奏作空間

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2015.02.13 Friday
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    自由とは何ぞい? -イスラム国関連ニュースより-

    2015.02.13 Friday 23:22
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      閲覧頂きましてありがとうございます。

      あけましておめでとうございますをすっ飛ばして、はや2月も半ばになりました。
      この更新の安定感のなさを改善したいなと思いつつ、実行できておりません。ごめんなさい。
      毎週更新していた時代が嘘のようです。

      さて、今日は”自由”について僕の思いを書きなぐります。よろしければお付き合いください。

      これを考えるきっかけになったのは、とあるフリーのカメラマンがシリアに渡ろうとしたら、政府よりパスポートを返納するよう命じられ、報道の自由の侵害だと訴えているあのニュースです。皆さんもよくご存知だと思います。

      今回の記事の趣旨は、カメラマンの主張や政府の対応の是非を問うことではないので、そういう明快な裁きは期待しないでください。

      とりあえず双方の立場を整理しておきます。カメラマンの方は、渡航の自由は憲法に保障されているのだから、今回の政府の対応は不当、ジャーナリストとしての自分の人生を否定するものだとすら主張しています。一方の政府は、先の日本人人質事件や、イスラム国側の日本人を見つけたら今後も容赦はしないとの発言も踏まえ、今イスラム国の支配地域や周辺地域に渡航するのは危険だという判断のもと、今回の対応に至ったというところです。

      僕は政府の対応は妥当だと思います。対するカメラマンの方には良い印象は持っていません。報道の自由を主張する以外にも、なにか思惑や打算があるように思えてならないのです。

      当然、人の真意は本人にしかわかりえないので、思い込みだけで判断するつもりはありません。僕があの人に好感を抱かない理由は、これから綴っていきます。

      それでは、あのカメラマンが主張する”自由”について考えていきましょう。
      そもそも”自由”とはなんなんでしょうか。

      例えば、国という存在が無くなり、法律が消滅してしまった世界があったとしたら。人は生きるために人のモノを奪い、命をも奪い合うでしょう。そんな世界には、”自由”という概念や言葉は存在しないのではないでしょうか。

      そう考えると、”自由”とは、ある制約(枠組み)のもとで、その中であれば何をしてもいい、という状態のことではないかと思うんです。

      人は法律を守らなければなりません。なぜ法律があるのかというと、人々が好き勝手に生きていれば社会自体が成り立たなくなるからです。先ほど例に出した世界では、いつ自分の命が奪われてもおかしくありません。つまり、法を守るということは、自分自身を守ることとつながっているのです。法を犯すということは自分自身が刑罰を受けるということにもなりますから、そういう意味でも自分自身を守るということにつながります。

      さて、私たちが守らなければならないのは、法律だけではありません。自分の住んでいる自治体の条例、町内会のゴミの出し方などの取り決め、学生であれば校則、会社人であれば社則、信仰する宗教を持つ人はその戒律など。

      そして、社会で醸成された規範や常識、マナーなども人として当然守らなければなりません。守れない人は周りから信用されなくなり、距離を取られます(例えば、電車の中で平然と酒を飲んでいるおじさんの隣には座りたくありませんよね)。ところが、上記した取り決めに対して、これらははっきり明文化されておらず、人によって基準は様々です。

      そして最も大事なのは、他者もそれらを守って当然という前提があることです。”自由”はこういった幾つもの制約の中で、ごくごく小さい領域でしか存在しないものだと思います。その枠を飛び越えてしまえば、本人は"自由”のつもりでも、周りから見れば”勝手”です。

      さて、カメラマンの主張に戻ります。あの人の根拠は憲法による渡航の自由の保障です。しかし、本来憲法とは(現在の憲法の成り立ちは置いておいて)権力が暴走しないように国民が国に課した制約のはずです。その中で”自由”が保障されていると云っても、論理の矛盾はありませんが、根拠としては薄弱ではないかと。

      そして、あの人が何かと叩かれているのは、僕も含めて、常識がないように見えるからではないかと思います。”自由”を主張するなら常識の枠内でやってくれと。今のシリアに渡航するのは極めて危険で、もし人質に取られたら、人もお金も動くことになり、周りにかかる迷惑も甚大であることは明らかですから。

      しかし、この常識という制約自体が人によって違うので、一方的にあの人はおかしいとは言えないと思います。なので、自分とは合わん考えの人や、ぐらいに思っておけばいいことでしょう。多分あの人と直接関わることはないでしょうから。

      フランスの雑誌者のテロがあった際も、やたら表現の”自由”が謳われていましたが、あれも同じことだと思います。あの雑誌の”自由”は、僕は行き過ぎだと思いますが、あの人たちからすれば許容の範囲なのでしょう。だいぶ欧米的な異文化蔑視の風潮が見て取れますが、それもそれで文化の1つなのでとやかくは言いません。ただ、僕はあれでムスリムの人たちが怒って当然だと思います。テロは決して許されるものではないですが。

      長くなりましたが、まとめに入ります。僕の考える”自由”とは、幾つもの制約のもとに存在する領域の小さいもので、また他者と共有するのは非常に難しいものだということです。昔の専制政治の時代ではないのですから、ただ”自由”を声高に叫ぶのではなく、その中身を考えて訴えを起こさないと、周りからの理解も得られず孤立してしまいかねません。大事なのは、自分の置かれている状況をよく考えることだと思います。










       
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      気になるニュース 総選挙の話

      2014.12.20 Saturday 19:23
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        閲覧頂きまして、ありがとうございます。
        川島奏です。

        ちょっとまたサボり癖が出てしまって、
        久しぶりの更新となりました。
        ごめんなさい。

        実は、近頃読書ネタがなかなか無くって、
        ちょっとこれから趣向を変えていきたいなと思っているんですね。

        というのも最近、自分の興味関心が、
        フィクションの世界から世の中の方へと移りつつあるからです。

        なので、従来の読書感想文も時々やりつつ、
        個人的にちょっと気になる世の中のニュースも
        取り上げていこうと思っています。

        今回はさきの総選挙について、
        僕自身の雑感を書き綴っていきます。

        結果的には自公の大勝で終わった今回の選挙。
        そうなった要因の1つには、戦後最低を記録した
        投票率の悪さが挙げられるでしょう。

        この低投票率を危惧する報道は多く、
        "日本人として情けない"と言う人もいます。
        僕もそれには同意です。

        しかし、僕自身も学生時代には、
        わざわざ地元に帰って投票に行くのがめんどくさいと
        思っていたクチなので、あまり偉そうなことは言えません。
        実際、さほど政治に興味もありませんでした。

        なぜ、有権者の実に半分が選挙に行かなかったのでしょう。
        誰に入れても自分の生活は変わらないから?
        誰に入れたらいいかわからないから?
        そもそも興味がないから?
        寒かったから?
        いろいろあると思います。

        大きな理由のひとつとして、
        "自分の1票ごときで選挙の大勢は変わらないから"
        というのがあるんじゃないでしょうか。
        学生時代の僕はこんな風に思っていました。

        確かに、今回の選挙では、
        どうあがいても与党の優位は揺るがなかったでしょう。

        しかし、この考え方は間違っています。
        それは断言できるでしょう。

        選挙に必ず行く人の多くは支持政党を持っているはずです。
        そして、組織票の数では自民党がやはり圧倒的です。
        また、公明党の支持者も必ず投票所に行くでしょう。

        つまり、投票率が下がるほどに組織票の比率が上がり、
        自民党や公明党が優位になる仕組みになっているのです。

        選挙に行かないということは、
        間接的に自公を支持することになるということですね。

        だからこそ、安倍さんは師走のこんな忙しい時期に
        総選挙を行ったのです。
        投票率が下がるほど自分たちが優位になるのですから。
        それは報道でも再三指摘されています。

        もちろん、自公を支持するなら、
        わざわざ選挙に行かなくても良いとは思います。

        しかし果たして、有権者の半分が
        増税を良しとし、今の経済政策を称賛し、
        憲法改正、はたまた原発推進を容認しているとは、
        僕は思えないです。

        野党に魅力がないというのもあるとは思いますけどね。

        話を戻すと、今回投票箱に入れられなかった票は、
        浮動票として動き、大勢を変える可能性がある
        ということです。

        結果的には散々でしたが、
        2009年に民主が大勝し政権を握ったのも、
        この浮動票が動いた故でしょう。

        一票格差の問題などありますが、
        僕が言いたいのは、
        自分の1票には世の中を変える可能性が秘められており、
        だからこそ、一人一人が真剣に将来を考え、
        投票所に行くべきだということです。

        極端な話、
        増税やむ無しでアベノミクスに期待するんであれば
        自民に入れたらいいし、
        増税が嫌なら共産に入れたらいいことだと思います。

        もちろん、選挙に行く権利もあれば、
        選挙に行かない権利もあるわけで、
        なんらかの信念を持って投票所に行かないというのも
        ありだとは思います。

        しかし、めんどくさいから行かないというのは、
        これは責任の放棄に他なりません。

        「めんどくさいし誰でもいいから部屋の片付けやっといて」と、
        仕事を任せておきながら、いざ終わったときに
        片付け方が悪いと文句を言われたら、
        誰だってカチンとくるじゃないですか。

        自分のことを棚に上げて他人にばかり文句を言う人は
        周りから信用されなくなるので、気をつけたいですね。
























         
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        『電脳コイル 春』再アップ

        2014.09.15 Monday 11:27
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          閲覧頂きまして、ありがとうございます。
          川島奏です。

          先日、『電脳コイル 春』をまた読みたい、
          という嬉しいコメントを頂きました。
          "ガンダム太郎"さん、ありがとうございます。

          『春』は規制によって削除してしまった経緯があるものの、
          今は別サイトで『電脳コイル』の二次創作も
          増えてきているようですし、
          そんなに気にすることでもなかったかなと、今は思います。

          この件については、
          以前の記事(もう1年以上前になりますが)でも、
          また再アップを検討します、と宣言していましたからね。

          この度頂いたコメントが良いきっかけになりました。
          下記のサイトにアップロードしましたので、
          またよろしくお願いします。

          http://firestorage.jp/download/d6a598854813ea3afd43fea0b2f6f81f17a00cab

          ダウンロードパスワードは、"springcoil"です。

          zipファイルになっています。
          解凍してもらうと、話数ごとのフォルダに分かれており、
          さらに開けてもらうと、パートごとのpdfファイルに分かれています。

          手直しをするかどうかという点については、
          それをやり出すとかなりの時間がかかるので、
          もう当時のままのファイルをアップしています。
          特に序盤は読み辛いかと思いますが、ご了承下さい。

          あとは次回作について触れておきます。

          『電脳コイル』を題材にした次回作は、
          これまで出すと言ったり、やっぱり出さないと言ったりで、
          フラフラしてしまい申し訳ありませんでした。

          アニメ『電脳コイル』放送もだいぶ前のことですし、
          今更その二次創作もな、と思ったりもしましたが、
          やっぱりこっちの次回作もお披露目したいな、
          というのが正直な気持ちだったりします。

          オリジナルの新作にかかるよりも、
          ある程度書き溜めがあって
          ストーリーも考えてあるこちらの方が、
          明らかに完成は近いですし。

          ですので、小説の執筆は先にこちらの次回作にかかろうと思います。

          時間はまだかかると思いますので、
          気長にお待ち頂けると幸いです。

          それまでは、『春』をはじめとする
          過去作品をお楽しみ頂けると嬉しいです。

          また今後もよろしくお願いします。








           
          『電脳コイル 春』について | comments(5) | trackbacks(0) | - | - |

          夏なので、少し怖い話でも

          2014.07.19 Saturday 20:11
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            閲覧頂きありがとうございます。

            前回、自分の創作についての話を少ししました。
            今回はその続きです。

            次に書く作品も『電脳コイル』の雰囲気に近くなりそう、
            ということを前回書かせて頂きました。
            どの辺がとなると、SF要素ではなく、
            ホラー要素の部分です。

            子ども達の日常の中に静かに影を落とすような、
            神隠しなどの怪談話が割と僕は好きです。
            恐怖心と好奇心が同居していた、
            童心に帰れるというか。

            いい歳をしてと思われるかもしれませんが、
            僕の考え方のベースに、幽霊はそら居るやろな、
            というのがあるからこそ、
            この手の話を楽しめるのだと思います。

            また、幽霊に限らず、全般的な無形のモノの力を、
            僕は信じています。

            例えば野球では、"試合の流れを掴む"ということが、
            しばしば言われます。
            試合の流れを掴んだ方のチームは、
            打撃の際に芯を外して打ち取られた当たりが
            野手のいないところに落ちたり、
            守備の際に投手が失投して痛打された打球が、
            野手の真正面に飛んでいったりします。
            それが毎試合とは言いませんが、
            結構な頻度で起こるのです。

            無形の力。それは野球の試合の中で、
            人が発して作り出しているものなのか、
            はたまた宙に浮かんでいるそれを引き寄せているのか、
            わかりません。
            でも存在するのだろうなとは感じます。
            逆にすべてを偶然と片付ける方が苦しいと思うのです。

            小説にしたい題材というのは、
            実はその辺のことなんですね。
            ただ、単なるオカルトで終わらないように、
            それが存在する根拠となる部分も必要だと思います。
            そこにオリジナリティーを出したいところです。

            さて、ここから今回の本題に入っていくのですが、
            実はちょっとした問題が起こりまして、
            その説明をさせて頂きます。

            この記事は前半部と後半部で、
            別々の日に分けて書いてまして、
            後半部も1度書き上げたのです。

            その内容がですね、
            前半部で霊魂の話をしたのもあって、
            最近Web上で見かけた"怖い話"を、
            いつものごとく紹介して感想を書いていく、
            というものだったんですね。

            いくつかの"怖い話"を拾い、
            個人的には熟考した上で感想を付けて、
            なかなか良い仕上がりになったと思ってました。

            ところで、この記事はWeb上で書いていますので、
            書き上げたものを更新することで投稿、
            または下書きの保存ができるのです。

            1度書き上げてから、
            後で最終チェックをして投稿しようと思い、
            下書きを保存しようとした時でした。

            僕はwimaxでネットに接続しているのですが、
            その瞬間だけ接続が途切れ、
            更新がうまくいかず、
            書き上げた後半部が抹消してしまったのです。

            wimaxは有線より不安定とはいえ、
            普段こんな風に途切れることはないですし、
            その後電源を入れ直したらすぐに復旧したことからも、
            あの瞬間だけ途切れたのは不自然でした。

            抹消された記事の内容が内容だっただけに、
            あ、これアカンやつや、と思いました。

            よくよく考えてみると、
            今回はいつも以上に
            言葉に気をつけて感想を書いたつもりでしたが、
            皆さんの興味を惹くために、
            軽い文章になっていたかもしれません。

            偶然と片付けてもいいかもしれませんが、
            今の僕の信条からすると、
            今回のことは"警告"とも受け止められるんですよね。

            ですので、今回は記事を書き直しませんでした。
            1人でうろたえているだけですが、
            霊魂については軽く考えるべきではないということで。

            また、面白い本があればご紹介します。














             
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            小説の創作への第一歩

            2014.07.05 Saturday 23:14
            0
              閲覧頂きありがとうございます。

              ゴールデンウィークにドラえもんの映画の話してから、
              はや2カ月ですか。
              ごめんなさい、もう少し更新頻度はあげるように、
              努力致します。

              今回は少し、自分の今後の創作の話をします。

              また小説を書きたいというのは、今でも思っているんですね。
              それが実行に移っていないのは、
              自分の意志の弱いからだとも思っています。
              時間がないというのは単なる言い訳で、
              時間は作るものなので。

              あとは、書いていきたい題材が
              固まってなかったというのもあります。
              『電脳コイル』の二次創作をしていた時は、
              これを元に物語を書きたいという情熱があったからこそ、
              書き上げられたのだと思っています。
              このブログにしても、書きたい題材が見つかれば、
              無性に更新したくなるときがあるんですよ。

              てなわけで、今この話をしていることで察して頂けると思います。
              最近ようやく小説にしたい題材が自分の中で固まってきました。
              書きたい欲求というのも溜まってきています。

              今は頭の中で思い描いている段階で、
              具体化するのはいつになるかわかりませんが、
              必ず形にしていきます。

              次回こそはオリジナルでいくつもりで、
              しかし、雰囲気的に『電脳コイル』には近くなるかな〜と、
              思っています。

              具体的な題材などは、小出しにしていくので、
              またこちらを覗いてみてください。

              実は、ここから次の記事につながります。
              近々に更新しますので、
              そちらもよろしくお願いします。




               
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              あの名作SF映画について語る

              2014.05.04 Sunday 13:01
              0
                閲覧頂きありがとうございます。

                待ちに待ったゴールデンウィークですね。
                悔いの残らないように、遊ぶ時には遊び尽くしましょうね。

                僕は今ハマっている小説がありますので、
                そちらを一気に読破したいなと思っています。

                さて。今日は趣向を変えて映画紹介といきたいと思います。
                日本アニメ映画の最高峰にして、
                数多の名作が存在するSF超大作、
                『ドラえもん』です。

                笑わないでくださいね。
                結構真面目にそう思っていますので。

                僕自身の話をすると、
                90年代のドラえもん映画は一通り見た記憶があります。
                それ以前のもちょこっと。
                声優さんが入れ替わって以降は、ほとんど見ていないのですが。

                ふと自分が子どもの頃に見ていたのを見返したくなり、
                ネットで評判の高い作品をいくつか見てみたら、
                その完成度にいたく感動致しまして。
                自分の最も気に入った1本をご紹介しようと思った次第です。

                それが映画第13作目、1992年公開の『雲の王国』です。

                (画像を載せようと思ったのですが、うまくいかないので今回はなしで)

                こちらは、ドラえもんのエッセンスがぎっしり詰まっている作品です。
                その上、視聴者をグイグイ引き込むストーリーが展開され、
                伏線の張り方も絶妙で、物語としての完成度が本当に素晴らしいです。

                ドラえもん映画に総じて言えますが、
                特にこの作品は導入部分のワクワク感が良いですね。

                雲の上には天国があると信じていたのび太。
                それをジャイアン達にバカにされ、
                ドラえもんにも「そんなものあるわけないよ」と、
                夢を打ち砕かれます。

                しかし、さすがドラえもん。
                「無かったら自分で作ればいいんだよ」と、
                雲を固めてその上に人が乗れるようになる道具を出してくれます。
                そこから、地形を固めて山や川を作り、
                街やお城、豊かな自然も作っていきます。

                そんな風にのび太とドラえもんが雲の王国を作っていくさまは、
                童心をくすぐられるようで、見ていて本当に楽しいですね。

                序盤はそんな王国づくりに引き込まれますが、
                中盤からは次第にミステリアスに流れていく展開に、
                またぐっと引き付けられます。

                絶滅したはずの古代動物の出現。
                それを追ううちに迷いこんでしまった天上世界。
                そこで出会った天上人は、心優しい一面を見せつつも、
                何かを企んでいる雰囲気。

                そして、物語終盤で天上人の恐るべき計画が明らかになり、
                ドラえもん映画史上でも類を見ない、
                衝撃的なラストへとつながっていきます。

                ドラえもん映画は、勧善懲悪パターンが多いですが、
                この作品には珍しく絶対"敵"というものが存在しません。
                (いるっちゃいるんですが、おまけみたいなもので)。
                その分、終始予想できないストーリー展開を楽しめるので、
                大人が見ても満足できると思います。

                一方、環境問題に強くメッセージを発している本作は、
                説教じみているという批判もあります。
                しかし個人的には、20年以上も前に発せられたこのメッセージを受け、
                自分自身を含めて、今現在どれほどの人が、
                この問題を真剣に考えているのかなと思います。
                ちょっと、自分自身を振り返ってみる良い機会になるんじゃないかと。

                以上で、ざっくりとしたご紹介を終わります。
                ここからは、もっと内容に深く切れこんだ感想を書いていきます。
                ネタバレも含みますので、本作を見てみようかなと思った方は、
                視聴していただいたあとに、目を通してもらえればと思います。


                天上人の恐るべき計画とは、
                大雨で地上の文明を洗い流すというもので、
                それは自分勝手な環境破壊で天上世界をも脅かす、
                地上人への鉄槌だったわけです。

                地上人は一時的に天上世界に保護され、
                文明を洗い流した後、再び地上に戻されると。
                そこからはまた原始時代から文明を築き上げないといけません。

                それを聞かされたジャイアンの、
                「俺達にサルと一緒の暮らしをしろっていうのか!!」
                という叫びは、非常に印象的です。
                自分自身に、この便利で豊かな暮らしを取り上げられればどうなるか、
                ということを突き付けられているような気になります。

                それはもちろん考えられません。
                しかし、このまま無自覚に環境を破壊し続ければ、
                必ず地球は破綻します。

                この作品で、天上世界はある種の未来都市として描かれています。
                環境破壊による天上世界の破滅は、
                未来の破滅を象徴しているような気がします。

                本当に、一人一人の自覚が大切なんだなと思いますね。

                さて。この作品の終盤、ドラえもんは天上人のノア計画に対抗するため、
                天上世界を直接破壊できるミサイルを持ち出します。
                抑止力を持ち、天上人との対等な話し合いをすると。

                まさか、ドラえもんでそんな展開になるとは思いもよらなかったです。
                子どもの時は抑止論など理解しているはずもないので、
                改めて見るとカオスな展開だなと。

                でも、この作品は人間と人間の争いを描いているんですよね。
                天上人のノア計画も、自らを神と言わんばかりの傲慢からくる
                凶行だと思いますし。
                その両者の解決手段が人間的になるのも、
                必然の流れかと。

                ただ、その手段は間違っていたと悔いたドラえもんは、
                自らタンクに突っ込み、雲の王国を破壊してしまいます。
                このシーンはシリーズ屈指の名場面だと思います。

                つまり、ドラえもんは未来のロボットでありながら、
                非常に人間的な、そして人間以上の素晴らしい心を持つ存在だということです。
                この時代のドラえもん映画には、根底にそんなテーマがあるように思えます。

                そして、さらに心を揺さぶられたシーンがあります。
                時間軸が歪んでしまい、
                ノア計画が実行された地上世界に戻ってしまったのび太は、
                大洪水に呑み込まれていく世界に絶望します。

                雲の王国に戻り、もうおしまいだと嘆くうち、
                のび太はあることに気付きました。
                未来があの大洪水によって終わったのなら、
                ドラえもんが存在すること自体が矛盾していると。

                そしてドラえもんのセリフ。
                「そうか。あの大洪水が1つの未来なら、
                僕のいた22世紀の世界も1つの未来なんだ。
                どちらの未来が勝つのかは、今の僕らの頑張りにかかっているんだ!!」

                そう、未来は1つじゃないし、運命なんか決まっていないんですね。
                今の努力次第で未来はいくらでも変えられる。
                ドラえもんという作品の哲学であり、テーマだと僕は思います。

                長くなりましたが、本当に心に残る素晴らしい映画なので、
                他の作品も含め、皆さんも機会があれば改めて見返してみてください。































                 
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                叙述トリックは諸刃の剣

                2014.04.05 Saturday 21:31
                0
                  いつも閲覧頂き、ありがとうございます。

                  約1ヶ月ぶりの更新です。
                  すっかり温かくなりましたが、
                  また冷え込んでますね。
                  天気も悪いし、この時期には残念な週末です。

                  前回、『折れた竜骨』のご紹介をしまして、
                  次回はそのネタバレ覚悟の感想文を載せます、
                  と宣言していましたが、あっさり覆します。
                  ごめんなさい。

                  あれから次々に本を読むうち、
                  内容が頭から薄れていったんですよね。
                  感想文は読後すぐに書かなきゃな、と反省しています。

                  なので一言。
                  本当に面白い小説なので、
                  内容は読んで確かめてね。

                  さて、今回のテーマは叙述トリックについてです。
                  これまでも何度か取り上げたこともありますね。
                  それに対する今の僕の所感を書き連ねます。
                  毎度ながら、まとまりのない内容になると思いますが、
                  ご容赦ください。

                  まず、叙述トリックとは何ぞや、という方に対して、
                  簡単な例をもってご紹介します。

                  小説は文章だけで構成されており、
                  絵が見えないという特徴があります。
                  それを逆手に取って、
                  著者自身が読者を欺くために用いる文章トリックのことを言います。

                  例えばこんな感じ。

                  日本でも屈指の規模を誇る大学病院に、
                  外科手術で名の通った教授がいた。
                  その教授が執刀したオペは、信じがたいことに、
                  ほぼ確実に成功するのである。
                  それゆえ教授は、周囲からはゴッドハンドと呼ばれていた。

                  ある日、病院に急患が担ぎ込まれた。
                  交通事故患者で、内臓破裂の疑いがあり、
                  早急に手術をしないと危うい状態である。
                  教授はその手術を執刀することになった。
                  どんな大手術でも、平常心が揺らいだことはない。
                  積み重ねた場数からくる圧倒的な自信を胸に、
                  手術室へと踏み込んだ教授はしかし、
                  その心臓を撃ち抜かれたような衝撃を受けた。
                  手術台に乗せられていたその患者は、教授の夫だったのだ。


                  このストーリーは、とある人からお聞きしたものを、
                  僕なりの文章にしたものです。オリジナルじゃありません。

                  これは、読者の先入観を利用した叙述トリックだと云えるかと思います。
                  外科手術の名医、大学病院の教授、ゴッドハンドとくれば、
                  大体の人は男性を想像すると思いますが、
                  この話の教授とは女性だったというオチです。

                  教授という言葉を連発しているのは、
                  これを"彼女"としてしまえば、オチが読者にバレるからです。
                  このように、著者は核心の部分意図的に伏せるよう、
                  文章を構築していきます。

                  読者からすれば、自分が想像していた世界が、
                  見事にひっくり返される気分を味わうことになります。
                  それが快感だと思う人がいるわけですね。
                  僕自身がそうです。

                  今、この手の小説がプチブームになっているみたいです。
                  叙述トリックで有名になった流行作家さんもいますし、
                  古い時代の叙述トリック作品も、改めて文庫が出版されたりしています。

                  叙述トリックに初めて触れた時の衝撃は凄まじく、
                  それで病みつきになっていた時期もありますが、
                  今の僕が思うのは、これって諸刃の剣だな、ということです。

                  叙述トリックは著者が読者に対して仕掛けるものなので、
                  本来的に作中の登場人物とは何の関わりもありません。
                  ストーリーと絡ませるのが非常に難しいのは、容易に想像できます。

                  ですので、ストーリー上、
                  別に叙述トリックを用いる必要はなかったよね、
                  という作品が、結構たくさんあるのです。

                  それはそれでいいと思います。
                  作家さんは、叙述トリックを使いたいのですから。

                  ただ、叙述トリックに比重を置くと、
                  無理が生じてくるのはストーリーの方です。
                  それに対して、小説を成立させるためにどうするか......

                  ご都合主義に走らざるを得ないのですね。

                  正直、叙述トリックの用いられる作品は、
                  ストーリーが凡庸になることが多い気がします。
                  中には、笑えるぐらい著者にとって都合の良い設定だな、
                  と思った作品もあります。

                  叙述トリックのための小説は、
                  突き詰めるとそんなに魅力はないということです。

                  そのくらいハードルが高いということですけどね。

                  しかし、そのハードルを越えた作品というのもあるわけです。
                  ストーリーと叙述トリックがうまく絡み合えば、
                  後世語り継がれる名作にもなり得るんじゃないかと。

                  僕がここまで語って、じゃあどなたを推すのかと云うと、
                  ベタで大御所ではありますが、綾辻行人氏のほか思い浮かばないですね。

                  ちなみに、これは僕自身が指摘されたわけではないのですが、
                  この作品は叙述トリックが用いられていると公言するのは野暮ですよ、
                  という意見をネット上で見かけまして、
                  それは確かにと思ったことがありました。
                  何の前情報もなく読み進めて、叙述トリックでどんでん返し、
                  というのが一番楽しめますからね。

                  ですので、今後は本のご紹介をするときは、
                  そういったことは書かないようにします。
                  過去の紹介文まで直すことはしないのですが。

                  それではまた、良い本と出会えたら、
                  ご紹介したいと思います。























































                   
                  川島の本棚 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

                  川島の本棚 第14回 『折れた竜骨』

                  2014.03.09 Sunday 00:08
                  0
                    いつも閲覧頂き、ありがとうございます。

                    日差しはもう春のものですが、
                    しんと冷えた空気はまだまだ辛辣な3月、
                    というところでしょうか。

                    今日は小説のご紹介をしたいので、
                    久方ぶりの川島の本棚です。

                    もう少し『新世界より』で引っ張ろうかと思ったのですが、
                    先日読了したものがあまりに面白かったので、
                    ご紹介せずにはいられませんでした。

                    今回取り上げるのは、
                    当コーナーの第1回で取り上げて以来、
                    最も思い入れの強い作家さんとなった米澤穂信氏より、
                    まごうことなき傑作『折れた竜骨』です。















                    画像は単行本のもの。
                    上下巻で文庫本も出てるよ。





                    さて。アニメ『氷菓』のヒットで、
                    古典部シリーズは一気に人気沸騰。
                    どこの本屋さんでも目立つところに置かれるようになり、
                    僕自身も感慨深いものがありました。

                    この学園ミステリーで知名度を高めた米澤氏。
                    しかし、他の作品に触れていると、
                    その引き出しの多さにただただ感服してしまいます。

                    おそらく古典部シリーズから入った方は、
                    この『折れた竜骨』が同じ著者のものとは、
                    夢にも思わないでしょう。

                    本作は剣と魔術の世界を舞台に繰り広げられる、
                    本格ミステリー・ファンタジー風冒険大活劇だからです。

                    米澤氏の得意とするのは、
                    なんといっても緻密なロジックからなる、
                    本格ミステリーです。

                    それを一見なんでもありに見える、
                    ファンタジー世界でやってしまったというのがこの作品。
                    作中のセリフにも出てくるこの作品のテーマは、
                    "理性と論理は魔術をも打ち破る"です。

                    物語は12世紀末のイングランド。
                    大小2つの島からなるソロン諸島。
                    ファンタジーではありますが、
                    史実に基づいた舞台設定になっています。

                    エイルウィン家によって治められるソロン諸島は、
                    一見平和に見えるのですが、
                    国内外の様々な脅威にさらされている状況でした。
                    そんなとき、エイルウィン家の当主が、
                    何者かによって殺害されます。

                    その当主殺害の実行犯を突き止めるのが、
                    この物語の軸となります。

                    上述したように、魔術の存在する世界ですから、
                    まともに推理などできないように思われます。
                    しかしそれではミステリーとして成立しません。

                    米澤氏は魔術によって作品が崩壊しないよう、
                    これもまた緻密な設定により、
                    この殺人事件が合理的な解決へと導かれるように、
                    世界を構築されています。

                    以前、"物語を支配するルール"という記事を書いたことがありました。
                    著者はこのようなファンタジー小説では、自由な設定ができます。
                    しかし、物語を引き締めるために、著者はその世界におけるルールを、
                    細かく設定しなければなりません。そのルールの範囲でのみ、
                    著者は物語を展開させ、収束させなければならないのです。

                    著者が自ら決めたそのルールを破るのは、アンフェアです。
                    が、著者はまた、そのルールの下で読者の予想を裏切らなくてはいけません。

                    これだけのことをしようとすると、
                    ハードルはどうしても高くなってしまうと思います。
                    しかし、この小説はその点の完成度が非常に高いです。

                    つまり、魔術が存在するこの突飛な世界観においても、
                    事件の解決部分は論理的で読者を納得させるだけのものがあり、
                    かつそれが、衝撃的な結末を迎えるのです。

                    各所で高い評価を受けている作品だけあります。
                    物語構築においては芸術の域と云っても過言でもないかと。

                    さらに、冒険大活劇と上述したように、
                    事件が起こって推理、謎解きという、
                    オーソドックスなミステリーの展開に加えて、
                    非常に手に汗に握る戦闘シーンも見られます。
                    これは米澤氏の作品では珍しい。

                    しかもその戦闘シーンまでも、
                    謎解きの伏線になっているというのが、
                    なんとも巧妙です。

                    ほかにも、些細な描写でさえ重要な伏線になっている部分もあり、
                    登場人物(容疑者)たちの一挙手一投足から目が離せません。
                    また、多種多様な文化をもって登場する彼らは、
                    一様に謎をまとっており、とても魅力的に描かれています。

                    皆様も是非、剣と魔術の織り成す極上のミステリーを、ご堪能ください。

                    以上、米澤穂信氏の『折れた竜骨』をご紹介しました。

                    と、いつも紹介文を書いているだけだと、
                    皆様に内容が伝わっているのか不安ですし、
                    何より僕自身が消化不良です。

                    ですので、今度はネタバレ必至の内容で、
                    細かい感想を書こうかなと思っています。

                    これから読む方は、その記事は見ないでくださいね。
                    読み終わってから見てくださいね。

                    それではまた。
                    暖かくなる頃にお目にかかることができればと思います。







                     
                    川島の本棚 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

                    『新世界より』 再燃

                    2014.02.22 Saturday 21:52
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                      いつも閲覧頂きまして、ありがとうございます。

                      今回は、かなり以前に川島の本棚でご紹介した、
                      貴志祐介氏の『新世界より』について語りたいと思います。

                      僕は此の度、再び本作にのめりこんでしまったので、
                      タイトルを再燃とさせて頂きましたが、
                      小説を読み返したわけではなく、
                      ふと思ってアニメ版を見たのが、
                      火が付いたきっかけでした。















                      アニメ版は今から1年前ぐらいに放映されていました。
                      小説を読んでかなり経ってから、
                      アニメ化されるというのを知ったのですが、
                      特にそのときは見ようと思わず、
                      本当に最近になって、ふと思って見てみたんですよね。

                      ところが、このアニメが原作に勝るとも劣らず、
                      実に秀逸でした。

                      風景、人間、動物の描写、挿入歌、BGM。
                      どれをとっても効果的で、
                      原作小説を読んでいる以上に、
                      この世界観が堪能できるようになっています。
                      本来はホラーテイストで、グロテスクなきらいもある原作ですが、
                      程よい加減の描写になっていると思います。

                      しかも話のテンポも良い。
                      ボリューム満天の原作よりも、
                      流れがわかりやすくなっています。
                      本筋は原作とまったく同じと言っていいでしょう。

                      ですので、アニメ版だけを見るだけでも、
                      存分に物語を楽しむことができます。
                      内容は以前に当ブログでもご紹介した通りです。

                      全編通した感想を書きたいところですが、
                      あくまで紹介文なので、過度なネタバレも野暮かと思います。

                      というわけで、物語の核心には触れないように、
                      僕の思うことを書いていきます。

                      この物語は、1000年後の未来、呪力を持つに至った人間と、
                      その人間に支配される、知能を持った獣の話です。

                      しかし内容は、以前にもご紹介した通り、
                      現代社会を痛烈に風刺したものとも読み取れます。
                      あらゆる場面が、現代社会の抱える様々な矛盾と重なり合います。

                      例えば、呪力を持つ人間と、それを持たない獣の、
                      支配と被支配の関係について。
                      持つものと持たざるものの立場が二極化される構図は、
                      現代の格差社会に重ねてみることもできるかと思います。

                      アベノミクスで景気が上向きだと云いますが、
                      実際に僕らの暮らしは楽になっているでしょうか。
                      今の社会は、財産や権力を持つ人たちだけが、
                      豊かになっていく仕組みになっているんじゃないでしょうか。

                      しかし、そう考える僕だけが苦しいのでしょうか。
                      物資豊富で何不自由なく暮らせるこの国の人たちはみな、
                      遠くの国で、想像を絶する劣悪な環境で生きる人たちに支えられて、
                      生きているのではないでしょうか。

                      人類社会を築き上げる上で、人々が積み重ねてきたこの"業"こそが、
                      この物語の最大のテーマだと思います。
                      人間は冷酷で残忍な生き物であり、
                      自分の周囲の幻想だけを見て、その外にある現実を忘れ、
                      生きているのだなと思います。
                      この物語の美しい原風景は、その幻想の象徴に見えます。

                      重い話をしても、皆さんがあんまり魅力は感じないかもしれませんし、
                      僕もあんまり説教じみたことを書きたくはありません。
                      それこそ、そういったことを伝えたいのであれば、
                      小説という形で伝えたいなとは思っています。

                      話はそれましたが、話の重さは人それぞれの受け取り方次第であって、
                      僕としては、これだけ壮大でありながら伏線の仕込み、
                      話の展開が見事な物語にはそうそう出会えないと思っています。
                      是非皆さんにも肌で感じて頂ければと思う所存です。

                      アニメ版に関して、ただひとつの不満があるとすれば、
                      全25話あるうちの第5話だけ、極端に画風が変わっている点です。
                      あの回は、画の違和感が終始気になり、内容が頭に入ってきにくいです。
                      まさに画竜点睛を欠いたというところでしょうか。

                      それを除けば、本当に完成度の高い作品に仕上がっていると思います。
                      原作の分厚さに気圧された方は、アニメだけでもどうぞ。

                      それから、この『新世界より』という物語には続編があり、
                      『新世界 ゼロ年』という題名で小説の連載が進んでいるようです。
                      連載は終わったのかどうか未確認ですが、
                      遠くないうちに単行本が出るのではないでしょうか。

                      続編という位置づけですが、舞台は『新世界より』の1000年前、
                      つまり現代です。
                      呪力を持った人間が現れ始めた時点が描かれ、
                      『新世界より』で語られる血みどろの歴史、
                      暗黒の500年につながっていくのではと思います。

                      救いのあるお話になるかどうかはわかりませんが、
                      怖いものみたさというのもあります。
                      僕は非常に楽しみにして待っています。

                      貴志祐介氏のほか作品に関しては、
                      映画化されたことで有名になった『悪の教典』を、
                      今後取り上げてみようかなと思います。











                       
                      川島の本棚 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

                      諸葛亮孔明について 北方『三国志』より

                      2014.02.11 Tuesday 22:07
                      0
                        閲覧いただき、ありがとうございます。

                        あっという間に1月も終わり、2月も半ばにさしかかりました。

                        お正月の記事でご紹介した、北方『三国志』。
                        現在も絶賛通読中です。

                        今回はこちらの本より、諸葛亮孔明のお話をしようと思います。

                        『三国志』をまったく知らない方、
                        ご興味のない方はごめんなさい。

                        また、僕の知っている『三国志』は、
                        この北方謙三氏著のものと、
                        漫画の横山光輝『三国志』だけですので、
                        詳しい方もごめんなさい。

                        それでは本題に入ります。

                        諸葛亮孔明の一般的なイメージは、
                        戦では常に先を読み、
                        あらゆる策をもって敵を術中に嵌める、
                        スーパー軍師というところでしょうか。

                        ある意味、その非人間的な天才ぶりが、
                        ネタ化されてもいますよね。

                        孔明の実像はというと、
                        適正は民政にあったようで、
                        軍事的な才能は創作であるようです。

                        先にあげた『三国志』のうち、
                        北方氏著は後者、横山氏著は前者のイメージに近いです。

                        僕はどちらかというと、
                        人間味のある北方『三国志』の孔明の方が好きです。

                        とはいえ、横山『三国志』の中での司馬懿のセリフ、
                        「げえ!! 孔明!!」も捨てがたいですけどね。

                        それは置いといて。

                        今回孔明をテーマにしたのは、
                        僕が北方『三国志』を通読していて、
                        彼のどこに凄みを感じたのか、
                        お伝えしたかったからなんです。

                        それを一言で表せば、
                        ”明確なビジョンを描きそれを実行する力”、
                        ということになると思います。

                        『三国志』における孔明の登場前後の流れを見ながら、
                        それを説明します。

                        三顧の礼をもって孔明を迎え入れる前の劉備は、
                        漢王室の再興という志を持ちながら、
                        拠って立つ地もなく、流浪の身に甘んじていました。
                        関羽、張飛、趙雲という、
                        一騎当千の将軍たちを率いていながらです。

                        中国の北は曹操が勢力を伸ばし、
                        南は孫家が着々と地盤を固める中で、
                        このときの劉備はかなりの閉塞感を覚えていたことでしょう。

                        だからこそ劉備は、
                        藁にもすがる思いで孔明の草廬を訪れたのです。

                        孔明はそこで、
                        劉備に「天下三分の計」を示しました。

                        僕はこの「天下三分の計」こそが、
                        孔明の才智の発露だと思うのです。

                        というのも、劉備は志は誰よりも高く、
                        それを拠り所に多くの戦を乗り越え、
                        幾多の陣営を渡り歩いて、
                        この時代まで生き残っていたのは賞賛に値すると思いますが、
                        どうも行き当たりばったりなのです。
                        先の先まで見据えた行動をとっていたとは言えません。

                        そんな劉備に孔明はビジョンを与えました。
                        漢王室再興のための、「天下三分」。
                        巨大化した曹操への唯一の対抗手段です。

                        目からウロコの劉備は、
                        以降、自軍の指針を孔明に委ねます。

                        孔明はその後、孫家と連合し、
                        赤壁で曹操を打ち破り、果ては蜀の地を奪取するに至ります。

                        その過程で彼は、
                        ”いついつまでに劉備軍がどうなっていなければならないか”、
                        というビジョンを常に描いていたことでしょう。

                        目的地は「天下三分」、その先の「漢王室再興」です。

                        劉備のように志は高くても、
                        それだけで成功には至りません。
                        もちろん、”志”は成功に至るためには絶対に必要です。

                        その次に必要なのは、成功に至るプロセスを、
                        明確なビジョンとして持つことです。
                        「天下三分の計」に象徴されるように、
                        時勢を見る目も大切でしょう。
                        その時勢を見る目を養うには、
                        情報収集も欠かせません。

                        さらに必要なのが、自分で描いたビジョンに向かって
                        アクションを起こす、"実行力"になると思います。
                        頭の中で描いただけでは、何も状況は変わりません。

                        局地的な勝敗よりも、
                        自らが描くビジョン通りに劉備軍を導いていった孔明に、
                        僕は凄みを感じます。

                        ちなみに、曹操はこれらのものをすべて持っていたと、
                        言えると思います。僕は『三国志』の登場人物中では、
                        彼が最も好きです。

                        ただ孔明の場合、その登場の時点で、
                        天下の趨勢は曹操に決まりかけていました。
                        その状況を打開した彼は、月並みですが、
                        やはり偉大だと思います。

                        僕も学生時代にこういうことを感じていればな、
                        なんて思うことがあります。

                        しかし、そう嘆くのも愚かなことですよね。
                        孔明の登場は確かに遅かったですが、
                        それでも「天下三分」までは彼のビジョン通りに、
                        運んだわけですからね。

                        どんな状況も必ず開ける。
                        そのためには何をしなければならないか。

                        それを教えてくれた孔明のお話でした。










                         
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