奏作空間

Reading & Creation Space "SOH"

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    『電脳コイル』 二次創作短編  ー最後のクリスマスー

    2011.12.25 Sunday 15:43
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        2028年のクリスマスイヴ。この日、大黒市は強烈な寒波に見舞われていた。
       時刻は午後4時。灰色の空からは時折小さな雨粒が落ちてくる中、カーキ色のモッズコートを羽織った文恵は早足で大黒駅へと向かっていた。天気予報によると大黒市では久しぶりのホワイトクリスマスになる可能性が高いらしく、それだけで文恵は自分達が特別であることを噛み締めずにはいられなかった。
       ......初めて一緒に迎えるクリスマスを雪が彩ってくれれば、これはきっと、一生の思い出になる。そんな小さな奇跡をくれた神様に、そして、1年告白を我慢してくれた大地に感謝だ。
       大地が文恵に交際を申し込んだのは今年の5月。しかし、去年の春の時点で大地は文恵にその想いを告げていた。その時の文恵はこれまでライバル関係にあった大地といきなり恋仲になることが想像できなくて、返答を保留したのだ。
       代わりに大地は、自分がサッカー部でレギュラーを取ったらその返事をもう1度聞いていいかと訊ね、文恵はその条件を飲んだ。
       文恵も決して大地に悪い印象を抱いていたわけではない。それまでは大地を異性として意識することが恥ずかしくて、その気持ちに見てみぬフリをしていたというのが実際のところだ。だからあの告白を境に、文恵の方も大地への意識が日に日に高まっていった。
       大地の方はというと、部活以外の時間もトレーニングに励んでいたという話で、しかしそれを決して文恵に見せようとはしなかった。結局その様子を気にした文恵が周りに訊ね回ったわけだが、それが文恵の心に響かないわけがなかった。
       ......何なのよ。アンタがそんな根性のあるヤツだなんて知らなかったわよ。小学校以来のおバカキャラまで封印しちゃって、今のアンタどう冷静に見てもカッコいいから!!
       その猛練習と関係あるかどうかはわからないが、大地はみるみるうちに身長が伸びて、1年の3学期の頃には文恵より頭1つ分抜き出ていた。「アンタ達、入学式の時に1年でどっちがどれだけ背が伸びるか張り合ってたけど、この時点で大地のコールド勝ちよね」とは愛子の言葉だ。ちなみにその賭けの文恵側の罰ゲームは、1ヶ月大地と並んで登下校するというものだった......もはやそれが文恵にとって罰ゲームにならなかったのは言うまでもない。
       さらに大地は非凡なサッカーセンスを持ち合わせていたらしく、体力面だけでなく技術面も1年で著しく向上した。結果、2年生の5月にはレギュラーだった同学年の小学校サッカー経験者を押しのけ、ボランチとしてのレギュラーを勝ち取った。
       晴れて公約を果たした大地は文恵に再告白し、文恵も喜んでそれを受けた。文恵としてもその時を待ち望んでいたのだ。
       今となっては絶対に自分の方が好きだと文恵は思っている。大地のサッカー部での努力は色々な人から評価されていたし、大地が文恵に告白したことでため息をついた女子も少なくなかったという。どれだけ冷やかされようと開き直れるほどに、大地と付き合っていることは文恵にとって誇りになっていた。
       そんな文恵も大地の努力に負けないように2年に進級してから生徒会に入り、学祭などのイベント運営に奔走した。上級生の引退でサッカー部主将に任命された大地ともども、いつしか学校の中心人物として見られるようになった2人。その交際は全校中に知られることとなり、ほとんど羨望の眼差しで見られるようになった。
       こんな幸せでいいんだろうか? 後で良くないことが起こるんじゃないだろうか? と不安になるほど充実した日々。そうして訪れた、街全体が世のカップルに祝福ムードを提供する12月。文恵のテンションは歯止めの利かないのぼり調子で、この24日、ピークを迎えていた。
       寒波? 気のせい気のせい。このコートが暑いくらいだもん。
       文恵は頬を上気させながら、大地の待っていた大黒駅に到着した。
      「ういーす。大丈夫かお前? 顔赤いけど、熱でもあるんじゃねえのか?」
       黒いダウンジャケットを羽織った大地は、会うなり文恵の額に手を当てた。
      「熱があったとしたら、それ多分大地のせいだから」
      「......恥ずかしいけど今のお前、最高にかわいかった」
       他人から見ればどこのバカップルか、と思われるような会話かもしれないが、気にしたら負けだと思っている。
      「みんな集まったらこんなこと言えないからね。今のうち」
      「そうだな。で、どこにプレゼント買いに行く? っていうか何買う?」
       と、訊ねた大地が決して無粋なわけではない。中学生である文恵と大地は、誕生日プレゼントこそ小さなもの(今年なら文恵は大地が練習で使うソックス、大地は文恵が読みたがっていたシリーズ小説の文庫本セット)を送り合ったが、クリスマスはプレゼント交換はなしにしようと決めていた。もちろん財政的な理由からだ。
       これから2人で買いに行くのは、今夜愛子の家で開かれるクリスマスパーティーの交換用プレゼントだ。
      「何でもいいんだろうけどね。弁天モールに小ネタ的な商品扱った雑貨屋があるから、そこで適当に探そうと思って」
      「ああ、あそこか」
       大黒駅から2つ隣の駅だ。行き帰りしても6時半に始まるパーティーには十分に間に合う。
       2人は改札を抜け、ホームに並んで電車が来るのを待った。
       丸めた両手に息を吹きかけてコートのポケットに引っ込める文恵。それに気付いているのかいないのか、ジャケットのポケットに入れた手を落ち着きなく揺らしている大地。袖と袖が触れ合いながらも、まだそれが当たり前の距離感。
       文恵の頭の中は、今日という日をきっかけにしたいという思いでいっぱいだった。
       そして何か話題を探していたという風な大地がふとつぶやいた。
      「しっかし、愛子も寂しがりだよなあ」
      「それは言わないであげて」
       愛子がその提案したのは12月の上旬。はじめは文恵も耳を疑ったが、それには彼女なりの考えがあったようである。
       愛子はつい先月に付き合っていた男子(それも学年1つ上の先輩)と別れてしまったので、クリスマスに何の楽しみもなくなったというのだ。それが大きな理由の1つだが、この提案をしたのは目下交際中の文恵・大地、そして優子・研一カップルのためでもあるらしい。曰く、
      「クリスマスとは言っても、中学生のカップルが夜に2人で会うなんて親が認めないでしょ。でも、みんなが来るパーティーならそのハードルは下がるじゃない。適当な時間に締めるし、なんならカップル達は先に抜けてもいいわ。終わりの時間さえ親に告げておけば、それまでの時間は街にでも繰り出して、クリスマスの雰囲気を十分味わえるってもんよ」
       と、いうことである。
       文恵には結構な冒険に思えたが、確かにそれは愛子の言う通りだった。お互いの親も一応交際のことは知っているが、夜の外出を認めるとは思えない。しかし、街でクリスマスの気分を味わいながら大地と2人寄り添うというのはやはり魅力的だった。
       というのも、ちょうどこの時期、大黒駅前には巨大なツリーが飾られ、クリスマス期間は"電脳メガネ"を利用したイルミネーションが点灯するのだ。しかも今年は特別で、来年に新型ウェアラブルコンピューターの発売が決まっているという関係から、これが"メガネ"最後のクリスマスイベントということで大掛かりな演出になるのだという。文恵達"メガネ"使いだった人にとっては必見のイベントなのだ。
       そういう事情もあって、文恵や優子もその冒険をする決意をした。大地と研一も引っ張られる形でそれを認め、パーティーには彼女のいない男性陣にもお声がかかることとなった。
      「結構来るよなあ。俺ら2人にハラヤサ、明を除く元黒客メンバーと主催者愛子で8人かよ。アイツの家ってそんなにでかいのか? マンションだろ?」
      「いや、ヤサコと一回行ったことあるけど、広いわよ、あのマンション。っていうか高いわよきっと」
      「値段がか? ふ〜ん、愛子の家って金持ちなんだな」
      「そうみたいね。羨ましい限りで」
      「それでも8人でパーティー開くなんて、よく親が認めたな」
      「愛子のお母さんよ。ノリが愛子と同じだから、パーティーとか好きらしいわ」
      「マジか。まあそうだろうなあ。会費1000円で参加者分の食事が用意されるってよっぽどだ気合い入ってるよな」
      「色々とありがたいよね。いくら愛子の寂しさ紛らわすのが主眼とはいえ、あたし達のことも考えてくれてるんだし」
       文恵にとってのメインイベントはパーティーではなくイルミネーションだ。もちろんその機会をくれた愛子の機転にも感謝している。
       その特別な夜の仕上げの演出を願うように、文恵は曇り空をじっと振り仰いだ。

       交換用プレゼントを確保し、2人が愛子のマンションに到着したのは約束の時間の15分前だった。
      「いらっしゃーい。おっ、沢口夫妻一番乗りね」
       ふ、ふさい!?
      「しれっと名字を合わせるなよ」
      「いずれそうなるんでしょーが」
       愛子があまりに当たり前のような口調で言うので、文恵と大地は困惑したように目を見合わせた。
      「......そうなったら幸せだが冗談としての処理の仕方に困るからやめてくれ」
       と、大地が生真面目に返したので、文恵の体温はそこで沸点に達した。
      「あーもう見ちゃおれん。やっぱリア充抜きで開くんだったわ。でもまあ来たからにはそれなりの仕打ちには耐えてもらわないとね〜。どうぞ」
       不敵に笑いながら愛子は2人を中に招いた。
       靴を脱ぎ、廊下を渡った先にある扉を開くと、広いリビングはパーティームード一色に染められていた。装飾の施されたクリスマスツリーに、暖色の蛍光灯、天井にはモールが渡してあって、クロスのかけられた大テーブルには様々な種類の料理が並べられている。
      「うっわー。すごい本格的」
       文恵も思わず感想が漏れた。
      「やるからには本気出すのが我が家の主義だしね。あ、お母さん。文恵と大地よ」
      「いらっしゃーい」
       料理を運んでいた愛子の母に声をかけられ、2人はかしこまって会釈した。
      「文恵ちゃん久しぶり。しばらく見ないうちに大人っぽくなったわね。やっぱり恋をすると女の子はキレイになるのねえ」
      「そ、そんな!」
       返す言葉に困り文恵は全力でかぶりを振る。
      「大地君も随分大きくなったわねえ」
      「あ、えっと、知ってたんですか俺のこと?」
      「当たり前よ! 小学校の時は愛ちゃんのクラスで一番目立ってたじゃない。あの悪ガキがこんな男っぽくなってたなんて驚きだわあ! うんうん。噂には聞いてたけど、2人とも本当にお似合いよ」
      「そ、そうですか?」
       ダメだ。遠慮のない物言いに大地も完全に押されてる。まさに愛子が2人いる感じだ。
      「まあまあお母さん。2人をいじるのは後の楽しみにしようよ」
      「そうね。2人の馴れ初めも後でじっくり聞かせてね」
       馴れ初めって、今日来るメンバーにとっては公然の事実なんですけど!! それをこの場でもう1度披露しないいけないとは。ぐう、お母さんが相手じゃ下手に断れないし......
       今更ながらに文恵は今日のパーティーの趣旨を理解した。愛子がそんなうまい話を持って来るわけがないのだ。イルミネーションに行けることで釣って呼び出し、この場でカップル2組を吊るし上げるのが彼女の目的だ。そうやって今日自分に相手がいないことに対して溜飲を下げるつもりなのだ。
      「上着はこっちで預かっとくわ。みんなが来るまで、あっちのソファーでいちゃついてなさい」
      「こんな人前でいちゃつくか!!」
       それでも他に腰を下ろすところがなかったので、ベランダのそばに置かれたソファー(しかもベランダ側に向けられているのは明らかにそこだけプライベート空間にしようとしている)に大地と文恵は腰を下ろした。
      「あー前途多難だわ」
       文恵がつぶやくと、
      「愛子のオバさんがああいう人だってこと教えといてくれよ。こっちにも心の準備させてくれ」
       大地もやはりダメージを受けていたようである。
      「ごめん。でもあんな軽いとは思わなかったのよ」
       そんな会話をしているとインターホンが鳴った。愛子がその応対に出て、こちらに合図を送る。
      「原川夫妻のご到着よ」
       そうなるとこのソファーはその2人に譲らないといけないなと思い、文恵と大地は立ち上がることにした。優子と研一は文恵と大地よりも1年以上付き合っている期間が長いという点では大先輩だ。
      「いらっしゃーい。あら優子ちゃん、おめかしして来たわねえ。とってもキレイよ」
      「ありがとうございます。今朝美容室に行ってきたところなんです」
       冷やかされる期間も優子は文恵よりも長いわけで、その受け答えも慣れたものである。
      「研一君もまた一段と落ち着いたというか、知的な雰囲気出てきたわね。優子ちゃんの要望?」
      「ああ、いえ。そういうわけでは」
       研一は勉強のし過ぎで視力が落ちたのか、最近ただのメガネをかけるようになった。黒い上縁のフレームで、まさに知的なオーラがありありと出ている。実際頭が良いので余計に印象が強い。
      「ハラケンってこういうとこでも打っても響かないよね」
      「もともとそういうキャラじゃねえか」
       そんなことを大地と言っていると、再びチャイムが鳴った。残る元黒客メンバー3人も到着したようである。
       彼らが入ってきたところで大地が声をかけた。
      「よう、まさか悟朗も来るとは思わなかったぞ」
       ガチャギリの愛称で親しまれた深川悟朗は、中1の時にそんなガキみたいなあだ名は卒業させてくれと申し出て、それ以来名前で呼ばれるようになった。
      「多少の社交性も身につけた方がいいっていう合理的な判断をしたまでだ」
      「アンタも大人になったわねえ」
       文恵が率直な感想を述べると、
      「お前らに言われたかねえわ」
       と、彼にもからかわれてしまった。
      「じゃあみんな揃ったことだし、はじめましょうか」
       主催者である愛子が仕切り、ジュースでの乾杯で立食形式のパーティーは幕を開けることとなった。

      「......そういや大地。新型ウェアラブルコンピューターの発表会見は見たか?」
       雑談の中でふと悟朗がその話題を持ち出した。
      「ああ。途中までな」
       メガマスを吸収する形で設立されたコイルスアプリコットテクノロジー社は、来年の春頃に発売されるという"メガネ"後継機の全容発表をクリスマスに合わせてきたのだ。それが今日の午後3時。国内先行発売ということが決定されているものの、世界中のメディアがその発表を注視していた。
      「やっぱり、大方の予想通り体内ナノマシンを使ったものだったな」
       IT情報や噂の収集は悟朗の趣味でもある。彼が予想通りと言ったように、ネット界隈では新型の目玉は体内ナノマシンで間違いないとされていた。
      「ハード形態はネックレス型になるんだってね」
       文恵が訊ねると、
      「へ〜。じゃあついにウェアラブルコンピューターにもファッション性が求められる時代になるのね」
       愛子が感心したようにつぶやいた。
      「ハードの形なんてむしろどうでもいいんだよ。一応、アクセサリーの類になるんじゃないかって予想は出てたが、それは体内ナノマシンを操作するためのものでしかねえし」
      「その新型のハードには、改良された量子回路が搭載されるみたいだね。ついにコイルス社の開発した量子回路の原理が解き明かされて、高速通信だけに特化した量子回路が完成したんだ。量子回路と精神の直結がこれで起こりえなくなったっていうのは、"メガネ"とは大きな違いだよ」
       悟朗と研一の理系コンビはさすがに詳しい。そこに大地も続けた。
      「精神医療もイマーゴとは別に、ナノマシンを使ったまったく新しい方法を確立されるっていう話だな。そもそも今度の新型にはディスプレイがないってことだろ。ナノマシンが脳内に電脳情報を直接書き出すっていう原理も会見で聞いたが、すげー技術革新だよな」
      「まったくだよ。イマーゴと原理は違えど、誰もが脳と電脳空間を直結させることができるようになるってことだね」
       "メガネ"と比べてあらゆる側面で進化を遂げるような新型らしいが、しかし文恵には純粋な疑問が浮かんでいた。
      「でも怖くない? まず体内にコンピューター入れるのもなんか抵抗あるし、脳とネットワークが直結するって、自分の脳内他人に丸見えになるでしょ」
      「一番の課題は文恵の言う通りネットワークセキュリティだな。人の体内のナノマシンをハッキングできたら、それこそ何でもできそうだし」
      「もちろん、その点にも解決策があるからこそ、この早いタイミングで発売を決めたんだろうけど」
       メガマスが"メガネ"の不具合の隠蔽で散々叩かれて潰れた歴史があるだけに、後継企業にとってはしょっぱなからのつまづきは許されない。しかし"メガネ"の後継機の早い登場を世間が待っていたのも事実で、そういった事情が絡み合った末の来年春発売なのだ。
      「まあ、ほとんどの"メガネ"ユーザーが最初は及び腰になるはずだし、まずは新しい物好きのヘビーユーザーのレビューを待つのが妥当だろうな」
      「1年ぐらいは様子見した方がいいだろうね。不具合のあることがわかっている"メガネ"は三カ年計画ですべて回収したいって思惑があるみたいだし、乗り換えるなら再来年かその翌年ぐらいが目処だよ。新型のハードは"メガネ"との交換で無償で手に入るみたいだし」
       この後、悟朗と研一の間で重厚な電脳談義が始まったので、他のメンバー達はしれーっと会話からはけていった。
       
       それからは相原親子が中心になって文恵と大地を冷やかしたり、その合間にビンゴという古典的な方法でプレゼントを交換したりしながら(全員が持ち寄ったプレゼントをビンゴで上がった人から選んでいくという方式だったが、誰も実用的なものを買ってこなかったので景品の体を成していなかった)、あっという間に時間は過ぎていった。
       雪が降り始めたことにいち早く気付いたのは、ずっと外の様子を気にしていた文恵である。
      「見て見て。ほら、雪よ雪!」
       ベランダの窓に大地を引っ張ってきて見せた。
      「降ってきたか。よかったな、願った通りになって」
      「え?」
       文恵は今夜雪にならないかなあ、と口に出した覚えはない。
      「お前、ずっと空模様気にしてたじゃねえか。あれはこうなることを祈ってたんだろ。俺も内心で祈ってたしな」
       うわ、ちょっと!! 今の優しい表情、反則的にグッときたんだけど!!
      「......ダメだわ。今ちょっと自制がかからなくなりそうだった」
       大地もそれにはリビングの真ん中で集まっている男子達を見て苦笑する。
      「ご両人。なんのためにこの愛のシートがあると思ってんの。ここで雪でも眺めながら、2人でいい雰囲気になりなさいよ」
       またこんな時に愛子が現れて文恵は焦った。
      「ムリムリムリ! みんなと同じ空間にいてそんな雰囲気になれない! もう恥ずかしいからここにいてよ! ヤサコもヤサコも!」
       しどろもどろになった文恵は、遠慮して距離を置いてくれていた優子も呼んだ。
      「文恵ちゃんも恥ずかしがらなくてもいいじゃない。みんな空気読んでくれると思うよ」
      「そうやって空気読まれてる雰囲気になるのがイヤなのよ!」
       結局窓際で4人雪を眺める形となった。
      「でもさあ、ハラケンの方はまだ悟朗と話し込んでるわよ。いいのあれで?」
       いささか不満そうに愛子が優子に訊ねた。
      「......いいの。スイッチが入るとああなるのはいつものことだしね。一緒にいたら文恵ちゃんと大地君みたいに冷やかされるだろうし」
      「うわ。ひっどいヤサコ。あたし達のこと隠れ蓑にしてくれちゃって」
      「わたし達は去年1年みんなから集中砲火の目に遭ったんだから、このくらいはいいじゃない」
       いたずらっぽく優子は笑ってみせた。文恵の目から見ても、優子は中学校入学の時と比べると少し大人びた感じがする。
      「......そう言えばさあ、イサコの方はどうなってんのかねえ。修一君とうまくやってるのかしら?」
       ふと愛子が遠い目をしてつぶやいた。
       勇子が去年の暮れあたりから優子のいとこである修一と付き合っているということは文恵も聞いていた。去年の春の事件で2人が大黒に来た時からなんとなく怪しい雰囲気だったので、これも納得の組み合わせだった。
      「金沢も雪かなあ?」
      「あそこはここより雪は降るだろ。イサコもシュウと一緒に見てんじゃねえか?」
       大地もその時に修一と友達になったので、2人がうまくいくことを願っているらしい。
       ところが、
      「そのことなんだけど、わたし、お父さんに聞いちゃったの......」
      「なに? ヤサコ」
       突然深刻な表情になった優子の顔をその場の3人は覗き込んだ。
      「修一君のお父さん、つまりわたしの叔父さんだけど、来年の春から大黒支社に転勤になるんだって。修一君も、大黒中への転校が決まったって」
      「え!?」
       3人の声が重なった。
      「それはもう決定事項?」
      「うん。修一君も聞かされてるはず」
       その場にはこの浮かれた日にはそぐわない重い沈黙がおりた。
      「......そうか。シュウが大黒中に来るのは歓迎したいけど、それはイサコも辛いな」
       言わずもがなのことを大地はつぶやく。
      「じゃあ、どうなんだろう。修一君はこのクリスマスの前にそのことイサコに言ったのかな。言ったらクリスマスに会うのもなんか辛いし、言ってなかったら言い出すタイミング逃すかもしれないしなあ。イサコに来年のクリスマスも一緒にいようね、なんて言われたらなおさら」
      「ちょっと!! なに悲しいストーリー作ってんの!? 聞いてる方も辛いじゃない!!」
       と、文恵は愛子を一喝した。
      「ご、ごめん。っていうか泣いてるの!? ちょっとアンタ、人の感情の受信感度高すぎるでしょ!」
      「仕方ないじゃない。好きな人といられなくなるのよ。そんな、イサコの気持ち考えたら......」
      「文恵」
       大地がそっと肩に手を置いた。少し気まずい雰囲気になり、「ちょっと、ここはアンタに任せるから」と彼に耳打ちした愛子は、優子と一緒にその場を離れていった。
       はからずも2人だけの空気ができあがってしまった。
      「泣くなよ、こんな日に」
       声に大地の困惑が混じっているのがわかる。もしかしたら、大地の前で泣いたのは初めてかもしれない。
      「だって......」
      「悲しいのはイサコの気持ちを思ったからか? それとも自分の身に置き換えたのか?」
      「......両方」
       すると肩に置かれた手は文恵の頭に軽く乗せられた。
      「俺はどこにも行かねえよ」
      「でも、転校とか、そういうのもしあったら、どうしようもないし......」
       ああ、なんで自分でもこんなマイナス思考になってるのか。そんなことそうそうあるわけがないのに。
      「もし来年の春にどっちかが転校したとしても、高校卒業したら身の振り方はどうにかなるだろ。だったら4年じゃねえか。俺はお前に認められるために1年我慢したんだ。だったら4年ぐらい待てるって」
       文恵は驚いて顔を上げた。もしそんなことがあったら終わってしまうと思っていたのに、大地は、4年も待ってくれるなんて......今からの4年なんて果てしなくて想像もできない、ほとんど永劫といってもいいぐらいの時間なのに。
      「どうして......」
      「お前以外に考えられねえからに決まってるじゃねえか。お前はどうなんだ? 俺のために4年待ってくれるか?」
       大地の問いかけは弱く、そうやって彼を不安にさせた自分に後悔する。
       そこまで言わせておいて、答えなんて決まってるじゃない。
      「待つわよ! 大地のためなら、4年と言わず何年でも!」
      「......だったら心配いらねえな」
       そう。あたしが泣く理由はない。勇子のことは気の毒でも、心にのしかかっていたのは自分のことだ。
       なのに、どうしてだろう。涙が止まってくれない。
      「......ごめん。大好き」
       文恵は自分の目の高さにある大地の胸に顔をうずめた。
       周りの目なんて気にしていられなかった。

       しんしんと雪の舞う夜道。文恵と大地は愛子のマンションを後にして、駅方面に向かって歩いていた。
       結局あの後、文恵と大地は場の雰囲気から浮いてしまい、愛子に気を遣われて先にイルミネーションの方に行くように促された。優子と研一、そして残ったメンバーもせっかくなのでメガネ最後のクリスマスイベントを見に後から来るらしい。
       とはいっても、ここからはもう2人っきりの時間である。
      「......ごめんなさい。なんか、あたしが取り乱しちゃってこんなことになって。もうちょっとあそこにいたかった?」
       おそるおそる文恵が訊ねてみると、
      「いいって。予定が早まっただけじゃねえか。それに、イサコのことで不安になったのもしゃーねーよ。人の痛みを自分の痛みに感じるお前のそういうところ、俺は好きだから」
       と、大地に微笑んで返され、文恵はまた泣きそうになった。
       ......ホントに、幸せ過ぎてどうにかなっちゃいそう。
       すると大地は小さく咳払いして、改まって訊ねてきた。
      「......なあ。手、つないでいいか?」
      「え?」
       文恵が驚いて大地の顔を見上げると、こちらもかなり恥ずかしそうな、きまりの悪そうな表情をしていた。
       それは文恵が待ち望んでいた言葉だった。
       大地はこれまで手を握ろうと提案してくれたことはなかった。文恵もシャイな大地の性格を知っていたのでずっとそれを待っていた。ときにじれったくなって自分から行こうと思ったこともあるが、結局文恵も恥ずかしくなって喉元まで言葉が来ていても声には出せないのだ。
       ......やっぱり、そういうのって男子がリードするものよね。
       そんな言い訳を自分の中で重ねながらも、付き合い始めてから半年以上経つというのにそれすらもクリアしていないことに、不安を感じ始めていたのも事実だった。
      「イヤならいいんだけどな」
       ついにその時が来て、文恵は驚きと喜びでとっさに声を出せないだけだったが、彼は違う意味に受け取ったようだ。
       慌てて文恵はその勘違いを正す。
      「イヤなわけないじゃない! ずっと待ってたわよ!」
       と、勢い余って余計な一言も付けてしまった。
       大地は苦笑して、そして安堵したように息をついて、文恵の小さな右手を少しぎこちない手つきで握りしめた。
       ......あったかい。そう思うのはこの状況に自分の体も火照っているからかもしれないけど、でもそれは大地も同じだろうし......いいやそんなこと。今は何もかも満ち足りていて、他に望むものなんてないもの......あ、でも、もうひとつ上にのぼってもいいのかな。それは大地もどう思ってるんだろう。クリスマスだし、周りのムードとかで盛り上がったら......
       ひとつ階段をのぼったところで、文恵はすでに次の目標のことで頭がいっぱいになっていた。
      「でも、リアルな話」
       そんな時に大地が切り出した。
      「なに?」
      「いや、まあ気が早いんだけどな。別々の高校に行ったら、今ほど会えなくなるんだろうなって。イサコとシュウみたいに離れるわけじゃないけど、登下校も文恵と一緒の俺からしたら、それでも寂しく感じるかもなって思って」
       さっきは4年待つと言いながら、案外こういう女々しいところも見せる。それもかわいかった。
      「それはあたしだって同じかも。大地は水高一本に絞ってるの?」
       県立水の森高校。偏差値は中程度だが、公立校では県内屈指のサッカー強豪校でもある。
      「来年の大会を通して、あそこのサッカー部でやり通せる自信がついたらな」
      「でも、サッカーのレベルを上げることができても、大地の成績だと勉強の方でも相当頑張らないといけないわね」
      「そうなんだよなあ」
       大地は空いた右手で頭を抱え込んだ。日々サッカーだけに打ち込む大地の成績はなかなかひどいものがあった。水高サッカー部を目指すなら、来年は文武を両立させないと難しい。
      「でも、そっか。水高かあ。あたしも水高で十分満足だけどね」
      「いやいや。文恵が俺と同じ偏差値の学校に行くのはもったいないだろ。弁天は厳しいにしても、大曲とかあるじゃねえか」
       弁天高校は文恵達の学区では最難関の公立進学校、大曲もそれに次ぐレベルだ。文恵は中学校に入ってからきちんと勉強はしていたので、成績は良い方に入る。
      「でもさあ、あたしも勉強が好きなわけじゃないのよね。進学校で1年の時から大学受験を意識させられるよりかは、自由な校風なところで好きなことしたいわけよ」
      「生徒会活動とか?」
      「そうそう。高校の学祭は中学校と規模が違うし、その運営とか絶対面白いと思うのよ」
      「なるほどなあ。それで水高か。文恵からしたらお手頃なんだろうな」
      「多分、ヤサコや愛子もあの辺狙うんじゃないかしら」
       もちろん親や先生とも相談を持つべきことなので、現時点では何とも言えない話である。しかし、高校も大地と同じところで、大地の頑張っているところを間近で見られたら、という理想を描かずにはいられなかった。
      「今の俺が水高行きたいなんて言ったら『ばっっかもーん! もっと己を知りなすわーい!』だぜきっと」
      「あはは。今のイッシーのまね? メッチャ似てたわ」
       大地のクラスの担任のやたら甲高い声の男性数学教師である。
       しかし、大地とラインを揃えるとしたら文恵も水高辺りが限界だった。それより下となると先生や親の反対に遭うだろう。大地の物まねもあながち笑い事では済まなくて、目下のところ同じ高校に通えるかどうかは彼の努力次第なのだ。
      「じゃあ、来年は大地につきっきりで家庭教師しないといけないわね。理系科目はハラケンとかにも手伝ってもらって」
      「うわあ。でもそのぐらいしてもらわないとムリか。俺1人で勉強できねえからなあ」
      「そうよ。アンタはやればできるのにやんないから今の成績に落ちぶれてるのよ。昔はいらん電脳知識ばっかり蓄えてたじゃない。その容量分を勉強に使うのよ」
      「すまん、今おかんに説教されてる気分だった」
      「とにかく、やるならマジで協力するわよ。あたしも大地と同じ高校に行きたいもん」
       すると大地も引き締まった表情で夜空を仰いだ。
      「......そうだな。来年は本気出すか」

       イルミネーションはここ1週間は点灯しているということで、普段は家族連れで見に来る人も多いということだったが、今日ばかりは若い男女ばかりが大黒駅前広場を占拠していた。
       文恵と大地はまだ"メガネ"はかけていない。場所を確保したら2人で同時にかけることにしており、今は広場を見回して適当なスペースを探しているところだ。
       しかし、ことここに至って文恵は若干気後れしていた。
       周りの男女はみな一様に大人で、中には高校生ぐらいのカップルもいるが、自分達が一番若いような気がしてならなかったのだ。大地も背が伸びたとはいえ一般成人のサイズに達しているわけではないし、文恵に至ってはまだ標準的な小学生のサイズだ。
       あたし達、絶対浮いてる。背伸びした中学生がやって来たぐらいに思われてないだろうか。
       そんな躊躇から文恵は少し歩幅が狭まってしまったが、手を握る大地の方はそれを引っ張るように前に進んでいた。
      「......せっかく来たんだし、楽しまないと損だろ」
       意地かな、と思った。それでも引っ張ってくれる手は頼もしかった。
       何より、この場で自分を連れていても大地がまったく恥ずかしがっていないことが嬉しかった。
       2人はちょうど空いていた階段のスペースに腰を下ろした。同じ階段にもぽつぽつとツリーを眺めているカップルがいる。
      「さて、"メガネ"かけるか」
      「うん」
       ほとんど最近は電話やメール以外で使うことがなくなった"電脳メガネ"。よくよく考えてみれば、これが自分達を結びつけたのだ。
      「あ〜なんか、思い出しちゃった。昔はよくこれでケンカとかしたよね」
       大地は苦笑して、
      「そうだな。あんときはホントにガキだったな〜俺も。まあ、今もか」
      「大地はずっと変わってないよね。1つのことにひたむきに打ち込む姿勢は」
      「それをひたむきっていうのか? 俺が"メガネ"にもサッカーにも打ち込んだのは、どっちも文恵の気を惹くためだったけどな」
       文恵は少し気恥ずかしくなって俯いた。
       大地の方は昔からあたしのことが好きだったと言ってくれていた。本当はあたしも昔から、と返したいところだけど、あの時のあたしが彼を敵だと認識していたのは事実だ。きっと大地の想いには気付くまいという意地っ張りな意志が無意識に働いていたんだろう。それでもどこかで、彼を異性として意識していた部分もあったはずなのだ。じゃなかったら、例えば夏祭りの時の「だいっきらいだ!」がこんなに耳に残ってるはずがない。
       今となってはすべてが微笑ましい思い出だ。大地とたくさんの時間を共有させてくれたこの"メガネ"には感謝だし、別れは名残惜しい。
       だからこそ、今からこの"メガネ"が見せてくれる最後の景色は、永遠のものとして心に刻み付けたい。
       文恵は1つ深呼吸をして心の準備をした。
      「じゃあ、せーのでかけましょ」
      「わかった」
       大地も"メガネ"を額の上にセットした。
      「せーのっ!」
       大地と同時に"メガネ"をおろした。
       瞬く間に世界は表情を変えた。
       
       2人は光の建物の中にいた。
       黄金色に輝く教会。
       ツリー越しに見える壇上に刻まれた十字架。
       どこからともなく聞こえてくる鐘の音。
       高い天井から舞い落ちてくるのは、花びらのような、雪。
       文恵はそこに2人の未来を重ね、
       なぜだかわからず涙がこぼれた。

       どのくらいそうしていただろうか。声を出すのも忘れてその景色に魅入っていた文恵は、再びその手をぎゅっと握りしめられて大地を見上げた。
      「きれいだな」
      「......うん」
       鼓動はみるみるうちに強く、速くなる。
       真っ白な頭の中でも、文恵は周りの男女の様子を意識していた。
       やっぱり、この場の雰囲気に勢い借りて一気に来るのかな。
       期待と、そして不安。
       緊張のあまり、その前から息の仕方さえわからなくなっていた。
       そして、
      「......すまん。これが今の精一杯だ」
       大地は文恵の手にもう片方の手も添えて包み込んだ。
      「......大地」
       がっかりしなかったと言えば嘘になる。しかし、なぜかそれにホッとした自分がいた。
      「周りのムードに乗っかって、っていうのがダメだった。それはただ、大人ぶりたいだけみたいな気がしたんだ」
       大人ぶりたいだけ、か......確かにそうかもしれない。
       あたしはそれで大地との絆の証が手に入ると思った。けど、この手の温もりはその証には成り得ないの?
       違う。多分、あたしがそれを求めたのはほとんど好奇心だ。今日、手を握られたことに満足していたはずが、途端にまた次の段階のことに気が行ってしまっていた。本当に今、それが必要なのかも考えずに。
       じゃあ、それをクリアしたらその次は? もしここでお互い大人ぶって、大人になったと勘違いして、今のあたしには想像もつかないその次を大地に求められたら? 
       ......とても応えられる自信はない。そんなことですれ違うなんてイヤだ。
       恋愛って、どちらかが速く、どちらかが遅くなるのは仕方ないのかもしれない。実際これまではあたしの方が速かったと思う。でも、いつかどこかで大地の方に抜かれる日が来るかもしれないし、そうなったら、あたしは一緒にいるのがちょっとだけ苦痛になるかもしれない。
       ......全然焦る必要もないよね。あたし達には途方もないくらいの時間があるんだもの。
       文恵は残るもう片方の手を、大地の両手の上に重ねた。
      「そうね。そういうのって全然あたし達らしくないもんね」
      「......文恵」
       申し訳なさげだった大地の表情の緊張も和らいだ。
      「ゆっくり行こ。あたし達はあたし達のペースで」
      「ああ、悪い。じゃあせめて、もう半歩だけ踏み出すことにする」
       そう言うと大地は文恵の肩に手を回して、その体を引き寄せた。
       文恵はそのまま大地に体を預け、きらびやかな景色をじっと眺めていた。
       ......あ。
       遠くの方で、優子と研一らしき2人が唇を重ねようとしているのが見えた。
       大地にあれを見せるのもまた悪いので、文恵は口をつぐんだまま2人から目を逸らす。
       ......ちょっと羨ましいけど、仕方ないよね。あの2人はあたし達より1年も長いわけだし。
       それに、あたしは今のままでも十分幸せだし。
       大地と文恵は、親に告げていたパーティーの終了予定時刻ギリギリまで、"メガネ"の最後の幻に酔いしれていた。

       後日談だが、愛子と元黒客メンバーも大黒駅前広場には来ようとしていたらしい。しかし、その場の雰囲気があまりに甘かったので、男3人は怖じ気づいて逃げ出したというのだ。
      「アンタは結局どうしたのよ?」
      「1人であの光のチャペルに佇んでいたわよ。まだ見ぬ運命の人を思い浮かべながらね」
       文恵には絶対に真似できない。
      「アンタって強いんだか弱いんだかわかんないわ」
      「あ〜、でも今回は色んな教訓を得たわ。とにかく恋愛はタイミングね。クリスマス前に別れるとかマジであり得なかったわ。なんとか1ヶ月延命する方法考えればよかった」
      「そんな微妙な感じでクリスマス迎えても楽しいわけ?」
      「もしくは、別れるなら次を確保しておくってことかなあ」
      「付き合ってられんわ」
       これだからなまじモテる女はイヤだった。
      「アンタはどうだったのよ? あたしが行った時には見つけられなかったけど、キスはしたのかなあ?」
      「ノーコメントよ!!」

       そんな文恵と大地が初めてキスをしたのは、それから1年と3ヶ月後。共に県立水の森高校への切符を勝ち取ったその日だった。
       
       

       
       
       







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      『電脳コイル 春』サイドストーリー 最終話

      2010.10.01 Friday 23:18
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         ー前回のあらすじー
         みんなそれぞれ意中のクラブの見学に行きました。

         今回は最終回ということで、『春』本編の空気にだいぶ近づきます。

        ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

         大黒市立大黒中学校 最終話 「金沢の異変」

         1年生のクラブ体験期間もこの日が最終日。メンバー達は全員最初に絞ったクラブに正式入部しようと考えていた。ヤサコが吹奏楽部、ハラケンがロボット研究部、アイコがテニス部、ダイチがサッカー部、ガチャギリがゲームクリエイトクラブ、ナメッチが調理研究部、デンパが美術部、そしてフミエは当初考えてもみなかった文芸部だ。正式入部は来週からとなる。
         そんな晴れ渡る金曜日の朝。この日は寝坊して遅れるらしいアイコを置いて、ヤサコ、フミエ、ハラケンは3人で登校していた。ちょうど彼らがクラブの話に花を咲かせながら中津交差点の辺りを通りがかった時だった。
        「あれ?小此木さんに橋本さん、それに原川君」
         歩道のガードレール越しに3人に声をかけてきたのは大黒市警の直樹だった。横には同じく大黒市警に配属されている久美子もいた。
        「あ、直樹さんに久美子さん。おはようございます。お久しぶりです」
         3人を代表してフミエが丁寧に挨拶する。さすがは学級委員長になっただけあり、お手本のようなお辞儀だった。ヤサコとハラケンも笑顔で礼をする。
        「そうかあ、3週間ぶりくらいだもんね。いやあ制服を来てるから最初は誰だかわからなかったよ。3人ともよく似合ってるよ。大人びた感じがするね」
         こちらも相変わらず愛想のいい笑みを浮かべて直樹が言った。気持ちのいい言葉に3人は照れ笑いを浮かべる。
        「ありがとうございます。直樹さん達は、こんなところに車を止めてどうされたんですか?あ、例の再調査を?」
         フミエが思い出したように言う。中津交差点に来ているということは、そういうことなのだと察しはついた。直樹と久美子はカンナの交通事故の再調査を任されている。2人の目的は事故の時にここで 通路が開いたという確実な証拠を掴むことだ。
        「調査の方はその後どうなんでしょうか?」
         ハラケンが進みでて訊ねた。カンナの名誉のために交通事故の真実を隠蔽したメガマスの旧幹部を裁きたいと願ったのは他ならぬハラケンだ。直樹はそんなハラケンを前に、少し渋い顔つきになった。
        「うん。まあぼちぼちだね」
         その表情に合わせて声のトーンも下がったので大体事情は読めた。
        「あまりうまくはいってないんですね」
         もちろんハラケンは2人を責めるつもりはなかった。しかしその事実にはハラケン自身も落胆の表情を隠せなかった。
        「すまない。八方手を尽くしているんだけどね。今日もここを通学路に使う学生相手に聞き込みをしていたんだ。成果はなかなかあがらないけどね」
         この道を通る学生というのはたいていが大黒中の生徒、もしくは小学生だ。つまり子どもの証言を頼らざるを得ないほど、再調査は暗礁に乗り上げているということを意味している。
        「大丈夫ですよ。きっと事故を目撃した人は必ずいるはずです。そんなに肩を落とさないでください」
         少し気まずい空気が流れたのでフミエが取り繕うように直樹を励ました。
        「ほら、竹下君。彼女の言う通り肩を落としている場合じゃないわよ」
         久美子も一緒になって直樹に声をかけて3人に向き直った。
        「ごめんね。彼、最近このことでナーバスになってるのかずっとこんな感じなの。ちょっと後で気合いを注入しておくわ。必ずあなた達にはいい報告ができるようにするから」
         3人には久美子の方がずっと頼もしく見えた。直樹には疲れの色さえ見える。
        「それを聞ける日を心待ちにしています。じゃあ行ってきます」
         フミエは聞き込みを邪魔するわけにはいかないのでここで話を切って行くことにした。しかしそこで直樹が気を取り直したように呼び止めた。
        「あ、待って。君たち、金沢の事故について何か聞いてる?」
         いきなりの質問だったが、ヤサコ達3人には思い当たることがなくはなかった。
        「竹下君」
         しかし今度は久美子が直樹の腕を掴んで首を横に振っている。どうしたのだろうかと3人は思ったが、直樹もそれでハッとして考え直したようだった。
        「ごめん、君たちは通学中だったね。込み入った話はまた今度聞くことにするよ。呼び止めて悪かった。道中気をつけてね」
         直樹がそう言うので、ヤサコ達も「はあ」とそのまま軽く頭を下げて歩き出す。直樹はしばらく手を振っていたが、その後は神妙な顔つきで久美子と何かを話し合っているようだった。
         中津交差点を通り過ぎた3人は直樹の言いかけたことについて考えた。
        「金沢の事故ってあれよね。なんか空間に穴が開いたとかで、周りにいた子ども達のメガネが壊れたってやつ」
        「ああ。オバちゃんはその事故の調査のために金沢に行くって言ってた。ヤサコもおじさんからその話を聞いたんだよね」
        「うん。直樹さんもそのことは多分オバちゃんか誰かから聞いてたんだろうね。でもなんで私達にそのことを確認しようとしたのかな?」
         3人はしばらくの間考え込んでいたがその理由はわからなかった。

         それがぼんやりと見えてきたのは学校に到着してからだった。フミエは2組の自分の席につくと、その後やって来たガチャギリから朝一番で珍しく声をかけられたのだ。
        「なあフミエ。ちょっとメンバーで相談したいことがあるんだが、昼休みに連中を集めてくれねえか?」
         いきなり何の話だとフミエは思いつつも、ガチャギリの方を振り返って確認する。
        「メンバーって『コイル探偵局』の?なにかメガネに関するトラブルでも?」
        「そんなところだ。できれば誰にも聞かれないところで相談したい。昼休みに人気のない都合のいい場所は思いつくか?」
         それなら屋上でもと思ったが、こんな天気のいい日なら出入りがあるかもしれないと思った。空いている教室でもいいが、どこの教室が常に人が来ないかなど入学したての自分たちにわかるはずがない。
         そんなところでフミエは1ついい場所を思いついた。
        「心当たりがあるわ。場所のセッティングは任せて。にしても、そんな人払いをしてまで何の相談よ?」
         するとガチャギリは周囲を窺い、細めた声でフミエの耳元でささやいた。
        「金沢の事件に関することでちょっとな。それに我らがイサコがそれに関わっているかもしれねえんだ」
         フミエは驚いて無言のまま大きく目を開いてガチャギリの方を見据えた。言い終えたガチャギリは何事もなかったかのようにバッグを開いて教科書を取り出し始めていた。

         昼休みにフミエがメンバーを集めたのは第3会議室前だった。校舎の隅にあって人は滅多に来ない文芸部の部室だ。フミエはあらかじめ部長の入江に連絡をとっていて、彼女はそこに鍵を持って来てくれた。
        「すみません部長。わざわざ鍵を持って来ていただいて」
        「かわいい後輩のためだ。このくらい構わない。これからこの部室は好きな時に開けて使っていい。鍵は職員室の鍵掛けの右端の方に掛かってるからな。もちろん、使い終わったらちゃんと戸締まりして鍵は元に戻しておいてくれ」
         入江はそう言うと鍵を差し込んで解錠した。少し立てつけの悪い引き戸を開いたフミエは、まずメンバー達を中に促す。
        「適当なところに座って」
         そしてフミエは入江から鍵を受け取った。
        「繰り返すが出る時の戸締まりには気をつけてくれよ。ちなみにこの子達は君の友達か?」
         メンバー達は入る時に入江に軽く会釈する。そんな彼らを見て入江はフミエに訊ねた。
        「まあ、そんなところです」
        「そうか。願わくば彼らも正式入部とはいかないまでも、文芸部の活動に参加してもらいたいものだ」
         それはフミエのように入江の手駒になることを意味していた。フミエはそれを不服とは思っていないし、話してみると楽しい人であることもわかっているので気にならないが、さすがにこのメンバーを全員参加させるのは気が引けた。
        「まあ、誘ってはおきますよ」
        「はは。頼んだぞ」
         そう言うと入江は満足そうに帰っていった。フミエは廊下を見渡し、近くに人がいないことを確認してから引き戸を閉めた。部員が入って来るかもしれないが、電気をつけていればその時はノックぐらいするだろうと思った。
        「文芸部の部長さんってキレイな人なのね」
         すでに2つ並んでいる長机の一方に陣取って座ったメンバーの中から、アイコがフミエに言った。その印象は間違ってはいないが、彼女が毒蛇のようなしたたかさを隠していることをフミエは黙っておくことにした。
        「しかし随分とかわいがられてるな。まだ正式入部もしてねえのに、部室を勝手に使ってもいいって。こっちは大いに助かったけどよ」
         続いてなぜか上座にいるダイチが言った。下座しか空いていなかったのでそこに座ったフミエはこの位置関係はどうなんだという不満は置いといてそれに答える。学級委員になってからフミエは我慢を覚えた。
        「基本ヒマなクラブだから出入りもないのよ。ましてや昼休みだからね。でもあの人に借りを作るのは怖いわね......それはともかく、早速話に入りましょうか。今日アンタ達『黒客』が私たちを招集した理由を教えてよ。私はさっきちらっとガチャから話は聞いたけど」
        「ああ。実は昨日の放課後、久々に『黒客』メンバーで集まって今後の活動方針の確認をしていたんだが、まあ、メタバグも出なくなったことだし具体的に何をするかって話になったんだ。そこで儲け話を探すために色々と検索していたんだが、そん時にある掲示板を見つけたんだ」
         ダイチが身を乗り出して説明をはじめる。ダイチはフミエとガチャギリの恋人疑惑以来ずっとガチャギリには声をかけづらくなっていたのだが、その疑いが晴れるやいなやすぐに『黒客』の活動の話をガチャギリに持ちかけた。学校のクラブもメンバー達は大体絞り込んだわけだし、『黒客』の活動についても今後どうするかを話し合うために昨日は集まったのだ。
        「その掲示板っていうのは?」
         訊ねたのはハラケンだ。
        「ああ。金沢のメガネに関する都市伝説が書き込まれる掲示板だ。金沢はメガマスの支社もあってコイルス社だったか?の実験空間もあった場所だよな。だからメガネに関する都市伝説は大黒と同じぐらい多い。しかしメガネユーザーの全体的なレベルが低いから、今じゃ大黒市でも信じられていないような話も、まだ信じ込んでいるヤツは多いらしい。具体的な例で言うとミチコだな」
         ダイチがその名前を出した時、ヤサコの心臓は一瞬跳ね上がった。ダイチが何を言わんとしているのか、ヤサコのこめかみをイヤな汗が伝う。
        「で、これが昨日その金沢の掲示板に書き込まれていた記事だ。記事自体の信憑性はどうかと思うが、ちょっとショッキングなことが書かれてあった」
         ダイチはそう言うと、全員の目の前にウインドウを表示した。メンバー達は神妙な面持ちでその記事を沈黙しながら目を通す。内容はこんなものだった。
        『夕日寺中学校の生徒である天沢勇子は、黒井地区で最近よく目撃される暗号を駆使し、”あっち”への通路を開いてミチコに会おうとしている。先日起こった電脳ペットの集団奇 怪行動も、この暗号の影響である可能性が高い。彼女は大黒でも同様の行為に及んでおり、先日メガマスから発表された大黒市中津交差点の交通事故の原因と言われている』
         そしてその書き込みには、イサコがチョークで暗号を書いている画像が掲載されていた。
        「まさか、イサコが今更こんなことするわけないじゃないか。ガセネタだよこれは。画像だって昔のものの使い回しか合成だろ」
         真っ先に言ったのはハラケンだった。ここにいる誰一人これを事実だとは思わなかった。
        「書き込みについては、オレもそう思う。でもそう簡単に切り捨てられないところもある。この画像を調べてみたんだが、ハラケンの言う合成なんかじゃなかった。これは少し前にキューちゃんが撮影した正真正銘のイサコらしい」
        「それにこの画像にある暗号をよく見てみろ。これはイサコがかつて使っていた暗号とは構造がまるで違う。古い物の使い回しという線もない」
         ダイチとガチャギリがそれぞれ指摘する。2人の言いたいことに気付いたのはフミエだ。
        「ちょっと待って。そうなるとイサコは今まで使ってなかった暗号をわざわざ持ち出したってことになるよね。ミチコを呼び出しているかどうかはともかく、イサコは本気で何かを起こすつもりだってことが言えるっていうわけね」
        「まあ、そんなところだわ」
         フミエ達の会話が進んでいる間に、画像を拡大してにらめっこをしていたハラケンはぽつりとこう言った。
        「この暗号、どこかで見たことがあるような気がするんだけど、どこだったかなあ?」
        「本当かハラケン?しかしこんな魔方陣みたいな暗号、見た事もねえけど」
         半信半疑でダイチが訊ねる。その「魔方陣」という言葉でヤサコはハッと思い出した。
        「ハラケンこれもしかして、先月廃工場に行った時に見つけたのと同じじゃない?」
        「廃工場?ああ、そうだその時だ。確か工場の電源パネルがある部屋にあったんだっけ」
         ハラケンもはっきりとその時のことを思い出した。
        「ちょっと、廃工場なんて忌々しい記憶を思い出させないでよ」
         その話に反応したのはフミエだ。先月廃工場のブースに閉じ込められたヤサコとフミエはそこで心霊体験をした。その時であった少女をヤサコは思い出す。
        「ごめん。でもどうしても気になって。それで続きだけど、フミエちゃんと私がおかしな体験をした翌日にハラケンと廃工場に行ったのは、その時に出会った女の子を探すためだったわ。名前はなんだったかなあ。ああ、そうそう。詩織ちゃんだったかな。私達と同じ歳くらいの子よ」
        「ふむう。じゃあその詩織って子がこの魔方陣的な暗号について何か知っているかもしれんってことだな。その暗号をどういうわけかイサコが使ってると。まあ、その辺の事情はイサコに直接連絡をとれば済む話だが、その子は大黒の小学校の生徒なのか?」
         ダイチがヤサコの話を聞いて確認する。しかしヤサコはかぶりを振った。
        「ううん。大黒の出身じゃないって言ってた。どこか遠くの方、言ってもわからないところって」
        「じゃあ、その詩織って子は金沢の人間でいいんじゃないのか?言ってもわからないところっていうのが気になるが、そうしておけばイサコがこの暗号を使っていることもだいたい想像できる。イサコはその子と何かを起こそうとしているのかもな」
         とりあえずガチャギリのまとめで皆は同意するようにうなずいた。手がかりもないし、それにこれはこの会議の大きな主題ではないからだ。
        「1番の問題は天沢さん自身のことよ。この書き込みは、去年イサコが大黒にいた時に書かれたものに似てる。もしもダイチ君の言う通り、金沢のメガネ事情が遅れているとしたら、その時と同じことがイサコの身に起こってるかもしれない」
         ヤサコはこの時最も肌身に感じている不安を口にした。それを聞いてメンバー達もしんみりとする。
        「そう。この書き込みが事実かどうかは関係なく、これが1番の問題だ。多分ヤサコの心配してる通りのことが起きてると思う。まあ、それをオレたちが遠い大黒から心配したところで、何の解決にもならないんだがな」
         ダイチの言うことはもっともだが、それはただメンバーに無力感を煽っただけだった。
        「うん。あの時は私たちもイサコをかばってあげようとは思わなかったわけだしね。今アイツを心配したとしても、端から見れば私達は偽善者になる。あの時イサコを気にかけてたのは唯一ヤサコぐらいよね。金沢でも、アイツにヤサコのような存在があればいいけど。そうじゃなかったらツラいだろうね。まだ中学校生活は始まったばっかりなのに」
         フミエが自分を責めるように言った。今更あの時の反省を押し並べても仕方ないが、後悔の方が先に溢れ出て来る。場は静まりかえったが、再びヤサコが、今度は控えめな声でつぶやいた。
        「でも、今こんな書き込みが出るってことは、もしかして金沢の事故の原因は本当に......」
         その名前が出そうになったところでヤサコは口をつぐんだ。メンバー達には今月初めの廃ビルの事件以来、ずっと黙ってきたことだ。
        「何ヤサコ?気になることでもあったの?」
         フミエがヤサコの顔をのぞき込みながら訊ねた。
        「なんか顔色悪いなヤサコ。大丈夫か?」
         続いて心配そうにダイチが声をかける。その時ほとんどのメンバーは、イサコを心配するあまりヤサコの気分が悪くなったのではないかと思った。
        「別になんにもない。ただ、ここに書かれている電脳ペットの集団奇怪行動っていうのが気になって」
         その時首を横に振ったヤサコをなんとなくおかしいと思ったのはフミエとハラケンだった。ヤサコの「別になんにもない」はなにかある時によく出る言葉だと気付いているのだ。
        「ああそれについても気になったから調べてみた。なんでも今週のはじめに金沢市の一部の地域で、文字通り電脳ペット達が一斉におかしな行動をとったっていう事件があったらしい。それに関しては人的被害がなかったからニュースにはならなかったみたいだが」
         そんなヤサコの様子には気付いていないダイチが説明する。メンバー達にとってはその話は初耳だった。
        「そんなことがあったんだ。金沢市は本当に最近おかしな事故が続いてるね。確かその日には電脳ナビの故障で車の追突事故があったはずだ。その時は小さい誤作動だったらしいから、大きな事故にならなかったけど」
         その追突事故についてはニュースでも報道された。何しろメガマスがメガネの不具合や電脳ナビシステムの無期限停止措置を発表したその日に起きた事故だったので反響は大きかった。
        「何か原因があるんだろうな。ひょっとしてイサコはその一連の事件を追っているとか。それを快く思わないヤツが、イサコに関するガセネタをばらまいてその動きを封じようとしているんじゃないか?」
         ダイチにしては珍しくキレのいい推理を見せる。この書き込みも去年同様、誰かの何らかの意図があって書かれたものだということはメンバー達も薄々気付いていた。その説明としては、ダイチの推理は十分筋が通っているものだった。
        「あれだな。イサコもそういう星の下に生まれて来たっていうか、メガネの事故に巻き込まれる不運を纏ってるんだろうな。オレたちと同じで。いや、去年の事件はアイツがオレたちを巻き込んでいったものだから、アイツがオレたちに持ち前の不運を分けてくれたんだろうな」
        「ちょっとガチャギリ!そんな言い方はないでしょ」
         いかにもガチャギリらしい皮肉をアイコはたしなめた。
        「でもまあ、しゃくだけどダイチの推理はいい線行ってると思う。イサコがその事件を追ってるっていうのは多分そうなんでしょうね」
         フミエもダイチの推理に賛同した。
        「それはイサコに確認すればわかることだけどな。でもわかったところで、オレたちに何を手伝えるわけじゃない。イサコを手助けしたいが、アイツからしたらありがた迷惑だろう。アイツの方がやっぱし電脳力は上だからな」
        「まあ、それは疑いないことね。私たちはイサコの近況を掴むだけ。それで満足しないといけないわね」
         フミエがそう言うとメンバー達の視線はヤサコに集まった。そのヤサコはうつむき加減で深い考え事をしているようだったが、しばらくしてからメンバー達の視線にようやく気付いた。
        「え?なに?」
        「いや、こうなったら直接イサコに近況を訊ねた方が話は早いんじゃないかと思ってだな。そうするとイサコに1番頼られているお前しか適任者はいないじゃねえか」
         聞いてなかったのかよという表情でダイチがヤサコに説明する。
        「私が適任者なの?」
        「それはそうだろう。去年の事件でイサコを救って、あの後このメンバーの中でイサコと連絡を取り合ってるのはお前だけじゃねえか」
         メンバー達もそれに異論はなかった。イサコにとってやはり1番近い存在はヤサコになる。しかしヤサコはそれを即諾するでもなく、またしばらく考えるような表情になった。その時だった。
        「ちょっと待って」
         その流れを止めたのはフミエだった。全員がフミエの方に視線を移す。
        「なんだフミエ?」
        「私がイサコに話を訊くわ。ヤサコ、イサコの電話番号私に教えて」
         場は一瞬きょとんとした空気になった。
        「どういう風の吹き回しだよ。お前がイサコに電話するって」
        「別に、個人的にイサコの声を聞きたいって理由だけど」
         ダイチは「そうか」と納得するしかなかった。誰が聞いても同じことであるし、手を挙げるのならフミエにその役を与えても問題はない。実際フミエは、先ほども話に上がったイサコバッシングの時に彼女を信じてやれなかったことを本人に謝りたがっていた。
        「それだけなのか?他に考えがあるんじゃねえのかよ?」
         しかしガチャギリはフミエの申し出に若干の疑問を抱いていた。そしてもう1人、ハラケンも首を傾げていた。ハラケンの方は半分訳知り顔に見えたが。
        「それも個人的にイサコに訊きたいことがあるっていうのじゃダメかしら?」
         いちいち余計なところに反応してくれるなよと思いながら、それでもフミエはウソは言わなかった。だいぶぼかした言い方になったが、ガチャギリもそれで一応納得はしたようだ。おそらくガチャギリも薄々は自分の考えに気付いているのだろうとフミエは思った。ハラケンも同様だ。
        「んじゃまあ、そういうことでいいか?それならフミエ。イサコの近況については、来週また報告してくれよ。みんな気になってるだろうからな」
        「了解。じゃあヤサコ、イサコの連絡先教えて」
        「うん」
         そういうことで今日の会議はお開きとなった。フミエは部室の戸締まりをして鍵を職員室に戻しに行く。その時一緒について来てくれたヤサコの顔は、終始沈んでいるようにフミエには見えた。
         ヤサコは何か隠している。フミエは直感的にそう思った。

         翌日の土曜日。フミエは満を持してイサコに電話をかけた。

         その電話を終えてフミエが感じたのは、イサコにはどことなく悲壮な覚悟が漂っていたということだ。声だけでそれは伝わってきた。彼女は自分の戦いにケリをつけると言っていたが、フミエにはその意味がよくわからなかった。そしてその力強い言葉とは裏腹に、フミエは不安を拭いきれなかった。

         日曜日の夕方。金沢市のとある場所で開かれたメガネのイベントで空間事故が起きたというニュースが報道された時には、まさかという思いがフミエの頭の中によぎった。


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         『電脳コイル 春』サイドストーリーはこれにて終了です。

         一応今回のお話で時間経過の確認をしておきますと、この最終回は『春』本編では第18話の「分かち合えない痛みを抱いて」と同じ日という設定となっています。最後のフミエとイサコの電話はその話の[part8]に収録されています。この電話の翌日が第19話の「徒花の咲く庭」にてイベント事故が起こる日です。

         さらに細かい時間設定をここで説明させていただきます。以前のエントリーで、『春』の舞台となっている2027年のカレンダーは今年、2010年と曜日の並びは同じと紹介したのは覚えていますでしょうか。そこで今年の4月のカレンダーを引っぱりだしてもらうとよくわかると思うのですが、「徒花の咲く庭」は4月25日(日)に起きたという設定になっています。『春』の本編はその翌日4月26日(月)、厳密に言えば27日(火)の早朝にて第2部が完結しています。そして第3部のスタートはその翌日、4月28日(水)からとなります。翌日29日(木)は昭和の日でお休みですが、一応物語の中でも祝日設定しています。つまりゴールデンウィーク前の最後の登校日から始まるということですね。30日は休日じゃないぞ思われるかもしれませんが、その辺は学校の創立記念日などの適当な理由をつけて学校休みにしておきます。

         次回のブログは第2部の復習としてのまとめと、第3部への予習を予定しております。それでは来週もお見逃しなく。

         

         
         

         











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        『電脳コイル 春』サイドストーリー 第5話

        2010.09.24 Friday 23:15
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           ー前回のあらすじー
           お弁当の秘密が明かされ、フミエとガチャギリの恋人疑惑に終止符が打たれる。


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           大黒市立大黒中学校 第5話 「クラブを見に行こう」

           お弁当騒動が落着したその日から、1年生のクラブ活動体験期間が始まった。
           メンバー達はほぼ意中のクラブを絞っていて、初日の今日はそこを見学に行くと決めていた。フミエだけはまだ決めていないものの、ハラケンはロボット研究部、アイコはテニス部、ダイチはサッカー部、ガチャギリはゲームクリエイトクラブ、ナメッチは調理研究部、そしてデンパが美術部の見学に行くらしかった。
           ヤサコは前日から決めていた通り、まずは吹奏楽部を見学することにした。同じく吹奏楽部を志望するクラスメートの女子とともに、ヤサコは活動場所である音楽室のドアをくぐる。
          「見学の人ね。好きな席に座って」
           顧問は音楽の先生なので、ヤサコも授業でお目にかかったことはあった。横長の音楽室の前半分では先輩達がそれぞれの楽器を持って舞台上のように並び、音だしを始めている。後半分に並べられたイスは観客席だ。ヤサコ達はその中から適当な場所に腰掛けた。
           普段吹奏楽部の部員はグランドに平行する通路に立ち、個人練習でぶんがぶんがと音だしをしている。ヤサコはそんな光景をよく見ていたが、このようにまとまって練習しているのを見るのは初めてであり、そこからどんな演奏が出来上がるのか楽しみであった。
           そこから10分ほどの待ち時間があってドアは締められた。集まった1年生は15人ほどだ。男子はその中で2人。どれだけ入部するのかはわからないが、数あるクラブの中で学年の1割り以上が集まるということは、やはり人気クラブなのだろうとヤサコは思う。
          「はい。1年生のみなさんこんにちは」
           教師陣の中では比較的若い女性音楽教師は、声高らかに挨拶をした。集まった1年生も遠慮がちに「こんにちは」と返し、軽く頭を下げる。
          「今日はたくさんあるクラブの中から、我が吹奏楽部の体験入部に来ていただいてありがとうございます。音楽の授業でも紹介しましたが、私は顧問の緑川です。では部長である初瀬くんからも挨拶をいただきましょう」
           緑川が振ると、列の1番手前のトロンボーンを持った青年が1歩前に出て来た。
          「ご紹介にあずかりました。部長の初瀬です。今日は予想外にこんなにも多くの1年生諸君に集まっていただいて、僕も緊張しています」
           青年は部長らしからぬというか、背は意外と低く頼りがいのあるという風格はなかった。どっちかというとかわいい系の男子だ。
          「なんでこんな僕が部長なんかしているんだろうと思われた方もいるでしょう。僕もそう思うのですが、3年生の男子は僕しかいなくて、先生やこの周りの怖いお姉さん達にムリヤリ押し付けられて仕方なくやっています。このクラブは基本的に女尊男卑なので、男子のみなさんは覚悟して入部してください」
          「部長、余計なことを言わないの」
           後ろの列の女子からツッコミがとぶ。なるほどヤサコも部長の言葉がわかるような気がした。
          「すみません。今日はみなさんに吹奏楽部がどんなクラブなのかを紹介したいと思います。というところでウチがどんなクラブかを知るには、やはり演奏を聴いていただくのが1番だと思いますので、これから何曲か続けて演奏します。その後は、パートごとに分かれての質問コーナーの時間をとっています。自分の希望する楽器について質問がある方は、遠慮なく先輩に訊いてください。どの楽器にするか迷っているという方は、あそこで控えている先生に訊いてください。それでは、演奏を始めます」
           そうして部長が一礼すると、1年生からささやかな拍手が送られた。そして脇の方から指揮者である女子が出て来て礼をし、バンドの方に向き直ると高く両手を上げて演奏の開始を合図する。
           メドレー形式で披露されたのは誰もが知っているような吹奏楽の定番曲から、ゲームミュージック、アニソン、1年前のヒットソングなどの最新ナンバーまで多彩だった。ヤサコは素人なりにもこのバンドのレベルが決して高いとは感じなかったが、それぞれの部員が楽しそうに演奏しているのが印象的だった。
           すべての曲が終わると今度は1年生から喝采が起こる。再び部長の初瀬が出て来て一礼した。
          「ありがとうございました。吹奏楽部の雰囲気は何となく伝わりましたでしょうか。それでは今から、自分の気に入った楽器、気になった楽器について、ここにいる先輩方にどんどん質問をしてもらって結構ですが、その前に先生から吹奏楽に使われる楽器の説明を簡単にしていただきたいと思います」
           すると顧問の緑川が様々な種類の楽器を机の上に並べて説明を始めた。
          「はい。吹奏楽に使われる楽器は、大きく3つに分かれます。まずはこれ。ピッコロやフルート、クラリネット、サックス、サキソホンとも言いますが、これらをまとめて木管楽器といいます。このフルートやサックスは金属製なのになんで木管楽器なのか気になる人もいますね。それは入部していただいた後や、音楽の授業でもおいおい説明していきます」
           ヤサコはこうした楽器の知識も薄弱なまま来てしまったので、こうした説明はありがたかったし、勉強にもなって大きくうなずいていた。
          「次はこれ。おなじみのトランペットやトロンボーン、このかたつむりみたいなのがホルンで、あの非常に大きいのがユーフォニウムとチューバです。これらをまとめて金管楽器といいます」
           ユーフォニウムとチューバの2つはそれぞれの楽器を担当している先輩を指して緑川は説明した。
          「そして最後が打楽器です。これは非常に種類が多いので全部は紹介しませんが、大太鼓や小太鼓、それから鉄琴や木琴もこれに入ります。我が部では基本的に太鼓はドラムを使用しています。説明はこれくらいで、後はそれぞれのパートリーダーさんのところに行って、その楽器の詳細を聞いてみてください。何にしようか迷っている方は、私の方に相談に来てくれても構いません。もちろん、色んな楽器をまわるのもオッケーです。それでは質問タイム開始です」
           1年生達は席を立って思い思いの楽器の先輩のところにばらけ始めた。中には先輩とも知り合いの生徒もいて、和気あいあいとした空気になっている。ヤサコはとりあえず先生に相談することにした。
          「すみません。1の4の小此木です。吹奏楽に少し興味があって来たんですけど、あまり音楽の知識がないもので、どの楽器にしようか迷ってて」
          「オッケー、小此木さんね。それならまず、ビジュアル的に見てどの楽器を演奏していたら自分が1番映えると思った?言い換えれば、どの楽器が自分に似合ってると思う?」
           そんな簡単なことでいいのかと思いつつ、でもそれは結構難しい質問だった。人にその楽器のイメージを押し付けられるならともかく、自分でそれを考えるのは少し恥ずかしいような気がする。とりあえずヤサコは、見ていてかわいいなと思った楽器をあげることにした。
          「そうですね。フルートやピッコロでしょうか」
          「なるほど、要は横笛ってことね。まあ、確かに女子の中では人気のある楽器よ。それなら今日はその辺りの楽器について先輩から聞いてみるといいわ。ちなみに大きい楽器には興味はない?小此木さん、女子の中では割と上背のある方だから合うかもしれないわよ」
           先生がそっちに誘導しているように聞こえなくもなかったが、ヤサコはまんざらでもなかった。
          「そうですか?実は母もずっとトロンボーンを吹いていたみたいで、そちらにも興味はあります」
          「あら、そうなの。それならトロンボーンパートも行ってみるといいわ。パートリーダーはおもしろ部長の初瀬くんだしね」
          「わかりました。ありがとうございます」
           ヤサコは先生に頭を下げて、とりあえずフルートパートへ行くことにした。そこからこの日は横笛パートの話を一通り聞き、その後にトロンボーンパートの話を聞いた。
           雰囲気も良く、先輩も優しくて初心者でも楽しめそうなので、ヤサコの気持ちはぐっと吹奏楽部に傾いていた。

           一方その頃ハラケンは、ガチャギリとの打ち合わせ通りにロボット研究部の活動を見学に行こうとしていた。ハラケンとしては何らかの研究部に入りたいと思っていたが自分が特に興味のある民俗学を研究している部がなかったので、どのクラブにするかはかなり悩んでいた。そんな折ガチャギリからロボット研究部の前身が生物研究部であったことを聞かされ、小学校時代から引き続きその方面の研究をしようかなと足を運んだのだ。ロボット研究部、通称ロボ研の活動場所は生物系の実験が行われる第2理科室だ。その辺はまだ生物部であった頃の名残が残っている。
          「すみません。ロボット研究部の見学に来たんですけど」
           ハラケンがドアを開くと中には7、8人ほどの部員がいた。何やらロボットの完成品の調整をしているような様子だった。
          「おう、原川。久しぶりだな」
          「あれ?先輩。先輩もロボ研なんですか?」
           そんなハラケンに声をかけてきたのは、第三小学校時代の生物部で部長をつとめていた先輩だった。引退の際に当時新興クラブだったダイチ達『黒客』と一戦交えた人だ。
          「ああ。やっぱり原川も引き続き生物系の研究がしたくてここに?」
          「ええ、まあ。このクラブの前身が生物部だったことを聞きましたので」
           ハラケンが答えると、ロボ研の別の先輩が歩み寄って来た。
          「三木、その1年生は知り合いか?」
           ハラケンの先輩の名前は三木という。ハラケンもダイチの前の部長としてしか覚えていなかったので、その名前は今になって思い出した。
          「はい。小学校時代の生物部の後輩です。確かあの後ダイチ達が暴走したおかげで、部長の座はお前が引き継いだんだよな?」
           三木もその辺のいざこざは耳にしていたらしい。ハラケンも「はい」とうなずいた。
          「そうかそれは貴重な戦力だな。オレはこのクラブの部長を務める藤尾だ。是非とも我がクラブへの正式入部を前向きに検討してもらいたい。今日は自由に見学していってくれ。ならせっかくだ、三木。今日はお前が彼を案内してやれ」
          「わかりました」
           ロボ研の部長はフレームの小さいメガネをかけたいかにも頭のきれそうな男子だった。そんな部長の方はまた部員達の輪の中に戻り、三木とハラケンは理科室の真ん中辺りの席に座ってその様子を見ながら話をすることにした。
          「1年生の見学は僕だけなんですか?」
          「今のところはな。でもまだ時間も早いし、他のところを見終わった生徒が来るかもしれない。とりあえず体験期間の1番初めの時間にやって来たってことは、原川にとってはここが本命ってことか?」
          「一応そうですね。まあ僕もガチャギリ、生物部にいた深川のアドバイスでここに来たんですけど」
           三木は覚えてるかなと思いつつハラケンは説明した。
          「ああ、アイツか。ダイチも深川もここには興味を示さなかったのか?」
          「まあ、そうですね。ダイチはサッカー部、深川はゲームクリエイトクラブって言ってましたけど」
          「ふ〜ん。ダイチはわからなくもないが、深川がゲームクリエイトクラブね。よりにもよってアイツが、大中屈指のディープクラブにね」
           どんな含みを持った言葉なんだろうとハラケンは思った。
          「それはどういう?」
          「いやあ、この中学で1番危険なクラブってことだよ。学校のクラブ活動としては、かなりきわどいことをしてるらしいからな。まあ、その分監視は厳しいがな」
          「ロボ研とゲームクリエイトクラブは近しい関係にあると聞きましたけど」
           それもガチャギリ情報だ。
          「ああ、先方には世話にはなってる。もちろん悪いヤツらじゃないし、こっちへの協力には労力を惜しまないからかなり助かってる。危険クラブっていうのはつまり、学校基準で見ればすれすれの活動をしてるってことだよ。そんなの、メガネを使う小学生の方がよっぽど違法行為に手を染めてる。例えばだな、メタバグが発掘された頃はゲームクリエイトが違法ツールを作っていたって話を聞いたこともある。言ってもその程度さ」
           その程度と切り捨てるにはかなりの問題行為ではないかとハラケンは思った。それで利益をあげていたというのならなおさらだし、それで電脳戦争でもしていたというのなら中学生としてはしゃぎ過ぎだ。
          「そうなんですか。それは置いといて話をロボ研に戻しましょう。部員はどのくらいいるんですか?」
          「2,3年生合わせて全部で9人かな。今日は1人しか休んでないな。少人数のわりには出席率のいいクラブだと思うぞ。みんな作業に没頭すると止まらなくなるタイプなんだ。お前には合うと思う」
           それを聞いてわりと真剣なクラブなんだなとハラケンは感じた。今も前の方ではロボットの調整に関して議論が展開されている。
          「いいですね。顧問の先生は今日は来てないんですか?」
          「ああ、会議があるらしい。理科の先生なんだけどな、昔っからこういうロボット制作に興味があったらしいんだ。大学でもロボット関係のサークルに入ってたらしいし、技術はプロ級なんだ」
          「だからこんな真剣な人しか集まらないんですね。でも環境としては最高ですね。そう言えば、ロボットを作る材料とかはどうしてるんですか?特に電子部品などは部の予算でそんなに手に入らないと思うんですが」
          「それに関してはコネがある。この近くのメガマス関連工場から廃棄される部品をタダで譲ってもらってるんだよ。その他の部品もほとんど貰い物なんだ」
           それはモノづくりの理想だなとハラケンは思う。がらくただけで周りを驚かせるような高い技術のモノを作るのはロマンを感じる。
          「そうなんですか。その現物を見せてもらってもいいですか?」
          「ああ、ちょっと待ってろよ」
           三木は席を立って理科準備室に入って行った。しばらくして戻って来ると大事そうにその手には柴犬のぬいぐるみのようなものが抱えられていた。
          「ほら。これがこの部で最高傑作と言われているロボットだ。作られたのは2年前らしい。扱いは慎重にな」
           三木はそのロボットをハラケンの目の前に置いた。しげしげと眺めながらハラケンはそれに手を触れる。
          「これはどうやって作ったんですか?こんなぬいぐるみのように仕上げもこのクラブの手作りなんですか?」
          「いやあ、それはあんまり出来がいいもんだったから先生が知り合いに頼んでやってもらったらしい。ロボットって見た目に無機質なイメージがあるだろ。それじゃ愛着が湧かないからって、コイツだけは本物に似せてあるんだ。普段作ってるのはプラスチックの塊みたいなやつだけどな」
           なるほどなと思いながらハラケンは質感を確かめた。思ったより柔らかく、まるで本物を触っているようだった。
          「気付いたか?こいつには人工筋肉が使われていて、脂肪代わりのクッションもついてるんだ。これは生物の筋肉の動きを理解する上での勉強も兼ねていたって話なんだが」
          「人工筋肉ですか?それって義手とかに使われているものですよね。高級品じゃないですか」
          「これも先生のコネでどこかの工場から安く譲ってもらったらしい。ま、それはともかく、コイツは質感だけでなく動きも本物そっくりだってことだ。ちょっとそいつを床に置いてみな」
           ハラケンは言われるがままにそのロボットを床に置く。その間に三木はメガネをつけかえた。それは部共用のメガネらしい。そこにこのロボットの起動端末が入っているのだ。
          「わん!」
           ハラケンが待っているといきなりそのロボットが吠えた。
          「ちょっと口の動きと音声の出方にズレがあるだろ。それが数少ない欠点なんだ。でもそれ以外はマジで本物そっくりだぞ。ホラこれ」
           三木に渡されたのはゴムボールだった。つまりそれを投げてこの犬に取りに行かせろということらしい。
          「投げていいんですか?ちなみにこの子の名前は?」
          「パトラッシュだ」
           柴犬にその名前かと思いつつ、かまわずハラケンはその名前を呼ぶ。ペットにかまっている時のハラケンは、人と向かい合っているときより愛想が良い。
          「よし、いくよパトラッシュ」
           そうしてボールを教室の端の方に投げた。パトラッシュは嬉しそうにそれを拾いにいく。その走り方などの動きは三木の言っていた通りにまるで本物だった。これが中学校の部活で作ったものとは思えない。
          「すごいですね、本当に。商品化されていてもおかしくないですよ。目の動きと先ほどの音声との問題がなければ、誰でも生犬と見間違うと思います」
           ハラケンは戻って来たパトラッシュの頭を撫でながら言った。
          「そうだろ。これぐらいのものを中学生が作れるんだ。本当に商品化したら電脳ペットよりも、こっちの方が人気が出ると思わないか?」
           それは三木が本気で思っているわけではなく、あくまでハラケンの見解を確かめようとする響きがあった。
          「そうですね......でも電脳ペットに取って代わるものにはならないでしょうね」
          「どうしてそう思う?コイツには人工筋肉を動かすために血が流れてるんだぜ。質感は本物に近いし、抱いてみたら温かい。でも必要なのは酸素と少量の水だけで排泄はしない。組み込まれているAIも電脳ペットとも変わりない」
           三木がこのロボットの特徴を押し並べてもハラケンはうなずけなかった。
          「すごいものだとはわかります。しかし電脳ペットは凌げないと思います。それには値段の問題がありますが、根本的な問題があると思うんです。この子はバッテリーが組み込まれているんですよね?」
          「ああ。その通りだ」
          「つまり、バッテリーさえ充電すれば故障しないかぎり半永久的に生きられるんですよね。それが生き物としての愛着を持てない理由なのかもしれません。これはあくまで僕の主観ですが」
          「生き物には死が必要だということか。それならバッテリーにも寿命をつければどうだ?そのロボットにはそのバッテリーしかはまらないような、人の心臓のような機構をもたせれば」
          「それでも根本的な解決になっていないと思います。僕が怖いのはバッテリーが切れた瞬間、その子が”モノ”に見えやしないかということです。充電すればまた元気に動き出すんでしょうけど、それが冷める瞬間になると思います。バッテリー切れする前に充電するというのも、それはそれでイヤな光景です。それではこの子が機械だという意識が一生付きまといます」
          「確かにその通りだ」
           相づちが三木のものでないと思ったハラケンが顔を上げると、そこには部長の藤尾が立っていた。
          「言い得てるよ。このご時世、ロボットが愛玩用に流行らない理由を」
          「す、すみません。先輩方が一生懸命研究しているものを、否定するようなことを言ってしまって」
           ハラケンはかなりあたふたしながら謝った。研究者が一番傷つくのは、その研究には価値がないときっぱりと言われてしまうことだ。それは研究の不出来をダメだしされるよりも堪える。
          「ハハハ。いいんだ。オレたちもだいたい同じことを思っているから」
          「え?」
           ハラケンは拍子抜けする。
          「オレたちみたいにメガネに馴染んだ人間はみんなそう思う。バッテリーが切れたら動かなくなるロボットより、メガネをかけている限りそばで尻尾を振ってくれる電脳ペットの方がずっと愛着を持てるってな。だがそもそもオレたちは非営利組織だ。ロボットを愛玩用に売りに出そうとは思ってない。要は作る過程を楽しんでるんだ。そのものが一般受けしなくても楽しみながら作ることは、それがたとえ自己満足でも有意義な時間だと思わないか?」
           それは真だとハラケンも思う。学校の文科系クラブとはほとんどそういう活動をするコミュニティだ。
          「問題は原川君がロボット作りを楽しめるかどうかということだ」
          「いえ、作ることには大いに興味があります。紹介されたパトラッシュも人工筋肉を使っているそうで感動しました」
          「そうか。入部を前向きに検討してくれるんだな」
          「もちろんです」
           ハラケンはこの部とは波長が合うだろうと思った。先輩達の醸し出す空気も、まじめに研究したいという意欲に溢れているように感じる。
          「良かった。これで有望新人を1人確保できた。今年の文化祭に出品する予定のネコ型ロボットの制作に大いに貢献してほしい」
          「今度はネコ型なんですか」
          「ちなみに信楽焼のタヌキほどのサイズがあるぞ」
           三木がそこに口を挟んできた。
          「え?ということはもしかしてアイツですか?」
           ハラケンがおそるおそる訊ねると、部長の藤尾は胸を張って答えた。
          「勘がいいな。そうだ。今年のロボ研の目玉は、ドラえ○んだ」

           学級委員を務めるフミエはこの日も会議に出席していた。比較的早く終わったものの、今からクラブ活動の見学に行くには出遅れた感じがする。しかし時間をムダにしたくはないのでどこかしらをのぞいてみようと思っていた。しかし問題はどのクラブに入るかまったく絞っていないことだ。
          「ねえミズキ。どこかオススメのクラブとかない?」
           フミエは同じく会議に出席していたミズキという4組の女子の学級委員に訊ねてみた。カンナのように物静かな雰囲気の女子だ。
          「橋本さん、どのクラブにしようか決めてないんですか?それならどんなクラブがいいとかありますか?」
          「そうね、こうやって学級委員になったし、将来的には生徒会にも入ろうと思ってるから、クラブに参加できる時間も制限されるかなって。だから割り合い軽いクラブに入ろうと思ってるの」
           女子の中では運動神経のある方だと自負しているので、最初はフミエも運動部にしようかと考えていた。しかし今後生徒会活動に参加することを考えると、ここは文化部に入っておくのが無難かなと思った。そんなに負担にならない運動部があるならそれでもいいが、裏を返せばそれは不真面目ということになるとフミエは考えている。だからそんな中途半端はしないつもりだった。
          「それなら私と同じクラブにしませんか?」
           フミエはミズキの目が少し輝いたような気がした。
          「なんてクラブ?」
          「文芸部です」
           言われてフミエは目を丸くした。思ってもみない部が出てきたからだが、何よりフミエはその部の存在を知らなかった。
          「文芸部って、何するの?」
          「えーとですね。基本は小説や漫画を書いたりと創作活動が中心です。でもウチの学校には漫画研究部もありますので書くのはほとんど小説やエッセーなのだそうです。ただ反対にウチに新聞部はないので、校内でニュースになりそうなことが起こった場合には新聞を書くこともあるそうです」
           それはあまり自分向きではないのではないかとフミエは一瞬思うが、自分から話を振っといて却下するのは忍びないのでやんわりと断る方向に持っていこうと思った。
          「そうなんだ。でも私、文章なんてまともに書いたことはないわよ。国語の成績だって自分の中ではマシな方だけど、できる人と比べれば全然」
           しかしミズキの方はそれを気にしなかった。
          「それはみんなそうですよ。そこは手取り足取り先輩が教えてくれます。実は文芸部の部長さんは私の小学校の先輩で知り合いなんです。とても優しい方ですし、1度だけのぞいて見ませんか?」
           その先輩によほど憧れているのか、ミズキはもう文芸部に入るつもりでいる。ここまで言われて断るのも気まずいので、フミエは行くだけ行ってみようかと思った。どうせどのクラブを見に行くかも決めていなかったのだ。
          「わかった。それなら案内して」
           その時のミズキの晴れやかな表情はなんともプレッシャーになったが、フミエは見て合いそうにもない場合にははっきりと断ろうと自分に言い聞かせていた。
           連れて来られたのは第3会議室なる校舎の隅の方にある寂れた1室だった。広さも教室の半分ほどしかなさそうだ。本当に活動しているのかと不安になっているところで、ミズキがその引き戸を開けた。
          「来ましたよ、先輩。見学したいって人も連れてきました」
           中には大きめの長机が2つ並んでいて、部員らしい人はそれを贅沢に4人で使っていた。それに気付いた先輩の女子が2人に歩み寄って来る。
          「ああ、いらっしゃい。入部希望者を連れて来るなんてでかしたぞミズキ」
           その先輩女子は下ぶちメガネがよく似合う知的な人だった。親密そうにミズキの頭を撫でている。それよりもまだ入部希望者ではないことを訂正しておいた方がいいかとフミエは思った。
          「はい。私と同じ学級委員を務めている橋本さんです」
           ミズキがフミエを手で示しながら紹介したので、ともかくフミエは頭を下げた。
          「なるほど学級委員か。それならちょうどいいな」
           勝手に話は進んでいるようだが、その先輩はフミエの腹もだいたいわかっているかのような口ぶりだ。
          「橋本さん。この方は文芸部の部長、入江さんです」
          「今日はよろしくお願いします」
           フミエはあくまで「今日は」と強調したつもりだった。しかし入江はそれに気付かなかったのか、あえて流したのか、次にこう言った。
          「いやあ、新入部員が2人も入ってくれそうで助かったよ。誰も入部しない場合、最悪廃部もあり得たからな」
          「廃部ってどういうことですか?」
           フミエは思わず訊ねていた。自分たちが入らなければ廃部とはそれまた聞き捨てならない話だ。
          「単純に部員がいないんだ。今の正規の部員は3年生が5人だけ。だから私たちが引退した時点で文芸部に部員はいなくなる」
          「そ、そんなに寂れてるんですか?」
           失礼な言い方になってフミエはしまったと思ったが、入江は気にする風でもなく言った。
          「寂れている、というのは違うな。実際活動に参加してくれている人はわりと多い」
           話が見えないというのがフミエの表情にありありと出たらしく、入江はふっと微笑んで続けた。
          「正規の部員が5人だけという話なんだ。この学校は部の掛け持ちは許可されていないのは知っているな?ところがこの文芸部のイベントらしいイベントは、文化祭に向けて文集を作ることだけ。だから普段どうしようもなくヒマなんだ。こんなクラブに入部届けを出すということは、帰宅部に入部届けを出すに等しい」
           自分で言っちゃったよとフミエは思った。そしてこの人はその”帰宅部”に自分を入れようとしているのだ。
          「だから去年、私たちは新入部員の勧誘の仕方を考えた。とりあえず籍はよそのクラブに置いてもらって、ヒマな時にウチの活動に参加してくれればいいっていう具合に。そう言うとわりと多くの人が来てくれた。去年の文集なんかはかなり分厚いものが仕上がったんだ。代わりに正規部員を1人も確保できないという悲劇が起こった。2年生の非正規部員を含めると全部で14人になるかな」
          「ちょっと待ってください。正規の部員じゃなくても文集に作品を載せられるんですか?」
           まっとうな疑問を入江にぶつけると、ミズキの方が笑顔で言った。
          「橋本さん。入江先輩は生徒会の書記長を務めているんです」
           こんな時に関係のないことをとフミエは思ったが、確かに全校集会でこの入江を見たことがあった。
          「生徒会は文化祭の実行委員会も兼ねている。そしてその仕事の中には、各クラブからあがってきた作品を学校の規律や公序良俗に違反していないかチェックするというものがある」
           そこでフミエもそのカラクリがわかった。
          「つまり、生徒会として文芸部の違反をもみ消しているってことですね。だから部員以外の作品が文集に載っていても問題にならない」
          「そうだ。一部の先生は気付いているが、大した問題じゃないから流してくれている」
           それならなおさらこの部に正式入部する理由はないのではないかとフミエは思った。
          「そんな具合に、この部は生徒会の人間が取り仕切るという伝統がある。基本ヒマなクラブだから生徒会活動に支障はきたさないし、部の誰も文句は言わない。さらに新聞部も兼ねているから生徒会新聞を作るときも便利だ。ミズキは近い将来生徒会に入りたいと言うから入部を薦めたんだが」
          「先輩。この橋本さんも生徒会に入るつもりだそうですよ」
          「何?そうなのか?」
           それは事実なのでフミエは「はい」とうなずいた。
          「それならちょうどいいじゃないか。入ってくれれば、生徒会のノウハウなんかも教えることができるぞ」
           確かに生徒会に入ろうとしている自分にとってはいい環境なのかなとフミエは思い始めていた。この先輩の生徒会の話はおもしろそうでもある。
          「ああ、言い忘れていた。ウチのクラブにはヒマ人が集まるせいか、しょっちゅうよそのクラブからの助っ人の要請が舞い込んで来る」
          「助っ人?それってどういう?」
          「色々だ。運動部で練習試合の人数が足りないから来てくれとか、調理研究部の試食に来てくれとか、邦楽部の演奏会にサクラとして来てくれとか、時には生徒会の雑用も。とにかくここにいるだけで毎日色の違った活動が楽しめるということだ。それはおいしいと思わないか?それに本当にヒマな時は、ここの棚に収まっている本を自由に読んでいればいい。もちろん自分で物語を書くのもオッケーだ」
           入江の示した棚には小説や雑誌、漫画にいたるまで無数の本が並べられていた。図書室でもこういった娯楽本は揃っていない。と言うよりも、電子書籍が当たり前になったこのご時世でこれほどの本を揃えた場所はあまりお目にかかれない。これは文芸部の伝統を感じさせるところだった。
          「色々な活動を楽しめるというのはいいですね」
           そこはフミエも素直に惹かれた。先ほどから案外楽しそうなクラブだなと気が変わり始めている。
          「そしてもう1つ重要な仕事が文芸部にはある」
           入江は心なしか声を細めた。まるでここからの話が文芸部の活動の本質であるかのような、そんな気さえした。
          「今言ったように文芸部の部員達はよそに助っ人に出かけることが多い。そしてそれはその部の内情を掴めるということになる。もしも、ある部の中で問題行為が起きていたとすればそれは文芸部部長の私に報告され、私はそれを生徒会で取り上げる。問題の大きさ如何ではその部の関係者を問いただし、生徒会として何らかの改善要求を出すこともある。ひどい時は教師との協議の結果、休部という措置を取らせることもできる」
           いきなりなんつー話だとフミエは思った。黒すぎる。入江の知的な雰囲気は、魔性のオーラへと変わったような気がした。
          「つまり、文芸部は大黒中学校全クラブを見張る監査機関ということですか?そのことは全校生徒は知っているんですか?」
          「無論そのことは知られていない。それならウチに助っ人を借りに来る部はないだろう。こっちだってそれが明るみに出ないようにやっている。生徒会で取り上げるのは、問題が起こったことを認知してから少し時間を置いてからだからな。でないとウチの部員が助っ人として情報を持ち帰ったことが悟られてしまう」
           まるで学校を舞台にしたスパイ活動だ。
          「どうしてそんな重要な話を私にするんですか?」
          「君が生徒会志望だと言うからだ。生徒会はそのことをもちろん関知している。いずれ知ることになる話だ。それに、我が文芸部に来てくれた縁もあるからな。考えてもみろ。これまで我が校のクラブを裏で統制してきた文芸部が廃部になってなくなってしまえば、どんな無法地帯ができあがるのかを。よそならまだしも、ここは混沌の街、大黒だ」
           そんな大げさな話なのかとフミエは思う。しかし入江の目は本気だ。
          「実際、今その文芸部の秘密を悟られかけているかもしれないんだ。それもとびきり大黒という街に根付いた悪習を体現したかのようなクラブに」
          「どこのクラブですか?」
          「ゲームクリエイトクラブだ」
           苦い顔をして入江が言う。それをフミエはどこかで聞いたような気がした。どこで聞いたのか記憶を辿っていると思い当たった。ガチャギリがそんなクラブに入るとか入らないとかをクラスで言っていたのを聞いたことがあったのだ。
          「連中は我が校でも危険度はずば抜けている。実際ネット犯罪ぐらいなら平気で手を出しているだろう。ささいなことでも放っておけない私としては、看過できない問題だ」
          「それならそれを生徒会で取り上げれば」
          「連中がボロを出さないんだ。実際、連中から文芸部に助っ人の依頼が来ない。それはおそらく向こうも私たちの正体を掴んでいるのではないかと思うんだ」
          「それは考え過ぎじゃ。電脳の知識があるかどうかもわからない人を助っ人に呼んでも仕方ないと思っているんじゃないですか?」
          「そう思う理由はそれだけじゃないが、ここで話しても仕方のないことだ。とりあえず文芸部の目下の敵はヤツらだ」
           もうほとんど自分は正規部員のような扱いになっているよなとフミエは思う。
          「あの、先輩?そこまでの話を聞いて仮に入部を断ることってできるんですか?」
           おそるおそる訊ねてみた。
          「それはもちろん君の意志次第だ。ただし、今の話を持ち逃げする勇気が君にあればの話だがな」
           フミエには入江の顔に影が差したように見えた。彼女は逃がさないつもりだ。
          「持ち逃げしたらどうなるんですか?」
          「そうだな。とりあえず君の学校生活に色々な制約がつくことになるだろうな。まずは君が何もしゃべらないように、常に監視がつく」
           平然と入江は続ける。
          「そして文芸部の戻らない限り君の生徒会役員当選の可能性はなくなる。選管にひと言釘をさせば、当選結果は変えられるからな」
          「そんな......」
           フミエは絶句した。得意の反抗もこの人相手には通用しないような気がした。
          「ハハハ、冗談だ。そんなことするわけないだろう。別にクラブ活動なんて個人の自由なんだ。そこまで干渉する気はない」
           フミエにはそれがウソのように聞こえた。本当にこの人ならそのくらいやりかねないと思った。
          「それに、本気で部員が欲しいというのは事実だ。だからこうして半ば脅迫のようなことをしてでも君みたいな人材には入って来てほしいと思ったんだ。でも少し行き過ぎたな。それについては謝る」
           今度は謝り作戦かと思ったが、その真摯な態度にはフミエも心を揺さぶられる。
          「橋本さん。私からもお願いです。これほどの重要な仕事を背負ったクラブを、私だけで取り仕切るのはムリだと思います。橋本さんのようなしっかりとした人がいてくれれば、私も安心して文芸部に入れます」
           今度はミズキが丁寧に頭を下げた。まだそんなにお互いのことを知った関係でもないが、そこまでされるとフミエとしてはこの気持ちを汲み取ったやりたくなる。
           そしてフミエは心を決めた。
          「わかりました。文芸部への入部を前向きに検討します」
          「ありがとう。助かる」
           入江が1番初めの微笑みに戻って握手を求めてきた。フミエもその手をとって言う。
          「生徒会活動について色々教えてくださいね」
          「ああ、それはもちろんだ」
           これで良かったのだとフミエは思う。しかしその横でミズキが会心の笑顔を入江に送ったのをフミエは見た。ハメられたと思った時には遅かった。

           これが文芸部員フミエの波乱の学園生活の始まりだった。

          ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

           今週は以上です。さすがに全員の入部の経緯を追うのは大変なので、この3人でお許しいただきたいところです。なぜか文芸部の話が広がり過ぎて、フミエが主役みたいになってしまいましたね。せっかく思いついた設定なので、文芸部員フミエのお話は今後も展開するかもしれません。続編の要望があれば言ってください。

           さて、来週にて『春』本編の第2部も、このサイドストーリーも最終回となります。お楽しみに。




           



           

           


           
           
           



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          『電脳コイル 春』サイドストーリー 第4話

          2010.09.17 Friday 23:13
          0
             さて、前回僕がコメントへの返信をおろそかにしてしまったのもありまして、その返信に代えて今回の見所をご紹介します。

             事件の少ない今作での1番の見所は、なんと言ってもフミエとガチャギリの恋人疑惑にダイチがどう反応するかでしょう。この筋書きがなければ話が広がらなかったと思います。案を出していただいた雨響さんには多大なる感謝をしております。

             今回はついにその騒動が決着するのですが、少し意外な方向にダイチを動かしたつもりです。それは中学生になった彼なりの成長だと捉えてもらえれば幸いです。短いお話の中ですが、彼の葛藤にも1つ注目してみてください。

             それからそんな彼を見守る同じクラスのハラケン。彼の心中というのは『春』でも詳しく描いてはいないのですが、今回はほんの少しばかり、そこを垣間見られるような場面を用意しました。おそらく『春』の本編に向けても重要な伏線になるのではないかと思われるシーンですので、そこもお見逃しなく。

             それではどうぞ。

            ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

             大黒市立大黒中学校 第4話 「お弁当の秘密」 

             ダイチがガチャギリの机からフミエが持って来た弁当を見つけたその日の昼休み、ダイチはそのことがどうしても気になったので怖い気持ちも抑えて2人の様子をうかがうことにした。そしてハラケンもそこに付き合った。机を並べて仲良くフミエとガチャギリが弁当を食べているシーンを目撃した日には、ダイチが校舎の窓から飛び降りかねないと心配したからだ。
             当の本人達はそんな監視されていることもつゆ知らず、ランチタイムに入っていた。
            「すまねえなフミエ。こんな贅沢な弁当作ってくれて」
             その弁当箱のフタを開けたガチャギリは、珍しく素直に礼を言っている。ダイチは耳を澄ませながらすごい形相で2組の教室の後ろからそれを直視していた。
            「いいのよ別に。アンタに感謝されるのはくすぐったいわ」
             フミエもガチャギリの方を向いて親しい様子で返す。明らかに1週間前の2人のテンションとは違う。
            「これお前が作ったの?」
            「半分は私で、半分はお母さん。いつも弁当は一緒に作ってるからさ」
             ダイチのうなだれ方はハンパじゃなかった。恥も外聞も捨てて、ここから飛び出してフミエの手作りおかずの入った弁当をガチャギリが口をつける前にかっさらってしまいたかった。
            「なんでだよ。いつからあんな風になったんだよ......」
             ダイチの恨み節など聞こえるはずもなく、ガチャギリは厚巻き卵に手を伸ばした。
            「これはどっち?」
            「それは私よ。最近練習してるの。おいしくないかもしれないけど」
             ガチャギリはかまわずその卵を口に入れた。
            「どう?」
             不安そうにフミエがガチャギリの顔をのぞきこむ。
            「......普通にうまい」
            「あー良かった」
             今のは感情を表に出さないガチャギリにとっては最上級の褒め言葉だった。そしてそれを聞いてフミエの表情もパッと花開いた。
             それを見てまずいと思ったのはハラケンだった。今のをダイチはどういう気持ちで見守っていたのか。ダイチに目隠しないといけないところだったかなあと後悔する。
            「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
             溢れ出す嫉妬を抑えきれなくなったダイチは、そのまま廊下をものすごい勢いで風のように走り去っていった。
            「ん?今バカの叫び声が聞こえなかった?」
             フミエが訝しんだ。
            「ダイチか?」
             ガチャギリも廊下の方を見てみるが、その姿がないのでランチを続けることにした。

            「いやあ、今のは効いたみたいね」
             その時1組の教室から歌うようにアイコが出て来た。
            「もう本当のこと言おうよ。ダイチの精神衛生上よくないって。今日だって午前中の授業はずっと上の空で、バナー攻めされてるのにも気付かずにメガネパンクしたんだ。そのくらいアイツも病んでるんだって」
            「それはダイチ自身が解決することじゃない?いつまでもコソコソとしてないでさ、さっさとフミエに思いを告げればいいじゃない」
             アイコの言うことはもっともなのだが、それでもハラケンはダイチがかわいそうでならなかった。
            「ダイチにも色々と葛藤があるんだと思うよ。ガチャギリもダイチの親友だし、本当にどうしていいかわからなくなっているんじゃないか?」
            「恋か友情かってこと?そんなの言い訳にしてたら恋なんてできないじゃない。甘いのよ考えが。もし自分と同じ人を好きになった人がいたら、その時点でその人と自分はライバルよ」
            「それは相原の持論だろ。そもそも男子と女子で恋愛観なんて違うじゃないか。ダイチにそれを押し付けないでくれ」
             どういうわけか廊下の真ん中で今度はこっちがヒートアップしてきた。
            「もうね、アンタにしてもダイチにしても、見てるこっちが歯がゆいの。このくらいの荒療治が必要なんだって。さもないと本気でダイチもフミエを誰かにさらわれるわよ」
            「ダイチはともかく、僕の何が歯がゆいんだよ?」
            「あの子の気持ちに気付いてないところがよ。もしくは気付いてるのかもしれないけど、その答えを自分の中で先延ばしにしようとしているところが」
             ハラケンはその言葉に黙ってしまった。アイコもそれを見て笑みを浮かべる。
            「男だったらはっきりしろってことよ。アンタもダイチも。私だっていつまでも恋のキューピットするつもりはないからね。さっさと私も自分の恋を見つけたいもん」
             そういうとアイコは手を振りながら教室に戻って行った。結局ハラケンはアイコに図星を突かれた動揺で、ダイチにどう声をかけてやればいいかさえ見失っていた。

            「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
             ダイチは咆哮を上げながら廊下を突っ走っていた。行くアテはないが、じっとしていればイヤでもあの2人のことを思い出してしまうので無心に走った。そうして廊下の曲がり角にさしかかった時だった。ダイチは角から出て来た人と思いっきりぶつかってしまい、お互いにしりもちをついた。
            「きゃっ!」
             廊下にリコーダーや音楽の教科書が散らばる。幸いダイチの体格が小さかったおかげでその人も吹っ飛びはしなかったものの、ダイチはやっちまったと思って顔をのぞき込んだ。
            「わ!ヤサコじゃねえか!」
             驚かれたヤサコも腰の辺りをさすりながらダイチの方を見る。
            「ダイチくん?どんなスピードで廊下走ってるのよ。危ないなあ」
             仏のヤサコも今の衝突には少しムッとしたようだった。
            「すまん。ちょっとイヤなことがあってだな」
             ダイチは立ち上がってヤサコにも手を差し伸べ起こした。廊下に散らばった物も拾ってヤサコに手渡す。
            「イヤなこと?それよっぽどだったのね。あんな雄叫び聞いたこともなかったけど」
            「ああ、まあ色々な」
             ダイチはそこでふと思いついた。フミエのことならヤサコに聞けばいいと。
            「ヤサコ今時間あるか?ちょっと訊きたいことがあるんだが」
            「え?別にいいけど、昼休みの終わる10分前ぐらいに切り上げてくれれば。私まだごはん食べてないから」
            「わかった。あんま人に聞かれたくないから、どっか人のいない適当な場所で。屋上でいいか」
             2人はすぐ脇にある階段をのぼってと屋上に出た。ほんのり曇りがかった空模様だったが、心地よい風が流れている。
            「訊きたいことって何?」
             ヤサコはこんなところで男子と2人っきりっていうのも慣れないシチュエーションだったが、相手がダイチなので意識はしなかった。
            「ああ、フミエのことだ。フミエと1番仲良しなお前に訊きたい。フミエとガチャって付き合ってるのか?」
             あまりにダイチがまじめな顔して言うので、ヤサコは少し可笑しくなった。
            「そんなわけないよ。確かにそんな噂があるみたいだけど、普段のあの2人の様子を見てればわかることじゃない」
             ヤサコは噂の発信源がアイコであることを知っている。しかしダイチもその噂を本当に真に受けるなんてかわいいなとヤサコは思った。
            「普段のあの2人の様子ってのは、フミエの作った弁当をガチャがおいしくいただいてることを言うのか?」
            「えっ?」
             何の話だろうかとヤサコは思った。
            「さっき見たんだよ。フミエが作った弁当をガチャがおいしいって食べてるのを。ありゃどう見てもカップルだよ」
            「それほんと?なんでフミエちゃんがガチャギリくんの弁当を作ってあげてるの?」
            「だからオレもそれを知りたいんだよ。フミエから何も聞いてねえのかよ」
             ヤサコは記憶をたどってみたが、そんな話をフミエから聞いた覚えはなかった。
            「聞いてないわ。それ本当にフミエちゃんが作ったお弁当?」
            「オレがたった今そのシーンを見て来たんだ。間違いねえよ」
             そう言うとダイチはため息をつきながらフェンスを背に座り込んだ。アイコも言っていたが、フミエはそっち方面の話題はヤサコにも口を閉ざしているのだろうなとダイチは思った。
            「それはちょっと後で訊く必要があるわね......ところでダイチくん」
            「ん?」
            「なんでそんなにショック受けてるの?」
             ヤサコはもちろんその理由を知っているが、どう反応するかという少しいじわるな気持ちもあってあえて訊いてみた。
            「バ、バカ言うない。ショックとは違うだろ。オレはただ『黒客』のリーダーとしてだな、メンバーの1人が敵方と付き合ってるっていうのが許せねえんだよ」
            「ふ〜ん」
             そう来るだろうとはヤサコも思っていた。しかしその論法でいくと、ダイチは生涯フミエと付き合うことはできないんじゃないかと思った。
             ここでダイチの背中を押してやることもできるのだが、ヤサコは自分にそんな資格があるのかと自問する。自分だってハラケンのへの気持ちをずっと言い出せずにいるのだ。それを棚に上げてダイチに「自分に正直になれ」とは言えない。
             だからここはこっそりとダイチをアシストできればと思った。とりあえずフミエに事の真相を訊ねるのが先決だ。
            「じゃあ、私にできることがあったら何でも言って」
             ヤサコがいたわるように声をかけると、ダイチは余計うつむいてか細い声で言った。
            「それなら、今オレを1人にしないでくれ」
            「え?」
             見たこともないような寂しい表情でダイチが言うので、ヤサコの方がドキッとした。
            「1番信頼してたヤツに裏切られると、誰も信じられなくなるんだな。今1人になると、誰からも疎外されてるような、そんな気分になりそうで怖いんだよ」
            「そ、そんなことないよ。みんなダイチくんのことは好きだよ。なんならデンパくんやナメッチくんをここに呼ぼうか?みんなで楽しい話をすれば、そんな沈んだ気持ちも吹き飛ぶはずよ」
            「いや、そんな気分でもねえわ。アイツらだってそれぞれのクラスで楽しくやってるんだろ。わざわざ呼び出すのもなあ」
             これは重症だとヤサコは思った。今のダイチは完全に孤独だ。
            「それならハラケンは?ダイチくんと同じクラスじゃない」
            「アイツには最近迷惑かけっぱなしだから。あー、でもなんか、このままじゃ精神的に参っちまいそうだ。ヤサコになら話してもいいかもな」
            「なにを?」
             まさかとヤサコは思った。自分がそれを背負い込んでいいのだろうかという疑問が浮かぶ前に、ダイチは言ってしまった。
            「......オレ、フミエのことが好きなんだよ。小学校の頃からずっと」
            「そ、そうだったの?」
             既に知ってることをここぞとばかりに告げられてリアクションをとるのは難しい。それでもヤサコは必死に合わせようとした。
            「さっき『黒客』の体面のことも言ったが、それもウソじゃない。でも結局オレはガチャに妬いてるんだろうな。別にフミエはオレのもんでもねえのに、ガチャがオレを裏切ったとかバカみてえ」
             ダイチが自嘲気味に笑う。
            「どうして私にその話を?」
            「まあ、なんつーのか、言葉は悪いかもしれんがオレにとっては絶妙な存在だからかもな。男連中には今更恥ずかしくてこんなことは言えんし、かと言って相原じゃ口が軽すぎる。1番信頼が置けて、オレが気兼ねなく話せる女子はお前しかいないんだよ。フミエとも仲が良いしな」
             それは喜ぶべき言葉なのだろうかと思ったが、いずれにせよ自分はダイチにとっての1番の相談役に任命されたのだと思った。
            「今までその気持ちはずっと溜め込んできたんでしょ。私なんかにそんな大事な話をしても良かったの?」
            「今言ったろ。お前しかいなかったって。やっぱ誰かに話すと違うもんだな。全然さっきまでと気分が違うわ」
             やっぱり1人で抱え込むより、そういう思いは誰かと共有した方が楽なのかなとヤサコは思った。それがまたアイコのような人なら話は別なのだろう。
            「でもお前にもそんな迷惑はかけたくない。たまにこうやってオレの話を聞いてくれるだけでいいんだ。そうすれば、オレもいつか自分の中で踏ん切りがつけられる時が来るかもしれんし」
            「踏ん切りって、フミエちゃんのこと諦めるの?」
            「いや、そんなにあっさり諦められる自信はねえな。どっちにしても、今のあの2人の関係をずっと見せられたら、諦めざるを得ないんだろうが」
            「そんなの、ダイチくんの勘違いかもしれないよ。私がちゃんとフミエちゃんの真意を訊いてくるから、そう簡単に諦めないで。ダイチくんとフミエちゃんはお似合いだと思うよ」
            「ありがとよ。ほんと、お前がいてくれて良かったぜ」
             どうもここまで言われると、ヤサコも自分がハラケンを想っていることをダイチに告げたいと思うようになっていた。今のダイチなら、本当に親身になって聞いてくれそうだ。
            「......あのね、ダイチくん。実は私も同じような悩みがあって......」
            「ん?」
             ダイチが反応したのはヤサコにではなかった。ポケットに突っ込んでいたメガネが着信していることに気付いたのだ。
            「悪いヤサコ。ちと電話だ。もしもし?」
             ダイチは先ほどバナー攻めでクラッシュし、復旧したばかりのメガネをかけて電話に出た。
            『ああダイチ?どこ行ったんだよ?』
            「ハラケンか。ああ、今屋上だ」
            『おっ、屋上?おい、早まるなって!!さっきのがショックなのはわかるけど、だからって飛び降りなんて』
            「何言ってやがる。さっきのがショックだったのは事実だが、オレがんなことするわきゃねえだろ。まだ全然人生満喫してねえっつーの」
            『え?そ、そうか。良かった。なかなか戻って来ないから、もしかしたらと思って』
             本気でハラケンは電話の向こうで心配しているようだった。勘違いも甚だしいが、それでもダイチは少し嬉しかった。
            「ちょっとな、ヤサコと会ったもんだから相談に乗ってもらってたところだ」
            『ヤサコに?そうだったのか。それで気分は楽になった?』
            「ああ。おかげでスッキリした。ほんと、ヤサコには感謝だわ」
             返しながらダイチはヤサコの方を振り向いて笑みを贈った。
            『それは良かった。終わったらさっさと戻って来なよ。次体育だし、まだ昼飯食べてないだろ?』
            「ああ、そうだっけな。わかったすぐ戻る。わざわざありがとな」
            『いいって。今なんかウチのクラスさ、ダイチをバナー攻めで落としたって戦勝ムード漂ってるんだよ。ダイチ側の僕や坂本がすごい居づらい雰囲気だからさ、できるだけ早く戻ってきてくれ』
            「なんだと?あいつらすぐに調子に乗りやがって。待っとけよ〜」
             ダイチは電話を切って立ち上がった。すぐに教室に戻る勢いだ。
            「そろそろ帰ろうぜ。ヤサコも飯まだ食ってないんだろ?あっ、そう言えばお前もさっきなんか言いかけてたな」
             ダイチはヤサコの言葉を待ったが、ダイチが忙しそうなのでヤサコは今日のところは置いておくことにした。
            「うん、いいの。その話は次の機会にでも」
            「そうか?じゃあさっさと戻ろうぜ」
             
             そうして2人は階段を降り、1年生の教室が並ぶフロアーまでやってきた。するとあろうことか、階段の踊り場で目下の問題の張本人であるフミエとばったり遭遇した。
            「フ、フミエちゃん!」
             ヤサコが戸惑い気味に驚いた。
            「どうしたの?ヤサコとダイチが一緒なんて珍しいわね」
             フミエはヤサコが困惑しているのに気付かず、2人を交互に見やって訊ねた。一方のダイチはと言うと、少し気まずそうにヤサコの後ろで顔を背けていた。
            「う、うん。ちょっとそこで会ったものだから」
            「そうなの。あ、そう言えばダイチ。さっきアンタバカみたいな大声出して廊下走っていかなかった?」
             訊かれたダイチはぎくっとした。
            「いや、あれはだな、サッカー部に入るつもりだから声出しの練習をしてたんだよ」
             なんと言うヘタクソなウソなんだろうとヤサコは思った。
            「アンタには羞恥心てものがないの?教室の中からも注目を集めてたわよ」
             しかしそれで納得してしまうフミエも大したものだ。よっぽどダイチのことを頭が悪いと思い込んでいるのか。そんなフミエには、先ほどの真剣に苦悩するダイチの表情なんて想像できないだろうなとヤサコは思った。
            「ねえ、ダイチくん。いっそのことお弁当のことここで訊いてみる?」
             ヤサコは小声で後ろにいるダイチに訊ねてみた。
            「で、でもなあ」
             気が進まないというのは表情でも読み取れる。しかしヤサコはダイチも覚悟を決めた方がいいと思った。
            「いつかは知らなくちゃいけないことよ。ダイチくんも早く気が楽になりたいでしょ?」
            「それはまあ」
             ダイチが渋々という風にうなずいたので、ヤサコはここでフミエに訊ねることにした。
            「フミエちゃん。ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
            「何よ?改まって」
             先ほどからダイチとこそこそ話したり、どうもヤサコの様子がおかしいなと思いながらもフミエは質問を待った。
            「フミエちゃんって、ガチャギリくんのお弁当作ってあげてるの?」
             ついに言っちまったかと顔をしかめているのはダイチだ。しかしフミエは「ああ、そのこと」と、何の隠しごとをする様子もなく口を開いた。
            「作ってるわよ。ヤサコに言ってなかったっけ?」
            「オレにも言ってねえぞ」
             ダイチが後ろから口を挟んだ。あまりにも軽いフミエに対し、そんな大事なことをさらっと言ってくれるなよという憤りがダイチの中にはあった。
            「アンタもガチャから聞いてないの?ナメッチは知ってるはずだけど」
            「だからなんでなんだ?」
             どうしてダイチがそんなに興奮しているのかわからない様子でフミエは答えた。
            「いやさ、ガチャの家の経済事情が苦しいのは知ってるでしょ?アイツ先週の1週間、1回も弁当も持って来なかったし、購買部にお昼ご飯も買いにも行かなかったのね。楽しいはずのランチタイムに1人後ろでずっとぼーっとしてるのがほっとけなくてさ」
            「え?それが理由?」
             拍子抜けしたように訊ねたのはヤサコだ。ダイチは口を半開きにさせたまま固まっている。
            「それどういう意味?もっと他の理由を求めてたの?」
            「い、いやあ、そういうわけじゃないよ。それじゃあこれからガチャギリくんの弁当はフミエちゃんが用意するの?」
             その質問にフミエはかぶりを振った。
            「いや、私は暫定的にやってるだけ。ナメッチが調理研究部に入るって話は知ってる?その活動が本格的に始まった時には、ナメッチが部活の時に作ったものをガチャのお昼ご飯にするってことで話はついてるわ。ガチャはあんまりいい顔しなかったけど、やっぱ食欲には勝てないらしいわ。食べ盛りだしね。もちろんこの話が広がるのはガチャも望んでないのはわかるでしょ。アンタ達だから言うけど、人に話したらダメだからね」
             フミエが念を押すように言った。ヤサコはその説明で納得し、ダイチも隠してはいるが安心したような表情を見せた。そんなところでついでにヤサコは軽い口調で言ってみる。
            「なんかさ、フミエちゃんとガチャギリくんが付き合ってるみたいな噂があったから、そのお弁当のことで本当なんじゃないかって思ってたのよ」
            「ブッ。何それ?誰情報?私とアイツがそんな関係になるわけないじゃない。アイツとは敵同士よ。だいたい私はああいうネクラなのはタイプじゃないし」
             フミエのその言葉でダイチが抱いていた疑念は完全に晴れたようだった。さっきまでの沈んだ表情がウソのようにすっかり上機嫌だ。
            「そうかそうか。じゃあ悪いがうちのメンバーにたっぷりと栄養つけさせてくれよ」
             ダイチは高笑いしながら上その場を去って行った。ヤサコはどうも複雑な気持ちでそれを見送る。
            「何なのアイツ?情緒不安定?」
             ダイチの感情の浮き沈みが激しいのはフミエも見抜いていた。悲しいかなその原因が自分であることを自覚していないだけだ。
            「フミエちゃんもさ、早く気付いてあげてよ」
            「何を?」
             少し疲れたように言ったヤサコをフミエがいぶかしげに見る。
             これでまたダイチとフミエがくっつく日は遠のいたなとヤサコはため息をつく。「そんな人の心配している場合?」というアイコの声が聞こえたような気もした。


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             今週は以上です。来週はクラブ活動を見学に行きましょう。
             
             













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            『電脳コイル 春』サイドストーリー 第3話

            2010.09.10 Friday 22:49
            0
               ー前回のあらすじー
                2組でフミエとガチャギリが付き合っているのではないかという噂が出て、ダイチはやきもきした。

               というわけで、そろそろメンバーのクラブ活動を決めていきましょう。

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               大黒市立大黒中学校 第3話 「クラブ活動はマジでどうする?」

               学校が始まってからはや1週間が経過し、ここからの1週間は新入生にとってはクラブ活動の体験期間となる。新入生には学校のクラブの紹介記事がメガネに配信されていて、それを参考にこれからどのクラブを見学に行くかを決めるのだ。

               ヤサコはその記事を夕食後の団らんの時に眺めていた。現在父の一郎は金沢への出張でいないため、代わりにメガばあが食卓に加わり、団らんの時もリビングでくつろぐようにしていた。
              「で、優子はどんなクラブに入るつもりなんじゃ?」
               食後の渋いお茶を一口すすってメガばあが訊ねる。
              「う〜ん。なかなか決まらないなあ」
               ヤサコは1度ウインドウを閉じて天井を見上げた。
              「やりたいことがないのかえ?」
              「そんなことないわ。逆にどのクラブも面白そうだから、この紹介記事だけじゃ決められないかなって」
              「それはいいことね。この1週間は体験期間なんでしょ?その間に気になるクラブをのぞいてみてから決めたらいいことだし」
               母の静江も夕食の片付けを終えて話に加わった。この春から小学生になった京子はと言うと、テレビアニメに夢中になっているのでこちらの話題には注意を向けていなかった。
              「そのつもりだけど、本当に決められるのかなあ。ねえ、オババやお母さんは学生時代は何してたの?」
               ヤサコは参考にしようと思って訊ねてみた。
              「ワシは中学じゃと特に何をなしたわけじゃないが、高校時代は剣道一筋じゃったのう。剣道部はあるんかえ?」
              「あるにはあるけど......」
               ヤサコはメガばあの部屋で竹刀を見たことがあった。今となっては信じられないが、メガばあが『黒客』に電脳剣術を指南したというウソみたいな話もフミエから聞いたことがある。とはいえヤサコは剣道部に関してはノーマークだった。
              「強い女は美しいのじゃ。お主も美しい女になりたいなら、剣の道を精進するのも良いと思うぞ」
               それは将来的にメガばあみたくがめつくなるということなのだろうか。強かなのは認めるが美しいとはまた別問題だろうとヤサコは思った。
              「お義母さん、それは論が飛躍し過ぎよ」
              「じゃあお母さんは?学生時代は何してたの?」
               メガばあの意見は置いておくことにして、まじめに応えてくれそうな母にすがった。
              「私は中高とも吹奏楽部だったわ。ずっとトロンボーンでね。コンクールで金賞をとったとかはなかったけど、楽しかったわよ」
              「ふ〜ん。私も吹奏楽部は面白そうかなって思った。でもこれって小学校時代になにか楽器をやってたとか、音楽の5段階評価が高かったとか、そういうのは必要ないの?」
              「そんなの全然関係ないわ。私も中学校の吹奏楽部に入った時は同じような感じだったもの。管楽器を触るのはたいていみんなそれが初めてだし、要はやる気の問題ね」
              「わかった。じゃあ明日は吹奏楽部を見学しに行くわ」
               静江の話を聞いてそれなら自分にもできそうかなと思い、ヤサコの興味は吹奏楽部が1歩リードした。
              「そう言えばお友達は?そういう話とかはしないの?」
              「するよ。最初はフミエちゃん達とも同じクラブに入ろうかなんて話してたんだけど、う〜んなんか、クラブぐらいは人に合わせるより自分の好きなところに入る方がいいかなっていう話になって」
               ヤサコはちょうどそのことを話し合っていた今日の放課後のことを思い出した。

              「フミエちゃんは結局どのクラブにするか絞った?」
              「いや、もうね、わたし学級委員になったでしょ。そのことで多少忙しくてさ、あんまりまじめに考えてなかったのよね。それに将来的には生徒会の役員にもなろっかなって思ってるのよ。だからあんまりガッツリしてるクラブは考えてないかな」
               フミエはクラブ活動よりもそちらの方向に力を入れたいらしい。人の前に立つのが苦手なヤサコにとっては、そのフミエの意志はお世辞抜きに尊敬できた。
              「まあ人それぞれじゃない。私達も『黒客』と同じように、仲良く同じクラブに入るんじゃなくて、自分のやりたいことをやろうって決めたんだし」
               アイコが言った。このことについてはダイチがそんな話をしていたとハラケンから聞き、それなら自分達もそうしようということになった。その方がそれぞれのクラブで新しい友達もできるというのもある。
              「アイコちゃんは?この前宣言してた通りテニス?」
              「そ。華やかな運動部っていう点では王道よね」
               アイコも女子の中では運動神経の良い方だ。確かにハマっているなとヤサコは思っていた。
              「問題はアンタよヤサコ。まだ何も決まってないんでしょ?」
               フミエが少しだけ呆れたように訊ねた。ヤサコには優柔不断なところもある。
              「そうだけど、まあ色々と候補は......」
              「仕方ないね。アンタならどのクラブが映えるか、私達が決めてあげるから」
               ヤサコの言葉にかぶさるように、強引にアイコが出て来た。
              「アンタさ、ちなみにハラケンとは同じクラブに入ろうとは思ってないわけ?」
              「え?だってそんなの、ハラケンが入りそうなクラブに私がついていけるわけないし......」
               耳打ちして訊ねてきたアイコに恥ずかしそうにヤサコが返す。
              「わかるわかる。ハラケンは私達にしてみたら変態だもん。すんげーマニアックな研究会に入ったりしそうよね。あの体格ならバスケ部とかに入ったら絶対かっこいいのになあ」
              「ぶっ。アイツがバスケ部とか想像できないわ。生物部の時は静かに研究したいですなんて言った男が、そんなとこ行くわけないじゃない」
               フミエはあり得んことだと笑っている。
              「私は理想を言ってるのよ。ま、それは置いといて、話はヤサコがどのクラブに入れば映えるかよね。そうねえ......そうだ!ジャーマネとかしてみたら?」
              「ジャーマネ?」
               ヤサコは初めて聞く言葉だと思った。
              「アンタは業界人かっつーの。マネージャーのことよヤサコ。野球部とかサッカー部とかのね。でも残念ながら、この学校のクラブはマネージャーは募集してないわ」
              「そうなの?うわあもったいない。じゃあヤサコさ、高校行ったら野球部のマネージャーやりなさいよ」
              「なんでそんなに強く推すの?」
              「アンタがマネージャー顔だからよ」
              「はあ」
               本当にマジメに考えてくれてるのかなとヤサコは思った。アイコと話す時はいつもこんな感じだ。恋愛の話になった時だけは見たこともないようなまじめな顔つきになって相談に乗ってくれるが、それ以外のところでは本当に軽い。もちろんそれが楽しくもあるのだが。

               そんなこんなで結局ヤサコはクラブは絞りきれなかった。だから母の話にも出て来て、自分の中でも興味があった吹奏楽部の見学にとりあえず行くことに決めた。

               
               翌朝。いつもはヤサコやフミエ達と一緒に登校するハラケンだが、この日は1人で登校していた。基本的に元三小メンバーとは道が同じなのでいつも誰かしらに会うのだが、この日は少し出るのが遅れてしまったのだ。
               そんなハラケンは、前方にこちらは基本的にいつも1人で登校しているガチャギリを発見した。そう言えばハラケンはダイチに頼みごとをされていたのを思い出した。ガチャギリとフミエが付き合っているなんていう噂があるので、真意を本人に確かめてほしいというものだ。あれから1週間近く経っているし、基本的にダイチの方がガチャギリに会う機会が多いので、もう解決してるかなと思いつつ、とりあえず軽い感じでさらっと訊いてみようかと思い声をかけてみた。
              「おはよう。ガチャギリ」
              「お、珍しいな。ハラケンがこんな時間に登校だなんて」
              「ちょっと今日は出るのが遅れて。せっかくだし一緒に行こう」
              「ああ。もちろんいいぜ」
               ガチャギリと話すこと自体が1週間ぶりくらいだったが、何も以前と変わった様子はなく、いつものガチャギリだなと思った。しかしそれでもいきなり「フミエと付き合ってんの?」とは訊きにくいので、適当な話題でウォームアップしてから何気なく振ることにした。
              「ところで、クラブは何に入るか決めたの?」
              「あー、この前センコウにFX研究クラブとかねえのかって聞いたんだがな、んなもんあるわけねえだろってあしらわれたところだ」
              「FX?それって為替取引とかのあれ?」
              「さすが秀才。話が早い」
               さすがなのはガチャギリの方だとハラケンは思った。
              「中学校でそれはなあ。大学のサークルとかだったらわからなくもないけど」
              「もちろんそれは承知だったがな。だったら部員集めて新しく作ることはできねえのかって訊いたんだが、中学校っていう義務教育の現場で、為替取引みたいな露骨な金儲けを考えるクラブなんて認められないだろうなとも言われた」
               それももっともだと思えた。基本的にガチャギリの考えていそうなことは、学校からすればたいていNGが出そうだ。
              「そう言うハラケンは?なんか良いクラブ見つけたのか?」
               あまり自分のことばかり訊かれるのもシャクに思ったのか、逆にガチャギリが訊ねてきた。
              「いや、僕も似たようなもんだよ。基本的に何かの研究部で考えてるんだけど、僕が興味を持ってる民俗学とかの研究部はないんだ」
              「そりゃお前、中学でそんなマニアックな研究したいヤツもなかなかいねえだろ。変人同士、お互い苦労するよな」
               皮肉の利いたガチャギリの言葉にハラケンも笑った。メガネの普及によってネットとの関わりがより密接になり、子どもの趣味の多様化も進んだご時世、中学校にも様々な研究部がある。にも関わらず自分の入りたい研究部が見つからないという2人は、確かにズレているなとはハラケンも思った。
              「研究部つってもなあ、あるのは歴史、鉄道、調理、弁論、漫画、ロボットぐらいか。あと文芸部もそこに入るのか。なぜかこの学校じゃ生物研究部がロボット研究部になったらしいからな。小学校時代の経験を活かしたいなら、そのロボット研究部とかになるんじゃないのか?」
              「まあ、そうだね。電脳ペットとは違って時代遅れな感は否めないけど、まあ根っこは同じか。どれだけ生物の動きを再現できるかっていうところだもんね」
               しかし電脳ペットとロボットは何かが違うというもやもやした違和感があった。電脳ペットの方が生物の動きをリアルに再現できる一方で、ロボットにはそこに限界点があるのが相違点かもしれない。しかしただのプログラミングである電脳ペットよりも、モノに命を吹き込むロボットの方がやりがいもあるし魅力もあった。
              「じゃあこうしねえか?この学校にはコンピュータークラブとは別に、ゲームクリエイトクラブってのがあるんだが、オレはそのゲームの方に入ろうかと思ってるんだ」
              「ゲームを作るのか?あまりガチャギリっぽくないな」
              「まあ聞けよ。基本的に作るのはネットゲームらしいんだが、それにはプログラミングとかXHTMLの技術も必要となる。まあもちろんオレも基本的なことは押さえているが、電脳の本場大黒市なだけあって、このクラブのレベルの高さは半端じゃないらしい。メガネゲームも作ってるって話もある」
              「本当に?『黒客』でスキルを磨いたガチャにはおあつらえ向きじゃないか」
               何となく怪しい匂いもするクラブだが、それくらいの雰囲気がないとガチャギリも魅入られないのだろうなと思った。
              「まあ、メガネのディープなところにも踏み込むクラブってことだな。もちろん顧問もついてるし、学校もおそらく危険分子として警戒してるだろうから、そこまで非合法な活動はしてないと思うけどな。スキルを磨くにはいい。それにそのゲームクリエイトクラブとロボット研究部はわりと仲が良いみたいなんだ」
              「どうして?」
              「ロボットを動かすには当然プログラムが必要だろ?その技術指導をゲーム部に頼んでるんだとよ。てなわけでだ、どうせならオレがゲーム部に、それでハラケンがロボット部に入ってだな、双方の研究に役立つ情報交換をしていくってのはどうだ?」
              「悪くないな。電脳のスキルはあって邪魔にならないしな。ロボット研究部でも、電脳生物の研究もできるようになればなお良い。じゃあそんな方向で行く?もちろん、僕も1回ロボット研究部を見てから決めたいから仮決定みたいなところで」
              「おけ。オレも見学には行くつもりだったからな。そんな感じでよろしく頼むわ」
               気付いたら2人は下駄箱まで来ていた。ガチャギリは1限が体育ということなので、そこで別れることにした。クラブの話に花が咲いたおかげでハラケンはすっかりダイチの頼みごとを忘れていた。
              「おう、ハラケン」
               その時声をかけられて振り返ってみると遅刻魔のダイチがいたのでハラケンは一瞬焦った。しかし時間はまだ少しだけ余裕があって、ダイチが早く来ただけだったのかと安心する。
              「今ガチャと話してたろ?」
              「ああ。なんだ後ろからついて来てたんじゃないか。声をかけてくれれば良かったのに」
               この様子だとずっと声もかけずについて来てたのかなとハラケンは思った。
              「いやさ、ハラケンがこの前オレが頼んだこと聞いてくれてんのかと思ってさ、そこに割り込むのは気が引けるじゃねえか」
              「この前?ああ!フミエとの関係のこと?ごめん、すっかり訊くの忘れた。ガチャに声をかけた時にはしっかりと覚えてたんだけどなあ」
               ダイチはがくっと拍子抜けした。
              「おいおい、しっかりしてくれよハラケン」
              「悪かった。でもガチャもそんな様子は全然なかったけど。きっとその噂もみんなの勘違いだって」
              「そ、そうだよな。そうに違いねえ。そもそも『黒客』の一員が敵であるフミエと付き合うなんて許されんからな。『黒客』の規律を守る上で良かったぜ」
               それは自分の首を締めているんじゃないかとハラケンは思った。
              「んで、何の話であんな盛り上がってたんだ?」
              「ああ、クラブの話だよ。アイツがゲームクリエイトクラブに、僕がロボット研究部に入って、お互い情報交換をし合おうっていうことになったんだ。この2クラブは近しい関係にあるらしいから」
              「ふ〜ん。アイツはあくまでも電脳のスキルを磨くつもりなのか」
               ダイチはフミエとガチャギリとの噂が出て以来、ガチャギリに話かけづらくなっていた。だからそんな話も最近はしていなかったのだ。
              「そう言えばダイチやナメッチやデンパはクラブは決めたの?」
              「ああ。まあオレはサッカー部かな。運動部なら何でもいいんだが、とりあえず1番好きなのはサッカーだからな。この前言ったように、柔道と卓球だけは絶対にやらんと決めてるし」
              「そうだったね。でもサッカーは似合ってるな。遊びでやってただけだけど、ダイチは小学校からうまかったもんな」
              「あんがとよ」
               本当はバスケ部かサッカー部かで悩んだのだが、この身長でバスケ部の門を叩くのは気が引けたのだ。
              「後の2人は?」
              「ああ。ナメッチの料理好きは知ってるだろ?だからアイツは調理研究部でほぼ確定。デンパは芸術系、美術部か吹奏楽部かで悩んでるって言ってたな」
              「そうなんだ。みんなそれぞれ考えてたんだね」
               そんな話をしながら2人が1組の前を通りがかった時だった。中からどうも待ち構えていたようにアイコが出て来た。
              「ああダイチ、ハラケン、おはよう!」
              「うぃーす。なんか朝からテンション高くないかお前?」
               ダイチもどこか楽しげなアイコをいぶかしげに見る。
              「そんなことないわよ。それよりさ、アンタ達に訊きたいことがあるのよね」
              「なんだよ?メタバグの鉱脈の在処なら教えねえぞ」
              「違うのよ。最近私も怪しいと思ってるんだけどさ、2組のフミエとガチャギリって付き合ってんの?」
               アイコが訊ねた途端、ダイチの顔がぴくっと動いたのが見えた。そしてアイコの方も芝居がかったように見えた。ハラケンにはこれが策略であることがわかってしまった。
              「バカ言うなよ。んなわきゃねえだろ。だいたいそれならオレに訊くより、フミエ本人に訊けばいいだろ。いつもヤサコも一緒に仲良く帰ってるじゃねえかお前ら」
              「そうなんだけどさ、フミエってそういう話題になるとかたくなに口を閉ざすのよね。だから私にも確認のしようがないのよ。それにさ、ついさっき決定的な証拠を目撃したのよ」
              「ああっ?」
               呆れたように見せているが、ダイチの表情がだんだんと焦りに変わっているのは見て取れた。
              「なんか教室に入って行った時にフミエがさ、持って来た弁当をガチャギリの机の中に突っ込んだのよね。あれってどういうことなのかなって」
              「なにい!」
               ダイチは猛然と駆け出して、体育で全員出払っている電気の消えた2組の教室の中に踏み込んで行った。そこでガチャギリの机の中を物色すると、アイコの話の通り弁当箱が入っているとおぼしき袋が出て来た。
              「これか!まだあったかい。少なくとも昨日より前の時点で入れられたものじゃないな。ガチャはさっきハラケンと別れた後に体育館に直行したからここに寄る時間もなかったし......」
               ダイチは探偵顔負けの推理を見せた。その目は焦りや悲しみよりも、怒りの方がにじんでいるように見えた。
              「何だよあれ?まさか本当にフミエとガチャギリって付き合ってるのか?」
               その展開に驚いたハラケンも2組の教室の入り口でその光景を楽しそうに見るアイコに小声で訊ねた。
              「ハラケンってダイチのフミエに対する気持ちは知ってるの?」
              「それはまあ。ダイチにはフミエとガチャのことで相談を持ちかけられていたし。でもあれはまずいって。絶対凹むよダイチ。そもそもあの弁当はフミエが持って来たものなのか?」
              「それは本当よ。でもまあ真相はこういうことだけどね」
               そこでアイコはハラケンに耳打ちした。それを聞いてハラケンもその理由については納得した。
              「そういう事情ならダイチにもきちんと伝えてやらないと」
              「鈍いわねハラケン。なんでそんなに鈍いのよ。ねえ。いい加減気付いてあげなさいよ。彼女にも」
              「何の話だよ?」
               アイコはそこでウインクしながらかわいく見せた。
              「とにかく、私も恋のキューピットとしてやってるのよ。だからハラケンも黙って協力して。ね?今度はハラケンにかわいい天使を連れて来てあげるから」
              「......なんだかよくわからないけど、あんまりダイチを傷つけるようなマネはやめてくれよ」
               言っても聞きそうにないのでハラケンも渋々認めることにした。
              「ありがとう!じゃ!よろしく」
               アイコは軽やかに自分の教室に舞い戻って行った。対照的に重い足取りでダイチも2組の教室から出て来た。
              「.....行くぞ、ハラケン」
               案の定ダイチは凹んでいた。先ほどの怒りは消えてただ凹んでいた。

               それでもダイチは男になる決意をした。

              ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

               今週はここまでです。次週は嵐の予感。


                


               






               


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              『電脳コイル 春』サイドストーリー 第2話

              2010.09.03 Friday 22:27
              0
                (前回のあらすじ) 学校が始まった途端、存在感を示し出したアイコ。

                 というわけで前回の続きです。

                ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

                 大黒市立大黒中学校 第2話 「中学校生活はどうだ?」

                 中学校生活が始まってから3日が過ぎた。授業も始まり、それぞれのクラスの雰囲気もだんだんとわかってきたところで、クラスが別々のヤサコ、フミエ、アイコ、3人は、お互いのクラスの特徴について下校中に話し合っていた。
                「クラスの雰囲気とかはどう?」
                 まずはじめに話を振ったのはヤサコだった。
                「1組はね〜、なんだか知らないけど女の子の方が中心になってる感じかな。ウラを返せば男子に骨の無い人が多いってことなんだけど」
                 答えたアイコは少しがっかりしているようだった。中学校にはもっとイケメンが多いのかと思ったが、実際はそうではなかったらしい。
                「私も思う。1組はおかしい。今日もちょっとばかりのぞいて見たけど、男子でクラスの中心にいたのがナメッチぐらいだったのよね。そりゃあアイツは料理ができるから女の子が集まって来るのはわかるけど、それにしても他の男子に存在感がないのよね」
                「う〜ん。なんかダイチみたいに目立ってやろうってのがいないね。多分このまま女子王国になっていく気がするな、1組は」
                「なんだか楽しそうではあるけど、それもつまんないよね〜」
                 3人は口々に感想を言い合った。結論としては、あのナメッチが目立つくらい男達に覇気がなく、張り合いのないクラスが1組ということになった。
                「フミエちゃん。2組はどうなの?」
                「そうねえ......傾向としては1組とは逆になるのかな。ウチは男子の方が中心になってるわ。1組とは違ってそんな極端ではないけどね」
                「女の子が結構おとなしめの子が多いのよね。これは女子を引っ張って行くのは自分しかいないって、フミエが学級委員長に立候補したんでしょ?」
                 アイコが確認するように訊ねる。
                「へ〜。フミエちゃん冒険者ね」
                「まあ、男子に好き放題されるのはたまらないから。だいたいウチのクラスの男子は少しずつガチャギリに感化されつつあるのよね。アイツも新しい商売を始めるためだとか言って、『黒客』での活躍を語りながら仲間を集めてるのよ。男って本当にバカ多いわよね。一瞬大黒市でトップにのぼりつめたってだけで、ガチャギリのことちやほやしてるんだから」
                 ガチャギリは決して自分は目立つことなくコソコソと勢力を築きつつあった。男子達がガチャギリに惹かれるのは元『黒客』というだけではなく、金儲けの方法を色々と知っているからという理由もあった。
                「その男子の学級委員長はガチャギリの息のかかった男子らしいわ。で、フミエはそれも考えて自分も立候補することにしたらしいの。ガチャギリが黒幕としてクラスを取り仕切ることになれば、2組はメガネ無法地帯になるってね」
                「なるほどなるほど」
                 アイコの補足説明にヤサコがうなずく。
                「でも、元『黒客』のガチャギリを好意的に思っていない人もいる。そういう人はフミエがコイル探偵局の会員として『黒客』と対立していたことも知っているの。だからその人達はフミエを支持しているわ」
                「いきなりすごいことになってるね。つまり2組はフミエちゃん派とガチャギリ派で割れてるってこと?」
                「まだ多くの無党派層がいるわ。その人達を引き込めばあんなの目じゃない目じゃない」
                 もちろんこの2人のことを知らないクラスメートも大勢いる。フミエにはその生徒達を取り込む自信があった。その時アイコがヤサコにこんな耳打ちをした。
                「でも面白いのは、真っ向からの対立関係にあると言われているこの2人が、実は付き合っているんじゃないかって噂が出てるってことなのよね」
                「えっ?そうなの?」
                 ヤサコも目が覚めたように驚く。
                「でもさ、案外そういうのあるじゃん。許されざる恋みたいな。2組の人達はそれをまことしやかに噂してるんだよね。シッシッシ」
                 魔女のようにアイコは笑った。
                「まさかアイコちゃん。その噂の流布に一役買ってるんじゃないでしょうね?」
                「フッフーン。ま、これもダイチを早く本気にさせるためなのだ」
                 本当に黒い女だとヤサコは思った。やはり中学校生活を1番楽しんでいるのはアイコだ。
                「フミエちゃんはそれ気付いてるの?」
                「気付いてないんじゃない?この子は本当に鈍いからさ。こういう話にまったくアンテナが立ってないのよね」
                「ガチャギリは?」
                「アイツは結構サバサバしてるからさ。たとえその噂を耳にしても、『フン。くだらねえ』ぐらいに鼻であしらうんじゃないの。噂なんてすぐに消えると思ってるっぽいし」
                 それもそうだとヤサコは思った。ガチャギリがフミエのところにやって来て、「おいオレたち付き合ってると思われてるみたいだぞ」など口にするところなど想像できない。
                「早くダイチ気付かないかなあ。そしたら楽しいことになりそうなのに」
                 アイコは期待に胸を膨らませるように空を見上げた。自分のクラスの男子がはずれだったことも相まって、彼女は恋話に飢えているのだ。
                「何さっきからそっちでコソコソ話てるの?」
                 フミエもしびれを切らしたように訊ねる。
                「なんでもないわよ。フミエには是非とも学級委員長になってほしいから応援しようって相談してただけ。じゃあじゃあ、ヤサコの4組はどう?」
                 アイコはフミエの気をそらせるようにヤサコに振った。
                「えっ?どうなのかな。とりあえずのんびりとした気風はあると思うんだけど」
                 ヤサコはアイコとフミエの話を聞いて、自分のクラスにそういった特徴らしい特徴はないなと思った。
                「まあ、確かに4組は良く言えば平和。悪く言えば地味。他のクラスではそういう見方で定着してるけど」
                「実際そうだと思う。男子も女子もみんなで平等に頑張っていこうみたいな雰囲気だし」
                「でもイケメンなら4組っていうのは割と言われてるわ。その辺はどう?」
                 アイコが興味津々な様子で訊ねる。
                「そうねえ。確かに男の子が引っ張ってくれてる感じはあるかな。2組みたいにぶつかり合うとかじゃなくて、しっかりとエスコートしてくれてるような感じ」
                「さすが女子の間では理想郷と言われているだけあるわね。ちょっとさ、このクラス分けバランスおかしいよ。ヤサコも1番良いクラスに入ったんだからもうちょっと嬉しそうな顔しなさいよ!」
                 すごい勢いでアイコが不平を言い始めた。あげくヤサコに当たり始めた。
                「えっ、でも。う〜ん」
                 ヤサコにとっては実感湧かない部分も多かった。
                「ダメ。この子、ハラケンしか見えてないわ。だったらさあ、私とヤサコと3組の誰かで三角トレードしましょうよ。あのクラスで1年過ごすなんて考えられないわ」
                「はいはい。文句を言っても変わらないからね」
                 フミエがアイコのことをなだめる。また気をそらすようにヤサコは話を変えた。
                「その3組ってどうなのかな?」
                「3組?聞いた話だと、1番ひどいクラスみたいよ」
                 アイコが気を取り直したように答えた。
                「どうひどいの?」
                「1組は女子が強くて、2組は女子と男子がぶつかり合って、4組は女子と男子が仲良くてって感じじゃない。ところが3組は男子同士でぶつかり合ってるっていう感じみたいよ」
                「結局あのダイチが火種なのよ。『黒客』で散々他所に迷惑をかけたツケがまわってきたみたいで、ダイチはクラスの男子の大半に狙われてるらしいわ。中学でドンパチやるつもりはないんだろうけどさ、まあそういうむさ苦しい対立があるわけさ。女子達は未だにメガネに取り憑かれてるそいつらを見て辟易してるって感じらしいよ」
                 色々と他のクラスは大変なんだなとヤサコは思った。それを考えるとやはり自分は幸せなクラスに入ったんだなと実感する。
                「でもこれだけは言っとくわよヤサコ。中学のクラスなんて所詮はじめのうちはバラバラなものなのよ。色々なトラブルや行事をこなすことによって少しずつ結束していく感じかな。でもはじめからなあなあしてるクラスは、どこかしらでとんでもない亀裂を生んで、それが最後まで埋められないってことが多々あるらしいわ」
                 アイコはまじめな顔になって警告するようにヤサコに言った。
                「どういうことなのか、イマイチわからないなあ」
                「だからさ、このフミエみたいにたまには言いたいことは相手に向かってはっきり言うとか、そういうぶつかり合いが必要なのよ。みんながみんなに気を遣って、表面上では絶対に他人の悪口は言わないってのは逆に危ないの。溜め込んだストレスは陰口を言うことで発散して、それは誰かをはぶったりすることにつながって、いずれはクラス全体が真っ二つみたいなことになる可能性が高いってこと」
                「まるで自分が体験したことのように生々しいわね」
                 フミエがアイに訊ねる。
                「今のは先輩談。だからさヤサコ。いずれそういう陰口が蔓延するようになったら、それを絶対に許さないことよ」
                 何かヤサコはものすごく痛いところを突かれた気分になった。そう言われてみれば、自分が金沢にいた時のクラスがそんな感じだったような気がする。そして、何よりそういった陰口の中心にいたのは紛れもない自分だったということも忘れてはいなかった。今はまだクラスの様子を見ててもそうなることは想像できない。しかしいずれそんな空気になってしまったら、自分にいったい何ができるのか真剣に考える必要があると思った。もう自分は当事者でも傍観者でもいけないのだ。
                「なんか重たい空気になったわね」
                 その時ぽつりとフミエが言った。
                「なんかごめん。ま、私の嫉妬もあるから、そんな深刻に受け止めないでヤサコ。じゃあ気分を変えて、駅前のクレープでも食べに行きますか!フミエの学級委員当選のお祝いってことで」
                「お!いいわね!ヤサコも行くでしょ?」
                「うん。もちろん!」
                 3人はそこから家路からそれて駅方面に向かって歩き始めた。別々のクラスになったおかげで、まだまだ学校生活についても話し足りないこともある。しかしそれぞれがクラスにとけ込んで行ったとしても、このつながりの強さだけは揺るぎないものだということはヤサコも嬉しかった。きっとこれは、別々の高校に行っても、別々の大学や進路を目指しても変わらないのだろうなと思いながら、ヤサコはオレンジ色に染まる空を見上げた。

                 その頃、3組のダイチとハラケンはたった2人で教室に残って、なんとなくクラスの雰囲気などについて話し合っていた。
                「居づれえよな。スゲー居づれえよ。このクラス」
                「やっぱりそう感じてるんだ」
                 ダイチがため息をつきながらつぶやいた気持ちも、ハラケンはわかるような気がした。
                「別にはぶられてるとかそういうことじゃないんだけどなあ、授業中にも暑苦しい視線をビンビン感じたりするんだよ。うたた寝でもしたら寝首かかれそうな緊張感があって、これまでの授業でまだ1回も寝てないぜオレ」
                 別に自慢できることじゃないとハラケンは思ったが、小学校時代から授業はメガネで遊ぶか寝る時間だとダイチは思っている。ハナから聞く気もないだろうが、それじゃ授業にも集中できないだろうなとハラケンはほんの少しだけ心配した。
                「それなら授業中くらいメガネをはずせばいいのに」
                「そうするとそいつらの威圧感にオレが屈したみたいでイヤじゃね?」
                 確かに元『黒客』リーダーのプライドがそれを許さないのはハラケンも理解できた。
                「でもずっとこのままなのはもっとまずいと思うけど。ダイチが折れない限り、どこかしらで衝突は免れないんじゃないかな」
                「衝突できるのならオレも喜んで受けて立つって。所詮『黒客』の敵じゃなかったザコに負ける気はしない。でもその対決の手段がないんだよ。あの事故が起こるまであれだけあったアイテムやメタバグも、直樹さんに全部没収されたからなあ」
                「結局はバナー攻めとか、そういう古典的な方法でしか対決できないわけだね」
                 怨恨は残っているのに、相手にしてみたらその復讐の方法がなんとも消化不良なものしか残っていないのが逆にこのクラスの空気を悪くしている。教室は彼らの鬱憤を溜め込んでいる巨大な容器のようだった。
                「ハラケ〜ン。どうしたら丸く収まると思う?オレも昔の因縁なんかは忘れて、クラスの全員と仲良くしたいなんてなあなあなことは言わないが、もうちとなんとかならんもんかとは思ってる。ハラケンも正直、このクラスの空気の悪さは居心地が良くないっしょ?」
                「うん......まあ正直に言わせてもらうとそうかな。僕なんかより、女子の方がそれをよっぽど感じてると思うけど」
                「やっぱりなあ。オレだって申し訳ないとは思ってる。だからってオレが連中に謝るのも違うだろ?昔電脳戦争で負けたからって、ねちねち中学にまで恨みを持ち込む方がどうかしてるよな?」
                「それはそうだ。坂本くんみたいにさっぱりとしてる人もいるのにな」
                 かつてダイチと死闘を繰り広げた末に敗れた坂本は、今はダイチとも仲良くやっている。席も前後で隣接しているので、ダイチの砦を坂本が守っているという印象だった。
                「ああ、アイツは良いヤツだよ。オレのこの悩みを聞いてくれて、オレを恨んでるっていう連中をなだめに行ったりしてくれたしな。でもどうにもこの緊張は解消されないんだわ」
                「難しいところだね。でもひと月もしたら、打ち解けていくんじゃない?向こうもダイチがどんな人間かわからないから敵意をむき出しにしてるわけで、ダイチがそんな悪いヤツじゃないってわかったら尖っていた気持ちも段々と丸くなっていくと思うよ」
                「そういうもんかね?」
                「まあ、まだ始まって3日なわけだし、もう少し我慢が必要なんじゃないかな」
                 この3日がとんでもない長さに感じたおかげで、ダイチはこの状態が永遠に続くのではないかという不安もよぎっていた。しかしハラケンの言う通りまだ3日しか経っていないのだ。もう少し様子を見てみようと、ダイチはこの問題に関してはそこで置いておくことにした。
                「......はあ」
                「今度は何のため息?」
                 ダイチはまたあからさまに大きく息をついた。ダイチってこんな悩み多き青年だったかなとハラケンは思いながら訊ねる。
                「いやさ、さっきイヤ〜な噂聞いたからもんだから」
                「どんな?」
                 ダイチはそこで少し躊躇した。あまり大きい声では言えないような内容であることは察せられる。
                「あんまり言いふらすなよ。実はさ、2組でフミエとガチャギリが付き合ってるっていう噂があるんだよ」
                「え?」
                 ハラケンは驚いたものの、その後のリアクションに困った。どういう文脈でそんな話が出て来たのか、想像もできなかった。
                「どう思うよハラケン?」
                 すがりつくような視線を向けてダイチが訊ねる。
                「......いや、普通に信じられないというか、デマだと思うんだけど」
                「そうだよな!」
                 ハラケンとてダイチのフミエに対する気持ちは薄々気付いていた。小学校時代にあれだけちょっかいをかけていれば誰の目にもわかるものだが、ダイチはフミエ以外のみんながその気持ちを知っていることに気付いていない。だからこうして恥ずかしそうに相談してくるのだろう。
                「本人達に聞いてみれば?」
                 軽い感じでハラケンは言った。
                「いや〜、なんかなあ。それはデリカシーがないっちゅうか」
                 言葉を濁すようにダイチは返した。怖いんだなとハラケンは思った。
                「それじゃあ仕方ないね。まあ、それなら僕が代わりに聞いてもいいけど」
                「本当か?じゃあ頼む」
                 待ってましたと言わんばかりにダイチはハラケンの顔を見上げる。ダイチがこの話を振って来たのは、自分にそうしてもらいたかったからなのだろうとハラケンもわかっていた。
                「ところでさ、その噂とは関係なしに最近『黒客』で集まったりしてないの?ダイチも僕といることが多くなってるけど」
                「ああ、そうだな。招集かければすぐには集まるんだろうが、まだ『黒客』としての中学での方針が決まってないからなあ。なんか、自然と様子見って感じになってるな。まあ、今は活動再開までの準備期間だ」
                 それは『黒客』メンバーがきれいにクラスが分かれたことも無関係ではないだろうなとハラケンは思った。つながりが希薄になってきたわけではないだろうが、今までずっと一緒にいたメンバーがぽっと1人で投げ出されたことにより、自分が何をしたいのかを考え直しているからかもしれない。ダイチに至っては『黒客』リーダーとして付け狙われているところもある。しばらく『黒客』として大きく動かない方が懸命だと思っているのかもしれなかった。
                「なるほど。じきにクラブ活動も始まるからなあ。中学校生活に慣れるまでは、『黒客』の活動も一時休止ってところか」
                「そうだな。まあ、そのクラブ活動についてもまじめに考えんとかんとな」
                「それも『黒客』メンバーで相談したりしてないの?」
                「何入るつもりなのかとかは前に話してたけど、仲が良い者同士で一緒のクラブに入ろうとかはないな。オレたち趣味はバラバラだから」
                 確かに『黒客』メンバーは、メガネ以外のところではそれぞれの時間を大切にしているところがあった。友達に合わせるよりも、やはりクラブ活動は自分のしたいことをすればいいと思っているのだ。
                「ハラケンは何のクラブを考えてる?」
                「ああ。まだはっきり決まってないけど、なにかしらの研究クラブに入るんじゃないかな」
                 中学校に生物部はなく、運動部というガラでもないと自分でも思っていたので、自然とその選択肢ぐらいしか残っていなかった。
                「やっぱりか。それはハラケンの天職だもんな」
                「ダイチも具体的には何か考えてるの?」
                「オレは運動神経だけが取り柄だからな。クソオヤジには卓球か柔道に入れって言われてるが、オレにも選択の自由があるっつーの。だからそれ以外の運動部で考えてる」
                「反逆だね」
                 ハラケンは笑いながら言った。それでもダイチは本気のようだった。
                「あのオヤジと同じ道だけは歩まんぞ。マジあんな大人にだけはなりたくねえ」
                「わかったわかった」
                 ダイチをなだめたところでハラケンは時計を見るといい時間になっていた。表ではからすがの鳴き声があちこちから聞こえて来る。
                「もうこんな時間か。そろそろ帰る?」
                「ああ。そうだね」
                 ハラケンとダイチは校指定のクリーム色のバッグを肩からかける。
                「じゃあハラケン。例の件はよろしく頼むな」
                「わかってる」
                 ダイチが念を押すように言って、ハラケンもしっかりうなずいた。
                 2人は大小の影を落としながら夕焼け空の下を歩いて行った。

                ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

                 今週はここまでです。それでは来週はクラブ活動をそろそろ決めようということでよろしくお願いします。それでは。
                 
                 

                 
                 
                 

                 

                  
                『電脳コイル』ショートストーリー | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |

                『電脳コイル 春』サイドストーリー 第1話

                2010.08.28 Saturday 00:37
                0
                   今回はこれまで散々引っ張ってきました『春』の第2部における大黒市編の初回をお送りします。お待たせ致しました。ようやく書く気が起きてきたところです。先週も先々週もネタを思いついたので先延ばしにしてきたというのもあるのですが、なんと言っても『春』の本編が第2部のヤマ場を迎えたというのがこうなってしまった理由ですね。それがとにかく長いんですよ。おかげでこちらを構想している余裕が全然ございませんでした。

                   まあ、とりあえず濃い内容ではありませんので楽な感じでご覧下さい(ショートストーリーでは毎回言っているような気がしますが)。と言いつつも、最近気付いたのですが僕は平和な学園生活を描くなんて逆に無理なんですよね。何かしらの事件が起きてくれないと、物語として締まりがなくなってしまうというか、かなりウダウダなものになってしまうかもしれません。その辺りはご容赦ください。この物語の趣旨は、来る第3部への予習ということになりますので。

                   それから彼らの中学校でのクラス分けやクラブ活動について、ご意見をくださった皆様には本当に感謝しております。皆さんのご期待通りの展開にはできなかった部分もあるかと思いますが、ま、こんな捉え方もあるかな、という具合に温かく見守っていただけると幸いです。

                   それでは『電脳コイル 春』サイドストーリー 第1話 をどうぞ。

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                   大黒市立大黒中学校 第1話 「クラス発表」

                   その場所が近づくにつれて鼓動の間隔が短くなってきた。しなやかに弾む心を経由して全身へと押し流されているのは、果たして希望なのだろうか、それとも不安なのだろうか。手の指の先から足のつま先まで、まるで自分のものではないような錯覚を覚えながらヤサコは歩いた。 
                   ほんのり冷たさが残る空気、雲の隙間からたれ込める穏やかな陽光。最後の桜の花びらをさらってゆくそよ風は、その頼りない背中を押してくれるように吹いていた。はじまりの日という場面設定としては悪くない。しっかりと緊張はしている一方で、ヤサコにはその中を1人歩く自分に酔いしれる余裕があった。今日から始まる新たなる物語を、それがどんなものであれ楽しもうと思っていた。
                   家を出た時にはまだ漠然とした不安の方が大きかったのに、そう思えるようになっていたのは理由がある。イサコから電話があったのだ。
                   彼女からの電話の内容はとてもシンプルなものだった。『私みたいな人間は、いつまでも他人と一緒にいては自分の道を見失ってしまう。また同じ道に迷った時が来るまで、それまではサヨナラだ』。夏の事件終結以来、イサコとは連絡も取り合っていなかったが、その言葉は空白を埋めるのに十分だった。そして、遠い街で頑張っているイサコに負けないように自分も頑張ろうとヤサコは思った。離ればなれになってしまった仲間は、そうやってお互いを刺激してくのだろう。そう思った。
                   少しばかり感傷に浸っていたが、ヤサコはふと時計を見て焦り始めた。のんびりと来たおかげで時間があまりない。みんなとはクラス分けの掲示を一緒に見るために正門の前に集合と約束していたが、おそらく自分が1番遅れているのだろうと思った。ヤサコは少し早足になって中津交差点を西へ、中学校へと続くなだらかな坂道を急いだ。
                   
                   正門前にはほとんどのメンバーが集まっていた。
                  「ヤサコおそい!」
                   まるで着せ替え人形にセーラー服を着せたみたいなフミエは仁王立ちして待っていた。
                  「ごめん!もうみんな集まってるの?」
                   ヤサコは一同を見回しながら訊ねる。みんな詰め襟姿になっていていつもと印象が違う。特に意中のハラケンは背が高いからか着慣れしたように見えて、まるで先輩のように思えた。ほんの一瞬でヤサコの体温は沸点に到達した。
                  「後はダイチだけ。入学式だってのに、また遅刻するのかねえアイツは」
                   呆れたように言ったフミエの言葉も耳に入らず、ヤサコはひたすらハラケンを意識していた。実際会うのは1週間ぶりくらいなのだが、そこから見違えるくらい大人になってしまったかのように思えた。
                  「ヤサコ。もう、顔真っ赤。アンタもさ、本気でさっさと手をつけないとハラケン他の子に持ってかれるわよ。そのくらいこのハラケンは私もかっこいいと思うし」
                   そこでアイコが嬉しそうな表情で耳打ちしてきた。かっこ良さで言えば、アイコもセーラー服に初めて袖を通したとは思えないくらいにはまっていた。
                  「そそそそそ、そうかなあ!?」
                  「動揺しすぎよ。安心して。ハラケンはアンタのために残しといてあげるから」
                   アイコはヤサコの肩をポンポンと叩く。
                  「でもでもでも、中学校ってアイコみたいにセーラー服の似合うかわいい子がいっぱい入ってくるんでしょ?」
                   ヤサコはアイコの言葉を冗談とは思えなくなっていた。
                  「まあね。って言うか、アンタも十分似合ってるって。それにフミエもあれはあれでかわいいじゃない。だいたい男っていうのは単純な生き物だから、セーラー服補正で基本的にどんな子も2割かわいく思えるものなのよ」
                  「そんなものかなあ?」
                   と言ったそばからヤサコはハラケンと目が合った。他のメンバー達は気付いていなかったが、お互いがその瞬間に顔を背け合った。どうやらハラケンもヤサコを気にしていたらしい。
                  「ウヒヒヒッ。この2人、案外くっつく日は近いかもね」
                   その光景を見てアイコは1人ウケていた。そんなアイコを鼻の下をのばしてナメッチが見入っていたことは誰も知らない。

                   そこからしばらくしてダイチが現れた。だぶだぶの服の袖から手ものぞかせないで走ってやってくるその姿はまるで古い漫画の登場人物のようで、それを見た全員が吹き出した。
                  「ブっ。アンタ何それ?サイズ測り間違えたんじゃないの?」
                   フミエがいつもの小バカにしたような口調で言う。
                  「うるせえ!俺もこんなでかいサイズにしなくていいって言ったんだ。でも母ちゃんや誂えてくれた服屋のオッさんはこれでいいってムリヤリな」
                   息切れしながらたいそう不機嫌な様子でダイチが返す。ダイチもこれでいじられるのはわかっていたようだった。
                  「まあまあ。ダイチ君のポテンシャルならすぐにぴったりになるって。今にハラケンも追い抜くと思うよ」
                  「本当か相原?まあそうなってくれんと困るからな。しかし、そうおっしゃるフミエさんはそんなに大きめのサイズじゃないんだな。ウラを返せばこれ以上伸びないことを親にも見切られたってことだな」
                   アイコのフォローで勢いを得たダイチはすぐさま反撃に出た。
                  「ふん。私だってこのスカートが校則違反になるくらい足が伸びる予定だから。だったら1年後にどっちが伸びてるか勝負よ」
                  「望むところだ。オレが負けたらお前と制服交換してやらあ」
                  「それ私も困るじゃない。でも1日くらいそれしても面白いわね。女の子の詰め襟はナシではないし。私が負けたら、そうね......」
                   考え込んだフミエにアイコが耳打ちする。
                  「ダイチ君と付き合うってのは?」
                  「はあ?何でそんなことしなくちゃいけないのよ。たとえ罰ゲームだとしても、そんなのアイツが認めないわよ」
                  「ホント、鈍いわねアンタ。まあいいわ。じゃあ毎日並んで学校から帰るっていうのは?」
                  「それのどこが罰ゲームなのよ?」
                  「だって、アンタが負けるってことはアンタがダイチよりも背が低いってことでしょ?並んで学校から帰るってことは、その事実をみんなにさらけ出すってことよ。それってかなりの屈辱じゃない」
                   フミエは想像してみた。そして身震いがした。
                  「確かに。でも毎日はきついわね。じゃあダイチ!私が負けたら1ヶ月間アンタと並んで学校から帰ってやるわ。それでいいわね?」
                  「え?......お、おうそれで決まりだ」
                   ダイチも意外な顔をしてその勝負を了承する。それを聞いたほとんどのメンバーがフミエが墓穴を掘ったなと思った。そしてさすがアイコだと思った。
                  「ま、それより時間もないぜ。ここでたかってないでそろそろ行こうぜ」
                   そこでガチャギリが時計を確認してみんなを促した。
                  「そうね。じゃ、行こっか。どんなクラス分けになるのか楽しみねえ」
                   アイコが先頭切って歩き始める。この新しい1歩を刻む今日という日を最も楽しんでいるのはアイコだなとヤサコは思った。色々な人と分け隔てなく会話することもできるし、何よりかわいい。こういう人が中学校でも中心人物になれるんだろうなと、門をくぐって歩きながらヤサコは憧憬の眼差しでアイコを見ていた。気付いてみると、フミエは汗だくなったダイチの顔を見てしょうがないなと言いながら自分のハンカチを貸している。
                   なんだか今までと違って、みんなが少しずつ大人になっているようにヤサコは思えた。それは着ている服のせいだけではなく、桜の舞う新しい学校をみんなで歩き、中学生という自覚の中でただ浮かれていた時代が少しずつ薄れているからだろうかと思った。メガばあ曰く、そんな緊張した中学校生活にも慣れて、なおかつ進路のことを考えなくてもいい中2の時代には途方もないフリーダムが訪れるらしい。その中で特に男子は人生の中でも1番バカをやる確率が高いという。ダイチなどはその典型だとメガばあは言っていたが、今はそんなダイチや黒客メンバー、そしてハラケンを見ても、このまま落ち着いた寡黙な大人になってしまうのではないかとヤサコは思った。自分がみんなに1人取り残されて行くのではないかという一抹の不安もよぎる。
                   それも中学生になるにあたってみんなも抱える悩みの1つなんだろうとヤサコは自分に言い聞かせ、みんなの輪の中に戻ってクラス分けの予想なんかを言い合った。そしていざクラス分けが貼り出された掲示板を前にして、胸の高鳴りは頂点に到達する。仲の良いこのメンバーの誰かと一緒になれればというのはもちろん、1番気になるのはやはりハラケンと一緒になれるかどうかだ。1学年4クラスあるので、確率は単純に考えて25%。少しばかりの運がないと厳しい数字だ。すでに決まっているものを前に、考えても仕方ないパーセンテージだけがヤサコの頭を駆け回る。ヤサコは1組から丁寧にその名簿を見渡した。メンバー全員が固唾を飲んでいるのも伝わって来た。
                  「あっ、私1組だ。あら、ナメッチも一緒じゃん!またよろしく!」
                   その時真っ先に声を上げたのはアイコだった。
                  「ほ、ほんとに?」
                   ナメッチはアイコに指差された方に目を凝らして自分の名前を見つける。
                  「あ、あった......神様」
                   この組み合わせにはナメッチ自身深い感慨があったようだった。まだ信じられないという表情で合格発表を見に来た受験生のように何度も名簿を確認し、何かに祈るように手を組み合わせている。他のメンバー達は自分達の名前を探すのに必死でナメッチのその仕草には気付いていなかった。
                  「おっ。おいフミエ、オレとお前は2組らしいぞ」
                   次に名前を見つけたのはガチャギリだった。特に大した感動もないような声でフミエにも教える。
                  「ほんとだ。ヤサコやアイコとは離れちゃうのか。それに一緒なのがガチャギリっていうのが新鮮味がないわね」
                  「悪かったな。でもまあ、オレとしては授業中ちょっかい出せるヤツがいてくれて退屈しねえけどな」
                  「アンタ、中学でもやる気なの?言っとくけど、私は授業中までメガネで遊ぶ気はないから」
                  「だったら生で」
                  「なおさらさせねえ!」
                   フミエとガチャギリの掛け合いはこれまであまり見たことがなかったが、どことなく相性が合っているなとヤサコは思った。そしてその会話を恨めしそうな顔で見ていたのはダイチだった。
                  「僕は3組だな。一緒のクラスは誰かいるかな」
                   今度はハラケンが自分の名前を見つけたらしい。その言葉を聞き逃さなかったヤサコは必死に3組の名簿を凝視した。
                  「あれ、ヤサコも一緒?」
                   ハラケンはヤサコの名前も見つけたような口ぶりでそこを指差す。
                  「えっ!どこどこ?」
                  「あっ、ごめん。小木さんだった」
                   ハラケンはそれが勘違いだったことに気付く。その瞬間ヤサコは自分の体内にあった空気が風船のように抜けていく気がした。
                  「ハラケン、オレも同じ3組だぜ」
                   その時親指を立ててダイチがハラケンに言った。
                  「ほんとに?じゃあこれからもよろしくな」
                  「こちらこそ」
                   同じ組にこのメンバーはいないのかなと不安になったところでダイチがいてくれて、ハラケンとしても多少解放された気分になった。ハラケンは元々ダイチとは仲が良かったし、相性も良い。そんな嬉しそうにしているハラケンをヤサコは遠い目で見つめていた。
                  「ヤサコ。僕と同じ4組だね」
                   その時のんびりとした声でデンパがヤサコに声をかけた。意気消沈しているヤサコだったが、これで1人だったらどうしようかとさらに不安になっていたところだった。そんな中で男子の中では1番話がしやすいデンパと一緒になれたことはヤサコにとって大きな救いだった。もうその柔らかそうな体をむぎゅうと抱きしめたいくらいだった。
                  「良かったあ。よろしくデンパくん」
                   ヤサコがその手をとって喜ぶと、デンパもその気持ちとシンクロしたようにパッと笑顔になった。本当に一緒になってくれて良かったとヤサコは感謝したい気持ちだった。
                  「なんか、きれいに2人ずつで分かれたわね」
                  「まったくだ。じゃあこっからはクラス毎で行動するってことで」
                   フミエとダイチが言ったところでみんなもうなずき、それぞれが自分達の教室を目指して歩き始める。
                   靴を履き替えて階段を昇ったところで、1年のフロアーを見渡す。教室はそこにに4クラス並んでいるので距離は感じない。ヤサコはとにかくハラケンと隣のクラスになれたことだけでも良しとしようと前向きに考えていた。
                   そして全員が各々の教室に到着した。

                   1組。
                  「アイコ!一緒のクラスになったわね!」
                   人見知りをしないアイコは小学校時代から友達は多かった。その関係でクラスの中にもアイコと知り合いの女子も結構いるようだった。アイコと一緒になれたとはいえ、ナメッチはこういう女子の連帯感が自分を阻む壁のように思われた。所詮ちょっと話ができるくらいという繋がりは希薄なものだ。女子からも人気者のアイコに気安く話しかけるなんてそうそうできることじゃないよなと、卑屈になりながら自分の席に向かう。
                  「あれ?ナメカワ君も一緒なの?ねえねえ、今度またおいしい何かおいしい料理教えてよ!」
                   そこでアイコの所に集まっていた女子の1人がナメッチの存在に気付いた。
                  「え?なになに?」
                   ナメッチのことを知らなかった女子もその言葉に反応する。
                  「ああ。ナメッチって言うんだけど、ああ見えて料理が趣味でさ、すごく上手に作るの。料理のことなら彼に聞くといいわよ」
                   アイコがその女子達に教えてあげると、すぐにナメッチの周りに輪ができた。口々にみんな「どんな料理が得意なの?」など、ナメッチを質問攻めにした。
                   女子の輪が自分を阻もうとするなら、自らその輪の中に入っていけばいい。ナメッチはこの時、悟りを開いた。

                   2組。
                  「まさか、敵に背中をさらすことになろうとはね......」
                   席に着いたフミエが参ったなという表情で頭を抱えた。
                  「暫定的だが最初の席は名簿順だからな。橋本と深川なら、前後で隣接するのも無理はない。そんな姓をつけたご先祖さんを恨むんだな」
                   クックックとフミエの背後からガチャギリが笑う。
                  「別にさ、もういいんじゃない?『コイル探偵局』とか、『大黒黒客』とか。ガキじゃあるまいし。だいたいこの前の事件の解決を祝った時に、対立関係はなくなったはずだけど」
                   フミエが振り向いて強い口調で言った。
                  「組織は関係ない。オレは積年のお前に対する恨みを晴らすまでだ」
                  「アンタにそんな恨みを買った覚えなんてない。むしろこの前の事件で散々迷惑をかけられた私のセリフでしょそれ」
                  「それはこの前ちゃんと謝っただろ。根に持つ女は嫌われるぜ」
                   ガチャギリはけろっとしていた。1回謝ったものは気にする必要などないというさっぱりとした性格なのはフミエもわかっている。
                  「ふん。だったら勝手にすれば?さっきも言ったように私は授業中にメガネはかけないし、相手にされないとわかっていたずらを仕掛けるのも虚しいわね」
                  「そんなことない。メガネをかけないってことは、お前の顔が授業中どんなひどい有り様になっているのか、自分でも気付かないってことだろ。ついでに音声データも書き換えといてやるよ」
                  「ムムム......」
                   フミエは考え込む。無視を決め込むのはいいが、ガチャギリのことだから絶対エスカレートするに決まっている。やられっぱなしは自尊心が許さない。
                   ところがこの2人のことを知らない他の生徒達はその様子を仲睦まじいと勘違いしたようだった。
                  「おい。あそこの並んだ席の2人、やけに仲がいいな。カップルで同じクラスになったのか?」
                  「そうなんじゃね。同じ小学校だとしても、男子と女子であんな仲良くしゃべったりするか?ふつう」
                  「なんか言い争ってるみたいだけど」
                  「あれはあれだ。痴話げんかってやつだ」
                   早くも変な噂が広まっていることに2人は気付いていなかった。

                   3組。
                  「この中学校は旧大黒一、二、三小の生徒と、観音小の一部の生徒が進学してくるんだよな?」
                   ハラケンがダイチに訊ねる。先生が来るのを待つ間、ハラケンとダイチは窓際でクラスの様子を観察していたのだ。
                  「ああ、そうだっけな。それが?」
                  「ダイチは前に『黒客』で色んなクラブと電脳戦争していたんだろ?その時戦った人とかはいないの?」
                  「う〜ん。戦ったって言っても、結構な数を相手にしてきたからな。いちいち覚えてねえや。あっちは覚えてるしれねえけど」
                   なかなかかっこいいセリフだなとハラケンは思った。『黒客』のリーダーとなると、メガネを使っていた生徒からは憧れの目で見られてもおかしくはない。
                  「おおお!沢口やないかい!元気にしちょったか?」
                   その時いきなり髪がボッサボサのロン毛の少年がダイチに声をかけてきた。
                  「知り合い?」
                   ハラケンもダイチの方を見て訊ねる。
                  「んーと。どちら様?」
                   ダイチがすっかり忘れていたようだったので声をかけてきた少年は拍子抜けしたようだった。
                  「ワシじゃワシじゃ。前に電脳刀で熱く語りあったやないかい」
                  「ああ!お前、二小のならず者集団『TSUJIGIRI』のリーダー坂本じゃねえか。同じクラスなのか。てか、お前普段からそんなしゃべり方なのか?」
                  「ワシは正真正銘の土佐っ子じゃきにのお!で、そちらの背の高いのは?『黒客』にはおらんかったな?」
                   坂本はハラケンの方を見て訊ねた。
                  「あっ、原川研一です。ダイチとは同じ小学校だったけどクラブは別で」
                  「そうかいな〜よろしゅうな。で、沢口。クラス分けの名簿でお前の名前見つけて、目の色変えたヤツらが結構このクラスにいてるからのお。せいぜいメガネには気いつけろや」
                   そう言って豪快に笑いながら坂本は席に戻ろうとした。しかしダイチはその言葉が気になって呼び止める。
                  「ちょっと待て。気をつけろってどういう意味だ?」
                  「わからんか?『黒客』は尊敬もされとるが一方で妬まれてもおるんやで。1度はお前をギャフンと言わせたいと思うとるヤツらが、このクラスにはようけおるいうことじゃ」
                  「ま、マジ?」
                   ダイチはそこでクラス全体を見渡した。教卓の後ろから、廊下側の窓際から、掃除用具入れのロッカーの前から、あらゆるところから攻撃的な視線が自分達に集まっていることに2人は気付いた。
                  「これは、何かの因果だね。ダイチ」
                   ハラケンはため息をつくようにつぶやいた。

                   4組。
                  「なんかさ〜。良いよねこの雰囲気」
                   ヤサコは窓から校庭を眺めながら隣にいたデンパに言った。
                  「そうだね〜。僕もこの教室に入ったときから、なんだかまあるい気持ちになった気がする。尖った印象を受けないっていうか、このクラスのみんな優しい人だって思えるよ」
                  「だといいよね〜。中学校ってこんなのほほんとしてるものなのかな?なんだか想像してたのと違うね」
                   ヤサコのイメージではクラスに何人かはやんちゃ坊主や校則違反の制服を着て来る女子がいそうなものだった。しかしこのクラスにはそういった感じの人はいない。むしろ、自分たちに似た空気の人達が集まっているのではないかと思えた。一言で表現するなら平和だ。
                  「僕なんだか眠くなってきちゃった......」
                  「もう、ダメよデンパ君。これから入学式なのに」
                   そう言うヤサコも緊張感というものは無くなっていた。居眠りしている間に日々が過ぎ去って行きそうな、そんな緩やかな時間がこのクラスの中に流れているような気がした。
                   ヤサコはもう1度校庭を見る。グラウンドと平行するように校舎側には桜並木道が伸びていた。ヤサコはいつかその中をハラケンと2人っきりで歩くことを想像していた。

                   こうして、それぞれ中学校生活は幕を開けた。

                  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


                   こんな感じでこれから4~5回に渡ってお送りしていきます。『黒客戦記』のキャラも登場しておりますので、わからないという方はそちらの方もどうぞ。『春』本編よりも春らしく思えるのは気のせいなんでしょうかね。

                   それでは来週をお楽しみに。

                   

                   
                   
                   
                   

                   
                   

                   






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                  電脳コイル バレンタイン

                  2010.02.12 Friday 22:54
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                     バレンタインは女子も男子も決戦日。その伝統はこの時代にもしっかりと継承されていた。女子は胸の内に秘めていた想いを相手に伝えるためのビッグチャンスであり、男子は本命をいくつ集められるか、それによって男の価値が決まると言って良い。ただの1つももらえなかった男子は1年で最も悲哀を感じる日となることが約束されている。
                     しかも今年の大黒小学校におけるチョコ争奪戦は例年とは違う様相を呈していた。昨年9月の一小と三小の合併により、学年の人数はほぼ2倍に。意中の相手を射止める競争率も上がったということになる。手をこまねいていると他の女子に意中の相手がさらわれてしまうかもしれない。その危機感は大黒小の女子達をチョコレート売り場に走らせた。
                     
                     決戦日前日の213日放課後。相原アイコの招集によりヤサコとフミエはアイコの家のキッチンに集まった。すでに材料となるチョコは気を利かせたアイコによって大量に買い占められており、早速調理開始となった。                                            
                    「いい?料理はうまい下手じゃない。わかる?料理は愛よ!どんな相手に食べてもらいたいかを想像して作れば、おのずと美味しくて、また自分のオリジナリティが溢れているチョコができるの。男っていうのは単純な生き物だから、もらったチョコの中で1番愛を感じた女の子に落ちるの。アンタ達も意中の相手が明日どこの馬の骨かもわからない女にさらわれないように、愛を込めて作るのよ!」
                    エプロンとバンダナが似合いすぎるアイコが2人に気合いを入れた。
                    「別にさ、私に意中の相手なんかいないし、普段絡んでいる男連中に申し訳程度の義理チョコを作りに来ただけだから。それに手作りチョコでオリジナリティを出すって、市販のチョコを溶かしてもう1回型に流し込むだけでしょ?本当の意味の手作りチョコにしたいなら、カカオの木から作るべきなんじゃないの?」
                    もうすでにアイコとは温度差があるフミエが水をさす。フミエは普段から女の子っぽいことをするのが苦手というか照れくさいタイプなので、こういうイベントにはついて行けない節がある。
                    「へ理屈ごねない!アンタだってうかうかしてるとダイチが誰かに持ってかれるかもしれないわよ!」
                    「ダイチ?別に私ダイチがどうなろうと気にしてないし。大体ダイチに限ってそんな女の子にモテモテなんてことあるわけないじゃない。」
                    フミエはアイコの話を鼻で笑った。
                    「わかってないわね。ああいういたずらぼうずが好きだっていう女の子も結構いるのよ。それに面白いし。相原調べではチョコの数は学年でも10位以内に入ることが見込まれてるわ。」
                    「相原調べって……そんなことウラで調査してたんだ。」
                    ヤサコがあきれたように言った。本当にアイコはこういうイベントが好きなんだなと思った。
                    「ちなみにヤサコ意中のハラケンは5位には食い込むと予想されているわ。夏の事件でカンナとのお別れができて吹っ切れたのかな。それまでのただの陰キャラから少しずつ笑顔が戻って来たじゃない。もともと顔は悪くないし、背も高くて頭もいい、それに優しい。特に前のハラケンを知らない元一小の女子に、『三小にあんな人いたんだ。やだ、ちょっとタイプかも。』っていう子は多いのよ。」
                    「うそ……
                    アイコの言葉にヤサコは軽いショックを受けた。ハラケンが影でそんなにモテているとは思っていなかった。ハラケンは女の子にデレデレするタイプではないが、自分よりもかわいい子にさらわれたらどうしようと、ヤサコは真剣に悩んだ。
                    「なに?ヤサコってばハラケンのこと好きなの?」
                    恋愛事情にうといフミエがヤサコに訊ねる。
                    「え?あ、いや、そういうことじゃないの。ただあの事件の時から1番お世話になっている男の子だから、他の子に渡す義理チョコよりは手の込んだチョコが渡したいだけ。もう、やだわアイコちゃん。誤解を招くようなこと言わないで。」
                    「いたっ!」
                    そう言って顔を赤くして照れたヤサコはアイコの背中を勢いよく叩いた。
                    「そういうことか。じゃあ私もしゃくだけど、普段から色んな意味で世話になっているダイチに特別なヤツを作ってやろうかね。」
                    フミエの不敵な笑みが気になったが、とにもかくにもこうして3人はそれぞれの特別な人へ贈るチョコを作った。
                      
                     決戦日の朝。昨日作ったチョコレートを持っていつものように一緒に登校するヤサコとフミエ。やはりこの日は女子も男子も一様にそわそわしているなと感じた。それはごく一部の大人にも同じ事が言えた。ヤサコ達が下駄箱で靴を履き替えて職員室の前を通った時のことである。
                    「はい。ウチクネ先生もどうぞ。」
                    「マ、マイコ先生〜!!マイコ先生が僕に手作りチョコを〜!!やっぱりマイコ先生も僕のことを。」
                    マイコからチョコをもらって喜ぶウチクネの声があまりにも大きかったので、ヤサコ達やほかの生徒も職員室をのぞきこんだ。
                    「まさか。手作りじゃありませんよ。箱に書いてあるでしょ?」
                    「へっ?……って、ウイスキーボンボンかい!!」
                    受け取った箱には思いっきりウイスキーボンボンと書かれていた。それを見たウチクネはショックでうなだれる。その様子を見ていた子ども達も思わず吹き出した。
                    「ダサっ!あいつイタすぎ。大体チョコもらえるだけでもありがたいでしょ。あの先生。」
                    フミエのきつい言葉が飛び出して、ヤサコはウチクネがかわいそうだなと思った。
                     そうしてヤサコ達も教室に入った。教室の中には妙な緊張感があったが、誰もまだチョコを出したりしていない。本命は放課後に好きな人を呼び出して渡すのが相場で、義理チョコはクラス全員が集まっている昼休みにでも渡すのが妥当だ。だから今日1日はこの緊張感が続くと言っていい。
                     
                     ヤサコにとってはハラケンが同じクラスなのは逆にプレッシャーだった。ハラケンが違うクラスなら、放課後どこに来てほしいかなどはメールで伝えることができる。しかし同じクラスなのにそれをやるのはどうも不自然だと思われそうでためらった。ヤサコはもちろんハラケンに本命のチョコを渡すつもりでいるが、しかし好きだという気持ちを伝える勇気もわいてこなかった。そこでもしフラれた場合、せめて一生懸命作ったチョコだけでも受け取ってほしいなどと厚かましいことは言えない。もっと言えば今のハラケンとの距離感もなくしたくはない。だからさりげなく、けれども自分の気持ちが暗に伝えられるように渡したいとヤサコは考えていた。そのためには呼び出し方も自然でなければならない。そんなことばかり考えて、この日の授業はまるで頭に入ってこなかった。
                     
                     勝負の放課後。終礼直後にヤサコは意を決してハラケンの元に歩み寄った。
                    「ハラケン。渡したいものがあるから、ちょっといい?」
                    「う、うん。いいよ。」
                    普段はぼーっとしているハラケンでも、その案件はわかっていた。これだけ周りが騒いでいれば今日が何の日かわかるし、昼休みにはフミエやアイコから義理の方をもらっていたのだ。ヤサコに導かれるまま人の少ない廊下で2人は向かい合った。
                    「ごめんね。こんなところに呼び出して。これ。昨日一生懸命作ったチョコ。良かったら受け取ってほしいの。」
                    ヤサコは緑色のリボンで口を結んである、赤地に白のラインが入った手のひらサイズの紙袋をハラケンに手渡した。ヤサコはこの時極限まで緊張していたが、受け取る方のハラケンも緊張していた。
                    「うん。ありがとうヤサコ。ありがたく受け取らせてもらうよ。」
                    ハラケンが優しく言って、ヤサコは安堵感に包まれた。
                    「うん。じゃあハラケン。また明日ね。」
                    ヤサコはこの後に何を言おうか迷い、結局今日はこのままお別れの挨拶をかけてしまった。
                    「うん。また明日。」
                    ハラケンもどことなくヤサコを意識したような、でもそう言われたからにはそう返すしかないという調子で声をかけた。もっと他に言うことはなかったのか、ヤサコはかなり後悔したが、でもこの空気で「好き」以外の言葉が見つからなかった。その言葉も出て来ず、1人その場から歩き去る中で、いつになれば自分はその言葉が言えるようになるのだろうと思った。
                     
                     一方フミエも同じ頃、また別の人の少ない廊下にダイチを呼び出した。こちらの場合は呼び出された方のダイチが心臓を高鳴らせていた。
                    「ほら、これ。アンタのために作ってあげたのよ。ありがたく受け取りなさい。」
                    フミエは箱形のきれいに包装されたチョコをダイチに手渡した。
                    「お、おう。ありがとよ。」
                    飛び上がりたいほどうれしい気持ちを抑えて、できるだけいつもの調子で返す。しかしチョコを受け取ったまでは良かったがどこか違和感を覚えた。妙に軽い。それどころか触った感触がしない。
                    「お、お前これただの電脳体じゃねえか!」
                    注意深くチョコを観察してダイチはようやく気付いた。
                    「そうよ。メガネ好きにはたまらない電脳チョコ。」
                    「たまらなくねえよ!こんなもんもらってもうれしくねえし!何が『ありがたく受け取りなさい』だ!」
                    ダイチはこんなぬか喜びさせられて一気に気分が盛り下がった。先ほどまで胸踊らせていた自分に激しく後悔する。
                    「うっさいわね。ほらこれ。今度は本物。初めて作ったチョコだから、味の保証はできないけどね。」
                    フミエは言いながら青いリボンで口を結んである、緑地に白のラインが入った紙袋をダイチに手渡した。
                    「あっ。」
                    ダイチは意表をつかれて情けない声を出す。フミエはその表情がおかしかったのかくすっと笑った。
                    「じゃあ、また明日ね。」
                    フミエはそのままダイチに背を向けて走り去って行く。1人残されたダイチは、しばらくその場から動けなかった。本当にうれしい時の気持ちは思うように表現できない。ダイチは受け取ったチョコを左手に抱え、ずっとそれを見つめていた。
                     
                    「はああ。わかっちゃいたが、虚しいね〜。1個ももらえないなんてな。見てたかナメ?あのデンパでさえ結構な数のチョコをもらってたぞ。どうせ全部義理だろうけどな。」
                    その頃ガチャギリはため息をつきながらナメッチと一緒に帰宅する途中だった。
                    「まあ仕方ないっしょ。デンパは女子と仲が良いっスからねえ。」
                    ナメッチがガチャギリに返す。しかしガチャギリはナメッチが持つ手さげカバンの中にある物を見つけた。
                    「ああっ!オメーいつの間にそんなにもらってたんだよ!?」
                    ナメッチはちゃっかり34個ほどもらっていたらしい。ガチャギリは裏切られたような気分になった。
                    「ああこれ?これは全部義理ッスよ。オレッちが料理好きなのって結構有名じゃないッスか。だから昨日とか一昨日においしいチョコの作り方を聞きにくる女子がいて、アドバイスした代わりに今日もらったものッスよ。」
                    別にうれしくもないという風にナメッチは言った。
                    「まじか〜。お前でもそんなにもらえるのか。どうせダイチはウラで人気あるし、ハラケンだって何個ももらってるんだろうな。オレだけかよ。」
                    「え?さっき1個ももらえなかったって嘆いてたのは、本命じゃなくて義理?」
                    驚いたようにナメッチが言う。そして言ってからしまったと思った。その言葉にガチャギリはさらにみじめな気分になった。
                    「ああ。オレはどうせそういう男だよ。今日はまっすぐ帰るわ。あばよ。」
                    そう言ってガチャギリは1人曲がり角を曲がる。その背中を憂愁の夕陽が照らしていた。

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                    『電脳コイル』ショートストーリー | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |

                    電脳コイル お正月

                    2010.01.03 Sunday 16:55
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                       あけましておめでとうございます。今年も『電脳コイル 春』ならびに、このブログをよろしくお願いします。

                       みなさん、初詣は行かれましたか?僕は元日に近くの神社まで行ってきました。そこでおみくじを引いたんですが、「吉」と2010年はまずまずなスタートを切りました。と言っても一緒に行った友達3人も全員「吉」だったので、そこのおみくじはなかなか信用できないんですけれども。

                       さて今回は「電脳コイル お正月」ということで、アニメではすっ飛ばされたお正月のシーンを想像して、ショートストーリーとしてお送りしたいと思います。時間軸はアニメの夏の事件の終結後、ヤサコが大黒市で初めて迎えるお正月というところになります。「春」よりは前になりますね。残念ながらイサコさんは金沢に行っているので登場はしません。なお、なんのオチもなく、「春」への伏線も特にないたわいのない話なので、ゆるりとしたお正月のテンションで雰囲気を楽しんでいただければと思います。ではどうぞ。

                       
                       西暦2027年、未年の元旦。
                      「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」
                      「お願いします。」
                      子ども部屋から出て来たヤサコと京子が、リビングにいた父の一郎、おせちを仕込んでいた母の静江、そして祖母のメガばあに改まって挨拶をする。ヤサコは大晦日の夕べはテレビでカウントダウンを見ていた。その時間まで起きていたので、元旦の目覚めはのんびりとしたものとなり、起きてきたのは朝の9時過ぎだった。
                      「あけましておめでとう。今年は2人にとっても新たな1歩を踏み出す年だからな。その1年がすばらしいものになればいいね。」
                      ソファーに座ってテレビを見ていた一郎が振り返ってヤサコと京子に返す。そう、今年ヤサコは小学校を卒業し中学生になる。そして京子は小学生に。2人の人生の中でも特別な1年になるのは間違いなかった。数々の苦難を乗り越えて一回りも二回りも成長した去年も、特別な1年であったことに間違いはないけれど。
                      「さあさあ。おせちを運ぶのを手伝って。なんと言ってもおばあちゃんが腕によりをかけて作ったおせちやお雑煮ですからね。2人にとっても初めてだし、どんな味なのか楽しみね。」
                      「まあ、お主らにがっかりはさせんぞい。小此木家の料理のレベルの高さを見せてやるわい。」
                      「うん。」
                      ヤサコは元気よく返事をする。メガばあがヤサコ達のご飯を作るのはとても珍しいが、小此木家伝統の正月料理をだせるのはメガばあしかいない。それをヤサコや京子にも味合わせたいとメガばあは昨日から仕込みを張り切っていた。そしてこれはヤサコと京子にとっても昨日から楽しみにしていたことでもあった。
                      「ああ、そうそう。年賀状も届いてるかもしれないわ。京ちゃん取って来てくれる?」
                      「うーんち!!」
                      京子は新年1発目の決め台詞をかまして郵便受けに走って行く。そして束になった年賀状を持って戻って来た。
                      「おお、来ていたか。どれどれ、見てみるかな。」
                      京子から年賀状を受け取った一郎が年賀状に目を通し始める。どれだけ電脳が主流になったこの時代、この街においても、年賀状という慣習は残り続けていた。やはり電脳では表現しきれない温かさは、年賀状ならではのものがあるからだ。
                      「お、優子にも来てるぞ。ほら。」
                      「あ、ありがとう。」
                      お箸をリビングのテーブルに運んで来たヤサコに一郎が年賀状を手渡す。
                      「京子には〜!?」
                      「ん?ちょっと待ってろよ...お、一枚だけあったぞ。これは、幼稚園の先生からだな。」
                      「わ〜い!!」
                      京子が自分宛に届いた年賀状に喜んでいるのを横目に、ヤサコも受け取った年賀状を確認した。
                      「...フミエちゃんに、ハラケン、アイコちゃん、これはマイコ先生。先生って結構マメなのね。それに最後は...天沢さん?」
                      ヤサコが受け取った5枚の年賀状の最後はイサコからのものだった。この天沢勇子という差出人の名前を見た時、ヤサコはとても新鮮な気持ちがした。この字をまともに見るのは、おそらく彼女が転校して来たとき以来だった。
                      「彼女か...本当に去年は彼女も色々大変だったね。優子は今も連絡は取り合ってるのか?」
                      イサコの名前に反応した一郎が訪ねる。
                      「ううん。あの事件が終わって以来1度もないわ。でもなんだろう。ものすごく近くにいるような気がするの。と言うより、まだあの時の記憶が鮮明に、昨日のことにように残ってる。それを思い出すたびに、私は天沢さんから勇気をもらってるの。天沢さんからも連絡がないのは、あの記憶を胸に刻み付けてまた1人で歩んでいこうと決意したからだと思う。」
                      そう答えたヤサコはその年賀状を裏返してみた。コンビニでも売っているようなおどけた羊の絵。その下にイサコの直筆で小さくメッセージが添えられていた。
                      「去年は世話になったな。今年はあんたと会うことはないかもしれないが、一応よろしくと言っておく。体は大事にしろよ。」
                      そのメッセージを読んだヤサコは、いかにもイサコらしい文体に笑みがこぼれた。会うことはないかもしれないというところで、イサコのまた新たな気持ちで歩みだすという決意がうかがえる。ヤサコはマイコ先生からイサコの住所を聞いていたので、もちろんイサコにも年賀状を送っていた。その時ヤサコがイサコに向けて書いたメッセージは、「もし会うことがあったら、その時はまたよろしく」だった。
                      「出してない人には、ちゃんと返事を書くのよ。」
                      「はーい。」
                      豪勢な食事を運んできた静江に言われてとりあえずヤサコは年賀状をしまった。書いていなかったマイコ先生になんと返事を書こうか悩みながら。

                       そうこうしている間に食事の用意が整う。これも普段はなかなかない家族5人揃っての食事。そして目の前にあるおせち料理は豪勢でまた上品であり、とてもメガばあが作ったものだとは思えなかった。
                      「じゃあ今年もよろしくお願いします。」
                      「お願いします。」
                      一郎のが音頭をとり、大人達はおとそ、子ども達はジュースで新年の乾杯をした。そして早速ヤサコはメガばあ特製のおせち料理に手をのばした。
                      「すごくおいしいわ。オババ見直しちゃった。」
                      「じゃろう?メタタグもおせちも作れるばあさんは、世界でこのワシしかおらんのじゃぞ。もうちとワシへのリスペクトがあってもいいんじゃないかえ?」
                      「確かにそうだけど、もっと普段からリスペクトされるような事をしないといけないんじゃないか?子どもの弱みを握って自分のお遣いを押し付けるとか、そういうことをしているから尊敬されないんだよ。」
                      「うるさい、会員ナンバー1め。10歳の時の正月に新年早々おねしょして、部屋にあった電気ストーブで布団を乾かして隠そうとしたら布団からこげくさい煙がのぼってきて、それに気付いたオジジに火事になる寸前で止められて、こっぴどく叱られて大泣きしたヤツにリスペクトがどうこう言われとうないわ!」
                      「お、おふくろ!?」
                      「何?お父さんそんなことしてオジジに新年早々叱られたの?」
                      メガばあの昔話に、ヤサコはこれ以上ないほど笑った。そして静江や京子までも大笑いし、小此木家の初笑いのネタとなった一郎は酒もまわっていないのに顔を真っ赤にした。そうした和やかなムードの中で小此木家の新年の食事は進んでいった。
                      「さあさあ、お待ちかねのお年玉タイムといこうか。はい、これは優子の分。そしてこれは京子の分だ。」
                      食事がほぼ終わったところで、一郎は2人に惑星ココイルのぽち袋を渡した。
                      「ありがとう。」
                      「ありがとー!!」
                      ヤサコと京子がそれぞれお礼を言う。
                      「そら、ワシからもあるぞえ。」
                      メガばあはお札でぱんぱんに膨れているぽち袋を出した。すごい額が入っているのは確かだが、ヤサコは幼い日の記憶が脳裏をかすめた。
                      「あ、ありがとう。」
                      「待て待て。まだやるとは言っておらんぞ。このお年玉が欲しいなら、後でワシとポーカーをするんじゃ。そうしたらお主のお年玉は倍額に増えるかもしれんぞ。」
                      「またその手口か。いい加減子どもからお金を巻き上げるなんて大人げないマネはやめろよ。」
                      「うるさい、会員ナンバー1。これは子どもに金の尊さとギャンブルの厳しさをやるためのものじゃ。12歳の正月にワシとポーカーをしていて、こっそりと自分の胸ポケットに仕込んでおいたジョーカーを使ってイカサマでワシに勝とうとしたが、それを見ていたオジジにばれてこっぴどく叱られたヤツが偉そうな口を利くんじゃないわ。」
                      「何?お父さんはそんなことをしておジジに新年早々叱られたの?」
                      また飛び出したメガばあの正月ネタにまたしてもヤサコは笑った。握られていた数々の弱みを小出しにされていく一郎は、もう頭を抱えるしかなかった。
                      「んで、優子は勝負する決心はついたかえ?」
                      メガばあがヤサコに訪ねる。勝負は本気でする気のようだった。
                      「...いいわ。勝てばいいんでしょ。勝ったら私にその分のお金は払ってくれるのよね?」
                      「おう、当たり前じゃ。その自信がどこから湧いてくるのか知らんが、まあせいぜい頑張るんじゃな。」
                      「勝負は私が初詣から帰って来てからでいい?」
                      「かまわん。ワシはいつでも受けて立っているでな。」
                      話は決まった。ヤサコは過去の忌まわしい記憶を払拭するためにも、今年こそはメガばあに勝ってお年玉を倍増させようと心に誓う。

                       そうして食事を終えるとヤサコはすぐに出かける支度をした。この後フミエ達と鹿屋野神社に初詣に行くことになっているのだ。外は新年早々寒波が到来しており、金沢にいた時ほどではないが寒かった。厚手の薄茶色のコートにマフラーを巻き、手袋をつけたところで家のインターホンが鳴る。ちょうどいいタイミングでフミエが迎えに来たのだ。
                      「じゃあ気をつけるのよ。」
                      「うん。行ってきます。」
                      そう言ってヤサコは玄関の扉を開ける。
                      「あけましておめでとうヤサコ。まあ、なんつーか寒いわね。」
                      パーカーダウンを着込んでいるのに体を寒そうに縮ませながらフミエが言った。
                      「おめでとうフミエちゃん。確かに今日はまた一段と寒いわね。早く鹿屋野神社に行きましょう。あそこは人がいっぱいいて熱気で寒さもマシなはずだし。後の2人は現地集合だっけ?」
                      「ええ。ならとっとと行きましょうか。」
                      2人は待ち合わせをしているハラケンとアイコを待たすまいと、早く行くことにした。途中の道では昨日のカウントダウン番組について語り合いながら。


                       長くなったので、続きはまた来年のお正月にできれば更新したいと思います。それまでこのブログが続いているか若干不安ですが。とりあえず今年も基本的に木曜日は小説の更新、金曜日にブログの更新をしていくつもりです。来週からはブログも通常回に戻りますが、またよろしくお願いします。それでは今日はこの辺で。ばいちゃ/

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