は何を知っているのか?「小夜子」に関わる一連の事件を操っている黒幕はいるのか?「小夜子」伝説に語られるかつての事件の真相は? 謎が謎を呼び、事件が連鎖する。少しずつ巡る季節、失われつつある最高の時間、懐かしい光に満ちた生活の中で、物語の中心となる4人の人物、すなわち、関根秋、津村沙世子、花宮雅子、唐沢由紀夫、は、隠された真実に近づきます。
                   当然のことながら、読者の期待するラストは、小夜子の正体、小夜子と沙世子の関係、不可解な小夜子伝説への回答が語られた上での、登場人物たちの巣立ちですよね。それはきちんと回答は用意されているのか? もちろん物語もラストに近づけば重要な人物の独白もあり、これまで語られた来なかった事実が語られもします。それで、個々の事件そのものへの回答は与えられます。 が、なんと申しますか、表面上の事実はいい、その本質、中心は? 何か納得がいかない。例えばミステリーで、犯人の使用したトリックはわかったけれど、結局その動機はわからずじまいというような、本当の意味での、「小夜子」という伝説そのものへの回答は保留されているような、最初に本作を読んだ時、私はそんな気がしました。
                  ところが、よくよく考えれば、中心はあるのです。描かれてはいない、しかしそこだけが描かれないことによってぽっかりとその存在を明るみに出したもの、つまりは、登場人物の歩みによって描き出された円環の中心が。 私見では、円環の中心、ありそうに見えて本当は無いもの、それは「学校」なる制度であります。学校、特に中学、高校とは、特異な存在です。毎年毎年決まった人数がわらわらと入ってきては、わらわらと出ていく。中高なら3年で総取っかえ、教師だって10年もすればほとんど入れ替わります。中身が変わっているのに学校というものだけはいつまでも変わらない。小学生なら無邪気に与えられた環境を信じてそこに思い到りもしない、社会に出れば会社も国もそんなものと世知じみた回答もどきをおっかぶせることもできる。ところが子供以上、大人未満な身分の彼らは、自らのよって立つ基盤が予想外にゆるいことに不意と気がつき、目をみはる。たよりを失いかけたその目が求めた助けに、連綿と受け継がれた制度は、一瞬超自然の力として映る。
                  無論幻にすぎません。そこでこれまで多くの人々が過ごしてきたという歴史、そして、今はそれがわずかな痕跡しか残されていないという事実が、我々を超えて深い我々の営みの流れを幻視しているんですね。よくある話で、単純な話でもあります。ですが、単純故でしょうか、幻はまたこの上なく神秘的です。ちょうど物語の中間地点、『秋の章』クライマックスに突如として現れる「砂時計」、流れゆく時間でありながらひとつところに留まるものの眩惑的な美しさが、それを象徴しています。
                  さて、そういうわけで、波乱万丈の「物語」を期待して『小夜子』を手に取った読者の中には、肩透かしを食らったような気がするかもあるかもしれません。ですが、本作はまず一般に期待されるような、高校3年という人生の一時期を通過して旅立っていく少年少女の物語ではない。少年少女の綾なす1年間そのものが主題なのです。
                  そこで私がお願いしたいのは、『小夜子』は2度読んでほしい、ということですね。1回目はどうしても小夜子を巡る謎そのものに目がいく。その後で一旦本を置いて、2、3ヵ月、あるいは半年、1年でも良い、時間を空けて、もう1度読み直してみてください。儚く、そしてそうであるがゆえに輝かしい日々の記憶がそこにあり、それ以上のものはありません。いや失礼、それ以上のものもあります。もちろん、「静かに息をひそめて待って」いる「彼ら」です。しかし、「彼ら」は、その上を流れる閃きに照り映えてこそ存在し得る。 失われるものと失われないものはまさに表裏一体。過ぎゆくものにより留まるものを、体験するものにより傍観するものを、現在により過去を見事に照らし出した稀有の本作を、ひとりでも多くの読者に手に取って頂きたいと、切に願います。
                  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                   以上が此花さんのレビューです。毎度ながらレベルの高い文章ですが、今回は特に巻末の解説のような考察がなされていて、ここまで深く読み取られているんだなあとつくづく思います。しかしその深さゆえに未読者の方にはこの物語がどのようなものなのか、伝わりにくい部分もあるかもしれません。その辺りを補うために、次に僕の方からこの物語の導入部分のあらすじを紹介させていただきたいと思います。特に此花さんのレビューにもありました、「小夜子」という奇妙なしきたりについて。これについては非常にややこしいのでここでは簡潔に説明させていただきます。


                  =======================

                   『小夜子』伝説がはじまったのが物語内の15年前。その年の学園祭で上演されたオリジナル台本の『小夜子』という1人芝居がとても印象的だったと評判になった。その内容は、教室に模した舞台に教卓が1台置かれていて、その上には赤いバラが花瓶に活けてあり、その前に1人の少女が椅子に座って淡々と話をするというもの。物語の舞台となっている高校は進学校という設定ですが、不思議なことにこの年の大学合格率は非常に良かったという。

                   その3年後、学園祭で上演する演目が決まらないこともあって、『小夜子』を再上演しようという話になった。ところが2番目の『小夜子』としてその役を買って出た少女に不幸な事故が起きて、その年の『小夜子』の上演は中止になった。この年の大学合格率は過去最低を記録したという。

                   しかし『小夜子』はその後も受け継がれていった。3、4、5、と継承された『小夜子』はこの物語の年に6番目が誕生することになっていた。

                   この『小夜子』というのは自ら立候補してなるものではなく、前年の『小夜子』からとある場所の鍵を渡された者が引き継ぐという形になっている。鍵を渡された者はその意志に関係なく『小夜子』にならなければいけない。

                   では『小夜子』に選ばれた者は最初に何をしなければいけないのか。それは4月の始業式の日に、かつて劇で使われた小道具である真っ赤な花を活けた花瓶を教卓に置くことだ。ただし『小夜子』は他の生徒に自分が『小夜子』であることを悟られてはいけない。その花瓶も誰にも見つからないように置かなければならない。

                   物語は『小夜子』に選ばれてしまった者が、その赤い花を活けるために早朝学校に訪れた場面から幕を開ける。この因習を呪いつつ、おそるおそる教室までやってきた『彼女』はしかし、赤いバラの花束を抱えた少女と出会う。この時間にこんなところで赤いバラを抱えているのは、『小夜子』以外にはありえない。

                   その少女は転校生として『彼女』と同じクラスに入って来た津村沙世子だった。

                  ======================

                   最初に僕が『電脳コイル』と近しい空気があると言った意味はわかっていただけましたかね。2番目の『小夜子』に降り掛かった不幸な事故は、曖昧だった『小夜子』伝説を怪談話として漆黒の恐怖に包み込みます。さらに、謎の転校生がやってきて、元々存在していた伝説に絡みながら日常に闇を振りまいていくという設定はまさにイサコそのもの。『電脳コイル』ファンなら読まない手はない損はしない作品です。

                   ただしですね、此花さんもおっしゃられていますが、初見では少し消化不良な結末と感じられるところもあるやもしれません。実際僕もそうでした。しかし此花さんのレビューでなるほどなあと思ったのが、2回読むことにこそ価値がある作品だというところです。皆さんも1度物語を読み終えたら、此花さんのレビューを改めて見てみてください。あの言葉の意味がよくわかると思います。そしてまたもう1度読み、この作品を味わいつくしてみてください。

                   さて、来週も「川島の本棚」をお送りします。来週はちょっぴりほろ苦い青春ミステリーをご紹介する予定です。それでは。



                   









                   
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                  川島の本棚 第2回

                  2010.07.16 Friday 22:58
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                     来ました。オフィシャル小説最新12巻、8月2日発売だそうです。もうそろそろクライマックスに近づいてきましたでしょうか、力が入りますよね。あと何巻続くのかはわからないですけど、終わってほしくないという気持ち半分、そして物語の結末を早く見たいという気持ち半分でこれからの展開を楽しみたいと思います。ときに、メリクリ以来のご無沙汰となっている「三番目のユウコ通信」ですが、一体どうしたんでしょうか。あちらも毎回楽しみにしているんですけどねえ。宮村先生、更新どうかよろしくお願いします。 

                     というところで、今回はネタがない日の常套手段(にするつもりです)、「川島の本棚」の第2回目ということで進めていきたいと思います。改めて説明しておきますと、最近僕が読んだ本の中でこれは面白かったというタイトルを紹介するコーナーです。前回紹介したのは米澤穂信さんの『ボトルネック』でした。ちなみに米澤さんは、この秋に映画公開される『インシテミル』の原作者としても注目の作家さんです。こちらの方も興味のある方はどうぞ。

                     さて、紹介に入る前にちょっと考えたんですが、このブログをご覧になっている皆さんって、やっぱり電脳コイルが好きで、オフィシャル小説や僕や此花さんの小説を読まれている方なので、比較的若い方がほとんどだと思うんですよね。僕も小難しい小説は読まないんですが、やはり紹介するにあたってはそういう方々がとっつきやすい小説がいいと思いまして、このコーナーで紹介していくのは主人公の年齢が若い、青年期を舞台にした物語を中心にしようと考えています。前回の『ボトルネック』もそうでしたが、僕も割り合いこういう小説が好きなので色々と紹介していきたいですね。もちろん、『電脳コイル』のようにもっと若い主人公達の物語も取り上げるかもしれません。

                     ということで、今回紹介する小説はこちら。


                     あさのあつこ『No.6』講談社文庫 

                     まずタイトルについてですが、『No.6』というのがタイトルで、画像の本が第6巻というわけではありません。また、画像の方は文庫本なんですが、単行本もあります。こちらの小説は今も連載中でして、現在単行本で第8巻、文庫で第5巻まで発売されています。単行本はまた表紙が違うんですけど、今から手に入れるなら文庫の方が手に入りやすいと思いまして文庫の画像を載せています。お値段も文庫本は単行本の半額ほどで手に入ります。僕も文庫で買っているので、8巻あるうちの5巻までしか読んでいないということになりますね。

                     著者のあさのあつこさんといえば、名作野球小説『バッテリー』で皆さんも御存知かと思います。教育テレビの電脳コイルの放送枠で、再放送の次のクールから放送されていた『テレパシー少女蘭』の原作者でもありますね。柑橘系青春小説で代表的な作家さんです。

                     そんなあさのさんのイメージがあって、ふと本屋で見つけたこの本ですが、ちょっとこの作品は他の作品とは毛色が違います。この作品の公式ホームページにもありますが、一言で表現するなら、近未来サバイバル小説です。架空世界の物語なので、SFや、ファンタジーとも言えますね。とはいえ、剣や魔法の世界というわけではありません。

                     舞台設定から細かく説明していきます。「No.6」というのは都市の名前です。架空世界と上記しましたが、この物語の世界は、相次ぐ大戦によって多くの都市が焼き払われ、荒れ地となり、人が住める場所というのがごくごくわずかになってしまったという、世紀末的な設定となっています。そこでこの世界の人間達は自らの過ちを反省し、人がまだ住むことができるわずかな土地に理想郷を作ることにしました。その中の6番目にして最高の理想郷である「No.6」とその周辺が物語の舞台となります。

                     その「No.6」ですが、規模はそんなに大きくはないようです。しかし国家のように行政が独立していて、その他の理想郷とは戦争の反省から不可侵条約を結んでいます。「No.6」の中は争いもなく、そして治安もいい、理想郷の名にふさわしい暮らしが存在しています。

                     そんな「No.6」は高い城壁に囲まれているんですが、そこを1歩踏み出すとそこには別世界が広がっています。その中でも「No.6」を西に抜け出した地区は西ブロックとも呼ばれているのですが、ここも物語のメイングラウンドになります。この場所の説明は後述します。

                     とはいえ、中にいる限りでは天国のような場所である「No.6」にも、ある特徴があります。それは徹底した階層社会となっていることです。これは格差社会とも言い換えられます。

                     「No.6」の政治が重要視しているのは、「人」だそうで、ここで生まれた人間はみんな2歳の時に検診にかけられます。そこで優れた才能を持つと判断されれば、その子とその家族には生涯に渡る不自由ない暮らしが約束されます。もちろん、その子がエリートとしての高等教育を受容し続ければの話です。こうしてエリート達は住む場所もそれはそれは居心地の良い場所が与えられ、庶民達とは分けられていきます。このように「No.6」は人を分けながら高い技術力を育て、人々により良い暮らしを提供していっているわけです。

                     長くなりましたが、以上の説明で「これの何が近未来サバイバル小説なの?」と思われた方もいるかもしれません。しかし、話はここからです。次は登場人物を紹介していきます。

                     この物語の主人公は電脳コイルのように2人います。メインとなるのは、紫苑という少年です。この小説は、1巻の第1章がプロローグになっていて、その時この紫苑少年は12歳でした。彼は母親と2人暮らし。そして、2歳の時の検診で最高級の才能を認められたエリート街道を突っ走る少年でした。性格は優しく温厚で、ちょっと天然。そして上述した街の制度によって、彼は母親とともに「No.6」の中でも最高のセレブ地区で、何不自由ない生活を送っていました。そしてとある嵐の晩、1人の少年と出会い、その運命が変わることになります。それがこの小説のもう1人の主人公です。

                     その少年の名前はネズミといいます。本名ではありません。彼はその時紫苑と同じ12歳。誰かに追われていたんですが、偶然開いていた窓から紫苑の家に転がり込みます。そこで紫苑にかくまわれたことにより、ネズミはその命を取り留めることになります。

                     しかし、そのネズミは凶悪犯罪者として市当局から追われている身であり、紫苑はそれをテレビのニュースで知ります。しかし、心優しい彼はその日だけネズミをかくまうことにしました。ところが後日、そのことが当局にばれてしまい、紫苑と母は、一夜にしてその最高の暮らしを失うことになります。

                     特権階級から引きずりおろされた紫苑と母は、「No.6」の中では最も底辺にあたる「ロストタウン」という場所で暮らすことになります。とはいえ、そこでは人並みに働いていればそれなりの暮らしは手に入りました。紫苑はそこから新たな暮らしを歩むことになります。

                     そして、本編はその4年後という設定で幕が開けます。

                     16歳になった紫苑は「No.6」内のとある公園の管理室に勤め、清掃ロボットなどの管理業務にあたっていました。その彼には幼なじみの女の子がいました。名前は沙布と言い、彼女はかつて紫苑とともにエリートクラスにいました。彼女は現在もエリートクラスにいて、近々外の都市に留学することが決まっていました。そんな紫苑と沙布の関係も見所の1つです。

                     そんなとある日、紫苑の管理する公園内で変死体が見つかります。そして後日、なんと紫苑の職場の同僚も紫苑の目の前で謎の死を遂げます。紫苑は市当局に拘束され、取り調べを受けることになりました。しかし様子がどうもおかしく、ハナから紫苑を犯人だと決めつけたような市の幹部の対応に、紫苑は恐怖を覚えます。何かこの事件には陰謀が渦巻いているんじゃないかと。

                     そうして連行されそうになった紫苑を助けたのは、4年前紫苑にかくまってもらったネズミでした。彼は紫苑を連れ出し、「No.6」の外、西ブロックに逃げて行きます。こうして紫苑とネズミ、2人の生活が始まります。

                     というのが、第1巻の大体の内容です。物語のボリュームがあるので、第1巻は全体のプロローグという位置づけになるかもしれません。この小説の本番は、2人が西ブロックに逃げて行ったところから始まります。それではもう少し、この小説のポイントを紹介していきます。

                     ネズミという少年ですが、名前とは裏腹にかなりのイケメンです。イケメンというか、色んな人から美しいともてはやされています。また美しいのは顔だけではなくて、歌声もなんですよね。この歌声というのが物語が進むにつれて重要な鍵になってきます。また、ネズミはシェークスピアなどの古典にかなり精通しています。それは彼の職業とも関わってくるんですけどね。

                     そして、先ほど触れた西ブロックというのがどういう世界なのか。これは第2巻以降の内容になってしまうんですが、これを説明しないと重要なところを紹介しきれないのでご容赦いただきたいと思います。西ブロックというのは、理想郷「No.6」とは真逆の世界、いわゆるスラム街です。そこでは、飢餓、凍死、強盗、殺戮が日常茶飯事に起きています。ここに生きる人々は、自分が生きるためだけに必死になっています。この別世界を、紫苑という温室育ちがまず目の当たりにして打ちのめされるんですよね。

                     お気付きの方もいるかもしれませんが、この世界は現在僕たちが生きている世界の縮図です。ネズミに連れられてその外の世界を見て行く中で、紫苑と同じように僕も打ちのめされていきました。マジで自分は甘ちゃんだったと。世界的な格差社会の象徴が、その狭いフィールドの中に存在するんですよね。「No.6」の高い城壁は国境、言葉、肌の色、色々なものに置き換えられます。もちろん、物語の中では内と外の世界も同じ言語です。ですが、内の人間と外の人間は、同じ人間なのに驚くほど扱われ方が違います。

                     そんな中で注目は、やはり紫苑とネズミの関係です。ネズミは紫苑のことを温室育ちで無力、しかしそのくせに理想だけは高いと思っています。紫苑が近所の腹をすかせた子ども達に自分の食料をわけてあげようかと悩むシーンがあるんですが、そこにもネズミと紫苑の間にかなりの温度差があることがわかります。

                     これはあながち強引なまとめ方ではないと思うのですが、この2人関係はヤサコとイサコにかなり似ているところがあるんですよね。少年ですけど。

                     紫苑はネズミのことをもっともっと知りたいと思います。ネズミが薦める古典などもしっかりと読み、そして外の世界を見ることによって打ちのめされながら、それでももっと世界を知りたい、ネズミと繋がりたい思っています。

                     しかしネズミの方はと言うと、紫苑をかなり嫌っています。助けたのは4年前の借りを返すからだと言うのですが、あとはほとんどの場面で紫苑にうんざりしていますね。ネズミはずっとこの外の世界で生きており、紫苑の能天気にはかなり参っている様子です。

                     しかしネズミが紫苑を突き放す切実な理由もあります。それはこの場所で生きる上で荷物になるような存在は邪魔だということです。自分以外の守るものがあるということは、自分の命が危険にさらされることも多くなる。どれだけ紫苑がつながりたいと思っても、ネズミはその信念から絶対に手を取り合おうとはしません。最初はね。

                     そうして物語は「No.6」の秘密へと迫って行きます。公園内で見つかった変死体は何を意味するのか。そこには市の陰謀が隠されていました。そして物語の大きな流れの中に、紫苑の幼なじみである沙布も巻き込まれていきます。

                     とまあ、概要としてはこんな感じですかね。結構熱く語ってしまいましたが、それだけ僕は面白いと感じましたね。とにかくネズミの口から飛び出す重たい一言一言が、胸にグサリグサリと突き刺さっていく、そんな気分になります。

                     この物語、全体的に雰囲気的にはかなりダークです。光はどこにあるのだろうか、というくらい絶望が支配している感じですね。その中にあるほんの一縷の光が、とてつもない希望に見えたりもします。しかしそれでも、かなりイヤな描写が出て来る時もあります。残酷とまでは言わないですけど、あまり想像はしたくないなというシーンは何度もありますね。とにかくぞっとするような、どうにも言い表せない恐怖がこみ上げるようなシーンもあります。著者のあさのさん曰く、人間はどこまで残酷になれるのかというのもテーマの1つだそうです。でも、そこから目をそらしてはいけないとも思いますね。

                     最後になりますが、この小説の唯一の欠点をあげますと、連載のペースがとんでもなく遅いことです。調べてみてびっくりしたんですが、この小説の単行本第1巻が発売されたのは2003年秋だそうです。現在8巻まで発売されていますので年1冊ペースということになります。文庫版も同様で、ほぼ年に1冊しか出ないようです。となると文庫版で集めている僕が全巻読み終わるのは、物語の分量から想像してもあと5〜6年はかかるということになりますよね。これ本当に面白い小説なのにもったいない。もちろん、お付き合いする覚悟でいますけどね。僕のように長く待たされるのが苦痛じゃない方で、内容に少しでも興味を持った人は是非手にとって見てください。1冊200ページぐらいなので、文庫本5巻まででもすぐに読めます。

                     ということで、今回はあさのあつこさんの『No.6』を紹介しました。それでは本日はこの辺りで。さようなら/
                     

                     

                     
                     

                     

                     

                      

                     
                    川島の本棚 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |

                    川島の本棚

                    2010.05.14 Friday 23:01
                    0
                        先週も予告はしましたが、今週は連載中の『大黒市黒客クラブ戦記』をお休みしましてですね、本来ブログというもののあるべき姿と申しましょうか、ざっくばらんなことをつらつらと書こうかなと思います。連載中にこんなこと本当はやっちゃいけないのだと思いますが、まあぶっちゃけますと、『黒客戦記』執筆あんまりはかどってないんですよね。

                       今更後悔をしても言い訳がましいわけですが、この小説は勢いだけであんまり先のアイデアを練らずに書き始めたので、息切れするのも当然なのかなと思います。最初は本当に1週間で終わるだけのショートストーリーを重ねようと思ったのですが、やはりそれも難しいもので、それなりに1話が長くなってきたのも息切れの原因なのかなと思います。

                       本来メインにするべきは「小説家になろう」で連載中の『春』なわけで、その執筆にも影響するんならやめた方がいいということにもなるんでしょうが、どういうわけか『春』の執筆は絶好調です。

                       最近のペースはすさまじく、4日あれば『春』の1週間の更新分は仕上がってしまいます。ところが、残りの3日を費やしても『黒客戦記』が上がらないというアンバランスさ。とは言え『黒客戦記』も僕の中でゴールは見えているので、連載中止にはしないと思います。一応来週の更新分は書き上がっているので、その予告だけしますね。

                       来週からの『黒客戦記』では、これまでにないくらい「黒客」が窮地に陥ります。今回の敵は、「見えない相手」です。と言ってもイサコの暗号のようなステルスという意味では
                      ありません。存在そのものが謎の勢力、誰にも手出しができないような途方も無い力との戦いが幕を開けます。そして今回の話は、『春』のエピソードにもリンクしてきます。おそらく予習が必要だと思うので、『春』未読の方は、第7話「アンダーグラウンドマネーゲーム」を読まれておくといいと思います。

                       ではせっかくですので『春』の話もしましょうか。昨日の更新で、第2部金沢編の2つめの話までを消化しました。全体を通すと第15話までですね。

                       第2部に入ってから妙に話が進むのが早いなと思うのは僕だけでしょうか。展開が早いという意味ではなく、「あれ?もう2話消化したのか」という印象があります。第2部全体で何話あるのかは、あんまり言わない方がいいですかね。伏せておきます。その辺りは終盤においおいお知らせしますね。

                       え〜さて。どうでしょうかね第2部は。イサコ以外のほとんどがオリジナルキャラで行かなければならないという点、ここがどうしても不安になるところです。もともと個性が強烈な大黒市のキャラ達と同じくらい愛着を持ってもらえるキャラを、という風には考えていますが、どのくらい受け入れてもらっているか、ここが気になりますね。まあまだ話がそんなに進んでいないので難しいところではありますけどね。

                       その辺りに関して、僕はとっても姑息な手を使っています。「金沢市黒客クラブ」というクラブを出してみたり、ヤサコのいとこを出してみたりと、どこかしらで遠い大黒市にいるヤツらの面影を残してみようと試みています。金沢で独立しているのではなく、やっぱりつながっているという雰囲気を作っておかないと不安になるんですよね。そんな金沢のキーキャラは、もちろん謎多き彼女ではありますけども、何となくイサコと近い存在の彼にも注目してくださいね。

                       『春』についても次回予告です。次回から段々と金沢での空間事故に関係する事柄が明るみになってきます。そこに関連して、ちょっと重要キャラっぽい人が登場します。僕も書いていて愛着を持った、その重要キャラっぽい人が語る言葉には是非注意して読んでみてください。
                       
                       僕の小説についてはこんなところで。さて、ざっくばらんにつらつらと書くと言っても僕は人気ブロガーみたいに気の利いたことなんて書けないわけで、じゃあとりあえずネタもないし最近僕が読んだ中でイチ押し本を紹介しようかなと思います。タイトルを「川島の本棚」としたのはそういうことです。電脳コイルとはあまり関係ありませんが、たまにはいいかなと。もしかすると、ネタがない時にはこのコーナーを常設するかもしれません。

                       さあ記念すべき「川島の本棚」第1回目に紹介するのはこちら。


                       画像大きいですね。米澤穂信『ボトルネック』新潮文庫 です。

                       こちらの本はですね、帯に「このミステリーがすごい!2010年度第1位」と大々的に書かれてありまして、それだけでちょっと惹かれますよね。実は僕はある番組でこの本が紹介されているのを見まして、書店でこれを見つけた時に思い出して手に取ってみました。値段も500円もしないのでお手頃です。

                       その番組でもコメンテーターさんが絶賛していましたし、実際僕も読んでみて「何だこれは!メチャクチャ面白いじゃないか」と思って一気に読破しました。それだけでは何も伝わらないので、簡単にあらすじを紹介したいと思います。

                       時は2005年12月。舞台は皆さんおなじみの金沢市、そして福井県の東尋坊です。金沢の街の描写については、『春』の場面設定にも多いに参考になりました。僕は金沢行ったことがないので。

                       主人公は高校生の嵯峨野リョウくんと言います。彼には亡くなった恋人がいまして(どこかで聞いたような話ですね)、その方を追悼するために東尋坊に訪れていました。すると彼は何かに誘われるようにその断崖から落ちてしまいます。ところが、目が覚めてみると彼は自分が住んでいる金沢の街にいました。不可解な思いを抱えて自宅へ戻ったわけですが、家に戻ると見知らぬ女性が彼を迎えます。彼はその女性のことを知らなかったし、その女性も彼のことは知りませんでした。ところが、その女性はそこが自分の家だと主張します。そして彼も、「何言ってるんだ。ここは僕の家だ」と主張します。

                       出迎えた女性は嵯峨野サキ。正真正銘の嵯峨野家の娘だと言い張ります。年齢的にはリョウより上になりますが、リョウに姉はなく、兄弟は兄しかいませんでした(その兄も、冒頭の一文で亡くなったことが伝えられています)。しかしリョウは両親からある話を聞いたことがありました。リョウが生まれる前に、母は女の子を身ごもっていた。ところがその子はお腹の中で死んでしまったと。

                       そしてもう1つリョウは両親から聞かされていたことがありました。リョウの両親は子どもは2人しか作らないと決めていた。一番始めにハジメという長男(リョウの兄)が生まれて、その次に女の子を身ごもったが死んでしまった。だからリョウを生んだ。

                       話の流れから、リョウは嵯峨野サキが死んでしまった「姉」であることに気付きます。そして「姉」のいる世界には、当然自分は存在していない。この2つの可能世界が存在する中で、リョウはもう1つの可能世界に入ってしまったのだと気付きます。
                       
                       たった1人生まれて来た人間が違うだけで、世界は、金沢の街は、どう変わっているのか。2人は間違い探しをはじめる......

                       これが冒頭のストーリーです。非常に興味深い設定ですよね。まずこの設定で心を鷲掴みにされた印象があります。

                       この小説は、甘酸っぱいような青春小説ではありません。テーマはむしろ「若さ」の影を描ききるところにあり、物語はリョウの一人称視点で進んでいきます。リョウとサキの世界には、いくつか間違いはあるんですが、それが明らかになるたびに衝撃を受けますね。特に後半以降はどんでん返しが続き、終始息が抜けません。あまり具体的いうとネタバレになるので曖昧に表現しますが、「自分の存在とは?」というところが大きなポイントですね。本当に「若さ」ゆえの悩みです。

                       ちなみにこの小説、ミステリーであり、人の死についてもテーマではありますが、一滴も血は流れません。あくまで日常の延長線上にある「闇」を描いているような、そんなタッチです。その辺は「電脳コイル」にも通じるところがあるかなと。米澤さんの著書にはそんな物語が多いみたいですね。

                       機会があれば是非読んでみてください。オフィシャル小説の『電脳コイル』も、思春期の葛藤を描いていますが、この小説はそこからもう少し成長した青年の葛藤を描いています。主人公のたたずまいなどは、なんとなくハラケンに似てなくもなく、イメージは立ちやすいかなと思います。以上、米澤穂信『ボトルネック』を紹介しました。

                       来週は『黒客戦記』の続きです。それではアデュー/


                       
                      川島の本棚 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |